2020年4月30日木曜日
2020年4月29日水曜日
2020年4月27日月曜日
2020年4月26日日曜日
東芝機械改め芝浦機械に
東芝機械改め芝浦機械に
59年ぶり商号に「芝浦」の名
長年、「東芝機械」の名で親しまれてきた同社は、今月1日付で「芝浦機械」に改称した。「芝浦」を使うのは59年ぶり。
同社は、1938年(昭和13)12月の芝浦工作機械設立を会社創業、49年(同24)3月の芝浦機械製作所設立を会社設立とし、61年(同36)6月、芝浦工機との合併により社名を東芝機械に変更した。
99年(平成11)4月に本社機能を東京から沼津に移して沼津本社とし、2017年(同29)3月、東芝が保有していた東芝機械の株式を買い取り東芝グループから離れた。
現在、沼津本社に沼津工場のほか、相模工場、御殿場工場、海外に上海、インド、タイの各工場を持つ。
同社は資本金124億8400万円、18年度の売り上げは連結で1174億500万円。従業員は単体で1772人、連結で3346人
2020年4月24日金曜日
2020年4月18日土曜日
後援会看板に虚偽のコロナ情報
後援会看板に虚偽のコロナ情報
山下蹴員が親族の貼付を認め謝罪、対処約す
16日、植松恭一議長宛てに「山下議員が新型コロナウイルスに関するデマを拡散している」といった内容の問い合わせが複数件寄せられたことから、真偽を確認。
山下議員の後援会の看板に市内の特定の地区名を挙げて「感染者が出た」とする、事実と異なる情報と共に外出禁止を呼び掛けるメッセージを印刷した紙が貼られていたため、植松議長が山下議員に問いただしたところ、本人も知らなかったという。
山下議員は直ちに、指摘された内容について親族に確認したところ、思い込みに基づいた情報を書いて印刷し、後援会の看板2枚に貼ったこと、一部SNS上でも同様の情報が掲載されていたことが分かった。
山下議員は「親族がやったこととは言え、私がやったのと同じ」だと反省。議会に対して謝罪を申し出たことから、代表者会が開かれることになった。
代表者会では、山下議員が「軽率な行為で、うかつにも議長に指摘されるまで家の者が貼っていたことに気付かず、多大な迷惑をかけたことは弁解の余地もない。私なりの責任を取りたい」と謝罪。
出席した議員からは「大変なことをしてくれた」との叱責もあったが、謝罪を受け入れ、「自分なりに責任を取り、今後の議員活動の中で市民のために今まで以上に新型コロナ対策に取り組んでほしい」と、処分などは検討されなかった。
植松議長は「親族がしたことであり、山下議員が皆と一緒に新型コロナ対策に一生懸命に取り組んでいることは知っている。今回の件は非常に残念ではあるが、自分達が発信する情報について正しい情報を伝えるよう改めて注意を呼び掛けるとともに、今後も市議会が一枚岩となり、新型コロナ対策に取り組みたい」としている。
【沼朝令和2年4月18日(土)号】
2020年4月17日金曜日
2020年4月16日木曜日
持ち帰り用「真乃文のおそうざい」
せめて味覚で季節感じてと
持ち帰り用「真乃文のおそうざい」
新型コロナウイルス感染拡大防止のための外出自粛で、市内の飲食店も苦戦を強いられている。
そんな中、日本料理店の真乃文(添地町)では、本格的な料理を手軽に持ち帰り、家庭で味わってもらおうと、「真乃文のおそうざい」と名付けたパッケージ販売を始めた。
「こんなご時世、せめて味覚で季節を感じていただけたら」と心尽くしのメニューは、「おそうさい」と言ってしまうにはもったいない滋味深いもの。
食材選びから、本来の出汁(だし)のとり方まで普段と変わることなく、体にやさしい味を提供していく。
