| 2016年6月22日第24回参議院議員選挙候補者横顔 |
2016年6月24日金曜日
2016年6月2日木曜日
大腸がん治療の最前線
大腸がん治療の最前線 from thorudes
大腸がん治療の最前線
国際ソロプチミスト駿河特別講演会
県がんセンター絹笠祐介医師が解説
国際ソロプチミスト駿河は、特別講演会(一般市民公開講座)を先月、ホテル沼津キャッスルで開催。県がんセンター大腸外科部長の絹笠祐介医師による「"手術支援ロボット"による大腸がん治療の最前線」をテーマとした話を聴いた。
優れた手術支援ロボット
がんセンター大腸では活用例が全国1
絹笠医師は、大腸では便とガスが作られ、栄養を摂取する臓器ではないので、なくても生きていけるため、病気によっては全部を取る場合があることや「ポリープ」と言うと病気をイメージする人も多いが、「ポリープ」は病気の名前ではなく「盛り上がっているものは全部、そう呼んでいる」ことなどを説明した。
大腸ポリープの80%は腺腫と呼ばれるもので、大腸がんの多くはこの腺腫から発生すると考えられている。腺腫は悪化すると大腸の壁の中に入っていく進み方をするといい、腸壁内部にはリンパ節や血管があるので、リンパに転移したり別の臓器に転移したりすることになる。
大腸がんは、ステージゼロではポリープと同じ立ち居振る舞いをするので保険が下りないが、ステージゼロというのは適切な処理をすれば一〇〇%治ることを意味する。ステージⅡになると立派な進行がんと呼ばれ、さらに進んだステージ皿で発見されることが多いという。
がんは、放置されたままでいいというものは、ほとんどないため、早期発見と早期治療が大事になってくるが、大腸がんはステージⅢでも五年生存率が七七%で、多くの人が手術すれば治る。
便に血が混じって大腸がんが分かることもあるが、日本人の多くは痔を持っていて痔の血を区別するのは難しい。
内視鏡検査でも、腫瘍などで塞がっている個所があると、そこから先にカメラが進めないため診断ができず、見つかった腫瘍を取り除いた後の一年後の検査で前回検査で判別できなかった場所からがんが見つかるようなこともある。
このため、仮想内視鏡診断という検査方法を使うことが年々増加していて、今は内視鏡検査とほぼ同数、検査が行われている。
これは、現実の腸ではなくCG(コンピュータグラフィックス)を用いて再現した腸の内部を映して診断するものだが、現実のものを見るように内部を再現できる。
検査前に腸を空っぽにしておくのは内視鏡検査と同じ。
絹笠医師は手術について「腸を取ること自体はそれほど難しい手術ではない。(それより)リンパの手術をする方が難しい」とし、リンパは腸のような単純な構造でなく腸壁の内部に隠れた場所であることと器官の細かさが手術を難しくさせていることを説明した。
また、狭い隙間や肛門が近い部位の手術も困難だといい、外科医の技術レベルによって「(ある病院で)『肛門が残せない』と言っても、残せる(技術を持った)所(病院)もある」という。
排尿や性機能の器官の近くは特に難しく、「手術を受ける医療機関をしっかり選ぶべきだ」とアドバイスした。
次に、腹腔鏡手術について説明を移すと、開腹手術の代わりに腹腔鏡手術を行うことが現在は増えている、と説明。傷と痛みが少ないのが大きな理由だが、がんを退治することに命を懸けている医者の立場からすると、開腹して、しっかり見た方が安心できるという。
また、国内トップの病院三十を比べると、開腹手術後に合併症などを起こしたケースの割合は大きな違いはないが、腹腔鏡手術ではトップ30でも合併症が起きる割合に大きな違いがあり、腹腔鏡手術の技術には、まだ大きな差があるという。
「腹腔鏡手術が、なぜ難しいのか。この手術は三人で行うが、三人が共に、この手術に精通していることが求められる。腹腔鏡手術は習熟に時間を要する。多くの経験が必要になる」とした。
しかし、経験を積めば精度の高い手術ができるようになる、という。
県がんセンターでは平成二十三年十二月から稼動している手術支援ロボット「ダ・ヴィンチ」による大腸手術の件数が、全国でも圧倒的に一位。
絹笠医師は、腹腔鏡手術では三人の医師の腕を六本使うが、ダ・ヴィンチでは一人で四本の腕を操ることができ、助手の手を借りる場面が少なくなってきたことを説明。
「まるで患者さんの、お腹に乗り込んで手術をしているような感覚になる。小さい自分の小さな手が、お腹の中に入って手する感覚」だと話した。
(沼朝平成28年6月2日号)
2016年5月5日木曜日
まつり出演へ甲冑作り
まつり出演へ甲冑作り
沼津内浦小 段ボールを加工
沼津市立内浦小の4~6年生17人でつくる「内浦小甲胃(かつちゅう)隊」がこのほど、自分たちが着ける段ボール製の甲胃を同校で作った。同市で22日に開かれる「第2回長浜城北条水軍まつり」で身にまとい踊りを披露する。
同市観光交流課担当者らの指導の下、切れ目の入っている段ボールから甲胃の部品をくり抜き、開いている約300カ所の穴に荷造り用の紙テープを通してつなぎ合わせた。甲冑の胴や肩の部分の袖、腰回りの草摺(くさずり)を作った。胴の部分に好きな絵を描いて、自分だけの甲冑に仕上げる児童もいた。
甲胃作りと同まつりへの出演は昨年に続き2年目。6年生の土屋颯河君(11)は「昨年は自分の分を作ったので、今年は下級生の甲冑作りを手伝った。まつりでは楽しんで踊りたい」と話した。
【静新平成28年5月5日(木)朝刊】
沼津内浦小 段ボールを加工
沼津市立内浦小の4~6年生17人でつくる「内浦小甲胃(かつちゅう)隊」がこのほど、自分たちが着ける段ボール製の甲胃を同校で作った。同市で22日に開かれる「第2回長浜城北条水軍まつり」で身にまとい踊りを披露する。
同市観光交流課担当者らの指導の下、切れ目の入っている段ボールから甲胃の部品をくり抜き、開いている約300カ所の穴に荷造り用の紙テープを通してつなぎ合わせた。甲冑の胴や肩の部分の袖、腰回りの草摺(くさずり)を作った。胴の部分に好きな絵を描いて、自分だけの甲冑に仕上げる児童もいた。
甲胃作りと同まつりへの出演は昨年に続き2年目。6年生の土屋颯河君(11)は「昨年は自分の分を作ったので、今年は下級生の甲冑作りを手伝った。まつりでは楽しんで踊りたい」と話した。
【静新平成28年5月5日(木)朝刊】
2016年4月15日金曜日
2016年4月11日月曜日
2016年3月27日日曜日
沼津市 送水管理センター完成 建て替えで災害時対応強化
160327泉水源地一般公開 from 河谷杯歩 on Vimeo.
