2025年3月8日土曜日

新たな理念の構築急げ 藤原辰史  【静新令和7年3月8日(土)朝刊 現論】


 


 新たな理念の構築急げ 藤原辰史

 「ふじはら・たつし 1976年北海道生まれ、島根県育ち。京都大で博士号(人間・環境学)取得。東京大講師などを経て、2013年から現職、農業史・環境史力薄門。著書に「ナチスのキッチン」「分解の哲学」など。」

 パレスチナのガザを「所有」し、中東のリビエラにする、ガザの住民たちはエジプトやヨルダンに住めばいい、と米国のトランプ大統領が言う。イスラエルの首相は共同記者会見でそれを支持する。

 大統領は自身の交流サイト(SNS)にリゾート地と化したガザの様子を人工知能(AI)に描かせた映像を投稿。首相と共に海岸で、水着で寝転がる。米テスラの社長が金をばちまく。大統領は半裸の女性と踊る。彼の黄金像が輝く。徹底的に破壊した街に侮辱と愚弄(ぐろう)の言葉を投げつけるものだ。反トランプ派のアカウントの乗っ取りだと思ったが違った。

 世界の劣化

 ガザの被害者たちへの「弱いものいじめ」。これはまさに、私たちの世界における劣化の典型例だ。202310月、ハマスをはじめとするガザ地区の党派の連合体が蜂起した時には既に、ガザはイスラエルの長年の空爆と厳しい経済封鎖で食料も医療品も尽き、国際援助なしには生存が不可能な限界地帯だった。

 政治経済学者のサラ・ロイは、著書「ホロコーストからガザへ」の中で、イスラエルが一連の外交政策の中で占領問題の責任から逃れ、国際機関が救うべき「人道問題」にすり替えたことを批判している。

 イスラエルが米国からも購入した大量の爆弾を落としてきたその地域で、自分が半裸で寝そべる映像を発信できるのは、どんな精神構造だろう。

 ハマスの振るう強権によってガザの民心は離れつつあるが、住民たちがイスラエルに近いパレスチナ解放機構(PLO)主流派のファタハに愛想をつかせて選挙でハマスを選んだことも事実だ。

 そもそもイスラエルが建国以後、ガザの住民から土地も水源も家も奪い、他国へ追放しているごとを「テロ」と呼ばないのであれば、そして、暴力以外に抵抗する方法がないほど追い詰めることが非難されないのであれば、そこでの蜂起を「テロ」と呼ぷ権利は私たちにはない。そこをリゾート地にして住民を追放することこそ、戦懐(せんりつ)すべき暴力として非難されるべきだ。

 二枚舌

 ユダヤ人、スラブ人、ロマや障害者を愚弄したヒトラーでさえ、空爆で破壊し占領した地域で金をばらまく映像を作らせたことはない。そんな映像を作れば自分の人品が疑われる程度のことは彼もわきまえていた。今、ナチス登場時にも匹敵する速度で、理念と人間性の破壊が一気に進んでいる。

 それが、19389月、現地の人々抜きで英仏独伊の指導者らがチェコスロバキア・ズデーテン地方をドイツに割譲することを決めたあのミュンヘン会談に匹敵する程度にまで進んでいることは、ゼレンスキー・ウクライナ大統領に対する公開の場での侮辱からも分かるだろ、う。

 ただ、トランプ政権を擁護するつもりはまったくないが、世界全体の幼稚化に道をつけた大きな原因の一つは、コロナ以降ますます明らかになった欧州諸国の相対的な経済力の低下と、それを背景とした、民主主義を名乗る国々の「二枚舌」だと思う。

 昨年は中東やアフリカから地中海・欧州に向かう難民のうち約3千人が死亡または行方不明になったのに、ウクライナの難民はペットとともに歓迎された。映画「グリーン・ボーダー」(邦題「人間の境界」)では、ベラルーシのルカシェンコ大統領が招いてポーランド国境に送り込んだ北アフリカ諸国やシリアからの難民が、双方の国境警備隊などから暴力を受けた一方で、ウクライナの難民が丁重に扱われた史実がテーマとなっている。

 そのような欧州の国々がロシアや米中に人権を守れというのは説得力に欠ける。入管で他国での迫害から逃れてきた人々を人間扱いしない日本も同様だ。そんな国々では、自身の欲望に忠実な「一枚舌」が力を持つのは必然である。

 今後も世界の荒天は続くだろう。外交は下劣になり、行き場のない怒りは容易に暴力に発展するだろう。粗暴は伝染する。政治が野蛮化する空気の中で自分の思想的変質を止めるのは意外に難しい。トランプ主義と二枚舌外交の双方を否定し、力を振りかざす論理とは異なる理念の再構築に即座に着手せねば、もう世界はもたない。日本はその事業にまい進すべきだ。

(京都大人文科学研究所准教授)

【静新令和738()朝刊 現論】

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