週替わりで献立を変えていく予定で、ちなみに先週はA「厚揚げの甘辛煮と竹の子の土佐煮」=写真上、B「地物天然平目の南蛮漬け」=写真下。それぞれ1人前1パック500円(税込み)で提供している。
その週の献立はフェイスブックで毎週火曜日に発表。
同店では「季節感のある魚や野菜に重きを置いた献立で、お客様の食卓に潤いを運べたら」としている。
正午と午後5時以降に予約販売している。
問い合わせ、予約は同店(電話952の7808)。
【沼朝令和2年4月16日(木)号】
2020年4月15日水曜日
沼津市立図書館、戸田図書館を臨時休館いたします。
新型コロナウイルス感染症の
感染拡大防止の対応について
沼津市において、新型コロナウイルス感染者が確認されました。
感染拡大防止のため、4月11日(土)~5月6日(土)まで沼津市立図書館、戸田図書館を臨時休館いたします。また、自動車文庫の運行も休止いたします。今後の状況により、変更することもございます。ご了承ください。
なお、図書(相互貸借資料含む)は、ブックポスト(24時間返却可能)へご返却ください。
利用者の皆様には、ご不便ご迷惑をおかけしますが、ご理解ご協力をお願いいたします。
※「視聴覚資料」・「電子出版物」・「紙芝居」・「大型本」は、守衛室にて返却受付いたします。
返却受付時間は、午前9時30分~午後9時30分までとなります。(月曜日は除く)
※自動車文庫の運行は休止しますが、公用車にて所定の時間どおり巡回し、返却のみ受付けします。
沼津市立図書館
2020年4月12日日曜日
沼津・長谷寺で開帳 疫病平癒のご利益に願いを込め
きょうも浜の観音さん
疫病平癒のご利益に願いを込め
千本緑町の時宗長谷寺(遠山元浩住職)の例祭「春まつり」が11日に始まり、きょう12日にも行われる。
「浜の観音さん」と親しまれ、大曼陀羅が開帳される晩春の沼津の風物詩。明治期に描かれた百二十反大曼陀羅から昭和62年(1987)に生まれ変わった現在の百三十反大曼陀羅。強い浜風を受けて近年は破れなど傷みが出てきたため、1年をかけて修復が行われ、今年は再生した姿、お披露目の年。
11日午前は晴天に恵まれ、三々五々訪れる人達が見物台に上り、観音像を真正面から拝んでいた。
同寺の創建は古く、弘法大師空海が全国を巡る途中、平安時代初めの天長2年(825)に沼津に逗留し、地元の漁師達が信仰していた十一面福聚自在天観世音菩薩を安置したことが始まり。
一国で一力寺、「はせでら」を名乗ることが許された(そのほかの寺では読みは「ちょうこくじ」)駿河国の長谷寺で、駿河一国観音霊場三十一番札所、駿豆両国(横道)観音霊場十三番札所、東海道百地蔵尊九十五番札所。
時代が下り、江戸時代初頭の寛永8年(1631)、三枚橋城主を務めた松平庸親の長男、小松周防守が曼陀羅を寄進した記録が残る。
この寄進は、廃城となった三枚橋城と最後の城主となった大久保家を憂い、また、観音の加護により一命を取り留めたと伝えられる、平維盛の嫡男六代の供養、さらに航海安全祈願と海難供養のためのものだという。
遠山住職によれば、十一面観音には10のご利益があるとされ、その第1が疫病平癒。疫病が流行した時にすがるのが観音で、仏事の年中行事として行う祈願会を止めることなく行うことにこそ、寺の存在価値があると言う。
このため、今年の例祭では、参加者の位置関係が密接になる本堂での大数珠による百万遍は中止にしたものの、アルコール消毒液の用意など対策を講じた上で大曼陀羅の開帳を行うことにしたもので、千本浜公園児童公園には露店も出ていた。
