学校統合課題を討議  沼津・第一第二中校区 保護者ら初会合 (東部総局・尾藤旭) 【静新令和7年4月26日(土)朝刊】

 


学校統合課題を討議

 沼津・第一第二中校区 保護者ら初会合

 沼津市教委は23日、2026年度に3小学校、27年度に2中学校が統合する方針の第一、第二中学校区の住民らでつくる「新しい学校づくり推進委員会」の初会合を市内で開いた。今後、学校統合に向けたさまざまな課題を討議する。

 委員は保護者、地域住民、学校関係者、学識経験者22人で構成。委員長には元第一小校長の斎藤匡洋さんが就任し「活発な意見を交わしてほしい」とあいさつした。

 委員は264月の小学校統合までに5回程度全体会合を開き、課題ごとの分科会を設置する方針を確認した。分科会については、通学万法や制服、校名・校歌、学校跡の活用法など、事務局側が示した討議内容の枠組みに委貝から異論が出たため、再度検討する。

 両校区の学校統合を巡っては、市教委が21年に第二、千本の両小を第一小に、第二中を第一中に統合する案を示したが、一部住民の反対を受けて一度白紙化。住民意見を聞く会合を開いた上で、252月に再度、同じ方針を示した。市教委は市議会6月定例会で学校設置条例の改正を目指す。(東部総局・尾藤旭)

【静新令和7426日(土)朝刊】

 


2025年4月24日木曜日

ロ一マ教皇死去 貧者のために尽くした  ローマ教皇フランシスコが亡くなった。(静新令和7年4月24日「核心・核論」)

 



ロ一マ教皇死去 貧者のために尽くした

 ローマ教皇フランシスコが亡くなった。

前日にギリスト教の主要行事「復活祭に姿を見せて代読の形で信者にメッセージを発したばかりで、世界に驚きが広がった。戦争や貧困、人権などについて絶えず発信し、寛容を説き続けた。力トリヅクの枠組みを超えて、人々が耳を傾ける言葉と存在感を持っていただけに、その死が惜しまれる。

 南米アルゼンチンに生まれ、イエズス会で聖職の道に。貧冨格差の激しい同国で困窮者を救済する社会活動に取り組んだ。

2013年、中南米出身で初の教皇に選出されると、13世紀のイタリアで清貧を貫いた聖人から取った「フランシスコ」を名乗る。「私は貧者のために尽くす貧しい教会を求める」と語った。

 権威に寄りかかることを嫌った。「教会は自らの殻を破り、辺境に向かうべきだ」との言葉通り、在任中に47回の海外訪問を果たす。訪問先ではスラムや刑務所を訪れて人々の間に分け入り、貧しい者と抱擁を交わした。その姿は、欲得と効率ばかりに傾く世界へのアンチテーゼに見えだ。

 19年にはローマ教皇著して38年ぶりに訪日して広島、長崎を訪れ、核兵器のない世界の実現。は「不可欠」と訴える。会見では東京電力福島第1原発事故に触れ、人的見解としつつ「完全に安全が保証されるまでは(原発を)利用すべきでない」とも踏み込んだ。

 死の前日のメッセージで、教皇が和平を呼びかけたのはロシアに侵攻されたウグライナの戦争やパレスチナ自治区ガザの紛争だはではない。レバノン、シリア、イエメン、アルメニ一ア、アゼルバイジャン、スーダン、ミャンマー・・・。世界中の紛争地を名指しした言葉からののぞくのは、最期まで「辺境」とそこで苦しむ人々への目配りだった。

(静新令和7424日「核心・核論」)


2025年4月18日金曜日

訃報 前聖隷福祉事業団理事長 山本敏博さん(やまもと・としひろ前聖隷福祉郵業度理學長)

 




 前聖隷福祉事業団理事長 山本敏博さん(やまもと・としひろ前聖隷福祉郵業度理學長)

14日午前10時38分、浜松市中央区の聖隷浜松病院で死去、80歳。沼津市出身。自宅は浜松市中央区東伊場。通夜は19日午後6時から浜松市中央区城北2の26の57のパルモ葬祭浜松貴賓館で。葬儀・告別式は近親者で行う。喪主は妻正枝(まさえ)さん。

 県立大の前身の静岡薬科大を卒業後、1968年に聖隷保養園(現・聖隷福祉事業団)に入り、聖隷浜松病院事務長や事業団本部事務局長などを歴任。2000年に3代目の理事長に就き、21年3月まで組織を率いた。13年から6年間、浜松商工会議所副会頭を務めた。

 05年1~3月に本紙コラム「窓辺」を執筆した。(静新令和7年4月17日朝刊)