「海軍の遺産・沼津水源地・抜粋」 著者 今井 三好
・・・・・ちょうど其の頃、東京水道局はこの地方の水源から水をとって箱根越えで東京迄水を引く計画があるのを知って、水道局を訪れ情報を聞こうとしたが海軍に取られては困ると考えてか詳細には教えて貰えず、やむなく自力で現地を調べることになり、沼津駅から徒歩で半日も歩いて現在の沼津市水源池である柿田川湧水にたどりつきました。それまで写真伝送や伊豆大島でラジオビーコンの送信所の建設をしていて、水に悩まされ続けていた私を驚かせたのは、一日の水量が何と一二〇万トンという清らかな水が渾々と湧き出していることであった。
早速この豊富な水を利用することに決まり、艦政本部ではすぐ予算をつけてくれたが、同時に地元の利害をも考え市と相談し、経費節減の意味からも半額を出して貰って市にも水をやるようにとの事であった。
早速、名取沼津市長に其の旨申上げて議会に上程したが、急なことでもあり市財政の赤字を理由に断って来たので止を得ず海軍だけでつくる事になった。
水源地は静岡県駿東郡清水村八幡泉で清水製紙焼跡一帯がえらばれた。
工事は横須賀海軍施設部が直営で、私はオーナー格で指揮に当っていた。工事の中途で、韮山の江川代官がつくったという用水取水口が出て来た。当時ここから田方平野に水を引いていたと思われる代官の偉大さと遠大さにうたれました。
工事については狩野川の底を通す送水管の前例が我が国にはないので、技研の文献室にドイツの文献を取り寄せて貰い、ライン川の川底の事例を頼りに川底工事に成功いたしました。送水管の径一二〇ミリのものであった。こうして川底を渡した水をいったん高台の五〇〇トン入り貯水池にポンプアップして、最高時で一五〇〇人もいた技研の人達の生活用水と、研究用プールの使用にあてた。その外の水源地としては江の浦の基地用と多比の工場用をつくりました。
その頃沼津海軍工廠が出来ることになって、東京市水道局から嘱託として海軍工廠に猿渡さんが来られ、私に協力を求められましたので音響研究部の工事の忙しい中を許可を得て香貫山中腹海抜五〇米のところに配水池を建造した(送水管径五〇〇ミリ)。工事はカンテラを吊して素掘工事であった。
現在の市水道の水瓶である(現在貯水池を香貫山の中腹に貯えてポンプアップして大容量の準備が出来ている)当時は海軍工廠に引く迄には至らなかったが貯水池は完成していた。
終戦直後沼津市としてもこの水道を移管して貰いたいとの事で芝辻一郎沼津市長から混乱のさなか市産業課長青木昇平(県会議員)さんを随行させるからという事で横須賀海軍施設本部の焼津の疎開先又横須賀の鎮守府にと懸命に廻り管財局に仮移管を御願した。
そのことは沼津市水道事業の沿革の一節に沼津市が旧海軍から水道の移管を受けた当時の経緯が記されている。
今にして思えば、沼津市の皆さんは生れながらにして良い水に恵まれ、どこを掘っても豊富に水が出ていたので、何も高い施設費を払って水道をつくることはないという一般的な考えがあって、当時赤字財政を理由に水道投資の辞退を申出たのでしょうが、それにしても朝に晩にこの水を飲むことが出来る市民は幸である。
現在二〇万人口で八五パーセントが日量一〇万トンのこの水でうるおって居り、水道料金も全国一安いといわれている。
(一)清水村八幡に水を洩らす話
或る日、八幡の代表数名の方が見えて地元の私達に海軍の水を分けて貰い度いとの要求がありました。地元という事で上司に報告したところ、公然と水を分けてやる事は出来ないが、洩れる分には致し方なかろうという事で、私は地元に水を洩らすことになり、これが現在の清水町に水が行くことになった元だと思います。・・・・・
これは概略の部分ですが、今井さんの著書の一部です、海軍の上水道施設が沼津市のものになった経緯が分かると思います。
↓pdf資料
海軍の遺産・沼津水源地 from thorudes
清水町史資料より泉水源関連資料↓
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