大曼陀羅開帳は戦時中にも行われたといい、今年の開帳は周防守の時から数えて389年目。きょう12日は、雨の予報が出ているが、大曼陀羅はテントの中で開帳。顔に触れることもでき、これまでの例では、それが目当てで訪れる人もいると言う。
【沼朝令和2年4月12日(日)号】
新型コロナ感染拡大止まらず…
沼津・長谷寺で開帳
観音大曼陀羅に終息祈る
海の安全を守る「浜の観音さん」として地元で親しまれている沼津市千本緑町の長谷寺(遠山元浩住職)で11日、恒例の春の祭典が開かれた。今年は新型コロナウイルス感染の早期終息も祈願し、約400年前から続く観立大曼陀羅(まんだら)の開帳を行った。12日も午前9時から午後4時まで開帳する。
大曼陀羅は縦30㍍、横13㍍の帆布に墨で「十一面福聚自在天観世音菩薩(ぼさつ)」
が描かれている。祭典では、本堂前にクレーンでつり上げて掲げた。参拝者は境内の特設見物台に上り、静かに手を合わせていた。
感染予防のため、大曼陀羅の開帳以外の行事は中止・縮小した。遠山住職は「観音様の現世利益の第一が疫病平癒。感染が続き、イベントの自粛が求められているが、開帳についてはむしろやるべき時だと判断した」と語った。
現在の大曼陀羅は1987年に作られた。帆布が破れるなど傷みが目立つようになったため、1月に大修復を行つたばかりという。
(東部総局・マコーリー碧水)
【静新令和2年4月12日(日)朝刊】
2020年4月9日木曜日
市内、清水町に初感染者
市内、清水町に初感染者
新型コロナウイルス拡大
県は、市内に住む30代の会社員と清水町の成人、賀茂郡の高齢者夫婦がPCR検査の結果、陽性が判明し、新型コロナウイルスに感染していることを確認。8日午後に県庁で開かれた記者会見で公表した。
市内の会社員は、3月28日から仕事を休み、当時の都内の自宅で過ごし、29日に38・8度の発熱、倦怠感、筋肉痛があり、その後、解熱したが倦怠感や筋肉痛が続く状態に。
4月2日に在来線を利用し、品川駅から新幹線に乗って午後0時50分に三島駅に到着。在来線に乗って沼津駅に移動し徒歩で転居先の市内の自宅へ。
さらに4日から5日にかけて38度台の発熱が続いた。転居後、商業施設や小売店を数回利用したが5分前後の短時間の滞在で、外出時は常にマスクを着けていたという。
6日に症状の改善がないため徒歩で医療機関を受診。診察した医師が感染を疑って保健所に連絡しPCR検査用の検体を採取。7日に陽性が判明し、保健所が感染症指定医療機関に搬送して入院した。
現在は倦怠感、筋肉痛、息苦しさ(中等症)があるという。
一方、清水町の成人と賀茂郡の高齢夫婦は親子関係にあり、3人は3月28日に東京から自家用車で来た親族と夕食等で5時間を共に過ごし、その後、4月3日に東京の親族の感染が判明した。
清水町の成人は3月31日から発熱などの症状があり、今月1日に自家用車で医療機関を受診。その後も発熱や倦怠感などの症状が続いたことから5日に帰国者・接触者相談センターに相談し、6日に帰国者・接触者外来を受診。PCR検査検体を採取し、7日に陽性が判明し、感染症指定医療機関に入院した。発症後は医療機関受診以外の外出はなく、現在、発熱と倦怠感(中等症)があるという。
賀茂郡の夫婦は夫が先に発症し、今月2日に医療機関を受診。保健所の帰国者・接触者外来を受診してPCR検査を行った際に妻の検査も行い、陽性が判明した。
【沼朝令和2年4月9日(木)号】
2020年4月6日月曜日
長泉の男性感染 家族3人陰性
長泉の男性感染 家族3人陰性
県は5日、新型コロナウイルス感染が4日に確認された長泉町の30代の男性会社員について、同居の家族3人と同僚1人の計4人を濃厚接触者と認定した。同居家族3人はPCR検査を実施し、全員が陰性だった。県は、男性が出張で都内を訪れた際に感染した可能性が高いとの見解を示した。
一方、スルガ銀行は5日、感染した男性は長泉町の同行本部施設に勤務する社員と発表した。濃厚接触者に認定された同僚は3月31日に男性と職場で昼食をともにしたといい、今後検査を受ける予定。同行はこの同僚を2週間の自宅待機とし、県も男性の同居家族と同僚の健康観察を続ける。
同行によると、感染した男性は一般顧客と接触する部署ではないという。男性の立ち入り先の本部施設などの消毒も既に済ませている。本部の業務に関しては、少人数チームによる分散勤務体制を導入しているため、支障はないとしている。
【静新令和2年4月6日朝刊一面】
2020年4月5日日曜日
頼重市長が白洲信哉氏と対談 御用邸記念公園開園50周年迎え
頼重市長が白洲信哉氏と対談
御用邸記念公園開園50周年迎え
市は、沼津御用邸記念公園開園50周年特別対談会を3月28日、同公園東附属邸で開
き、頼重秀一市長と文筆家の白洲信哉(しらす・しんや)氏が同公園の歴史的、文化的価値や将来に向けての新たな展開などについて話し合った。
施設活用のアイデア
白洲氏が強み指摘し提案
白洲氏は1965年、東京生まれ。細川護煕(ほそかわ・もりひろ)首相の公設秘書を経て執筆活動に入り、日本文化の普及や書籍編集、デザインなどを手掛け、様々な文化イベントをプロデュースしている。
父方の祖父は、吉田茂首相の側近として活躍し、貿易庁長官を務めた実業家の白洲次郎氏。祖母正子氏は、母方の祖父が皇孫殿下(昭和天皇)の養育係だった川村純義伯爵。また、白洲氏の母方の祖父は文芸評論家の小林秀雄氏。
対談では、沼津市観光プロモーションの東京デスクを置くポニーキャニオンからデスクリーダーの村多正俊さんが訪れて進行役を務めた。
はじめに頼重市長が御用邸の歴史を話しながら、白洲氏が川村伯爵の玄孫(やしゃこ)に当たり、川村伯爵の別荘を宮内庁が買い上げて西附属邸としたこと、御用邸が廃止されて市に無償貸与され、1970(昭和45)年に市が管理する都市公園として同公園が開園し、今年で50周年を迎えたことなどを話し、「沼津だけでなく、国の宝」だとした。
白洲氏は「川村伯爵の玄孫だと言われても、祖母の正子が生まれた時には亡くなっていたので、川村家の何かがあるわけでもない」としながら、沼津御用邸について「海辺の素晴らしい場所として選ばれ、西洋の様式を取り入れて建てられた。100年の歴史の中で、いろいろな物語が培われ、昭和天皇との縁のつながりで今がある。沼津は魚市場だけでなく御用邸も素晴らしい。50周年事業には期待しており、できることがあれば協力したい」と話した。
記念事業のアイデアについて尋ねられた白洲氏は、「松と言えば能舞台で、松は神様の木と言われ、浜に関する演目もある。イベント以外にも建物は使ってなんぼで、保存と活用のバランスを取ることが大事。御用邸は日本の近代を知る上で大事な場所で、しっかりとした形で今も残っているものは少ない。玉突所のビリヤード台もプロに使ってもらえば感激すると思う。既存の建物や文化財を生かし、お金を生み出す工夫をすれば沼津の武器になる」とした。
市長は「富士山や伊豆半島ジオパーク、駿河湾、箱根など、世界的に有名な観光地の中央に位置する地形的優位性があり、『皇室ゆかりの庭園』ツーリズムとして、国土交通省に登録され、インバウンドで多くの観光客が見込める。これまでに積み重ねてきた日本の歴史や伝統文化を感じられる施設として活用することが大事で、特別展示も行う予定」だと話した。
白洲氏は「御用邸はパレスで、パレスに泊まれる所は、どこにもない。昭和天皇が暮らした場所で変な使い方は良くないが、泊まりたくても泊まれない場所。城に泊まるのは無理でも、ここは可能性を秘めている。板前の握った寿司をここで食べるなど、そういうのを好んで旅をするアッパークラスの人達もいる」との考えを示した。
市長は「御用邸でできること、どんな環境に身を浸すことができるか、ということを画像や動画配信で伝え、『女子旅』をテーマに御用邸をPRし、レトロ感のある空間、歴史を積み重ねてきた本物を提供したい」と返した。
白洲氏は一明治時代の西洋からの輸入文化と、皇室ゆかりの文化が融合した和洋折衷をアピールすることで、海外と日本、双方の観光客にとって気になるコンテンツになる。御用邸で禅や華道、茶道の体験等を提供し、日本の伝統文化との接点を持てるように活用していくのも良いと思う。まずは知っていただき、来ていただいてリピーターを増やすことが大事」だと提案した。
市長は、「ぬまづの宝100選」を紹介しながら「沼津には優れた地域資源がたくさんあるが、地元に住んでいると、その価値に気付かないこともある。今までなかった発想を聴かせてもらい、視野が広げられた。戦略的にPRすることで地域の宝を世界の宝にしたい」とした。
引き続き、同公園の木所克之所長による園内ガイドツアーが行われ、西附属邸では増築前に川村伯爵の別荘だった部分を紹介しながら白洲氏を案内。川村伯爵ゆかりの展示物や写真なども見てもらい、資料などを解説した。
※沼津御用邸は当時の皇太子(大正天皇)の御静養のために1892(明治25)年から本邸の建設工事が始まり、1893(同26)年に御座所、御学問所など日本建築の木造平屋建て1200平方㍍の本邸が竣工。 1896(同29)年に本邸新御座所、玉突所、侍医の詰め所、女官室などが増築され、皇太子の成婚を前にした1899(同32)年に用地を増地し、1900(同33)年に洋館、玄関、車寄が造られ、本邸建物と苑地が完成。1903(同36)年に学問所として赤坂離宮東宮大夫官舎を移築した東附属邸が造営された。
1905(同38)年に海軍大将(1904年、死後昇進)の川村伯爵の別邸を宮内庁が買い上げ、三親王用御用邸として西附属邸を設置。翌年(同39年)に皇居内賢所の附属仮建物を西附属邸に移築。1908(同41)年に御車寄、御料浴室、廊下などを増築し、敷地を拡大して1922(大正11)年には玉突所を増築した。
終戦を目前にした1945(昭和20)年7月、沼津大空襲で本邸が焼失。戦後も皇室による利用は続いたが、それまでのような長期間の利用は減り、昭和天皇・香淳皇后が滞在する際には主に西附属邸が利用され、本邸が再建されることはなかった。
1969(同44)年に沼津御用邸が廃止され、宮内庁から大蔵省に移管されて沼津市に無償貸与。翌70年に文化教養、休養のための都市公園として沼津御用邸記念公園が開園し、一般公開が始まって50周年を迎えた。
2006(平成18)年には、都市公園法施行50周年記念事業で「日本の歴史公園100選」に選ばれ、16(同28)年には近代日本における近郊海浜保養地の優れた風致景観を伝える事例として、一部の景観が「旧沼津御用邸苑地」の名称で国の名勝に指定されている。
入園料100円(小中学生50円)。西附属邸の観覧料は入園料を含め410円(同200円)。30人以上の団体は260円(同130円)。いずれも幼児無料。
開園時間は午前9時から午後4時半。
問い合わせは同公園(電話931ー0005)。
【沼津朝日2020年(令和2年)4月5日(日曜日)】
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