2019年1月29日火曜日

「政府統計不正」(静新平成31年1月29日「核心・核論」)沼津兵学校杉亨二教授の警告を聞かない政府



政府統計不正
 軽視の空気が今も充満

 「寸」の右に「多」。「知」の下に「寸」。「知」の下に「久」。これら三つの合成文字を並べて「スタチスチック」ー。日本の統計学のパイオニア、杉亨二(こうじ)(18281917)は統計学をドイツ語の呼称そのままに呼ぼうと提唱した。

 杉は日本初の統計年鑑を編むなど明治政府で活躍し退職後は統計学の普及や人材育成に取り組んだ。「統計」の字面には数えて分類するという意味しかなく、統計を基に社会現象を分析するという学問の中身が伝わらないとの理由だった。

 スタチスチックの呼称は広まらなかったものの、杉はその後も物の数を並べさえすれば統計とするのは「無方法、無責任の数字」を許すことになると警告を鳴らし続けたという(宮川公男著「統計学の日本史」)
 その予言が当たったか、太平洋戦争の直前、統計に基づく分析で、米国との戦争は不利との結論を出した陸軍内部の報告は採用されず、資料は焼却処分に。そんな統計軽視の風潮が、今の政府統計不正を招いたとみるのは、うがちすぎだろうか。
 不正が見つかった厚生労働省は、インフルエンザの薬タミフルや子宮頸がんワクチンの副作用の実態を、統計学で解明することに立て続けに失敗。カネミ油症など公害事件の被害者救済が進まないのも統計学の欠如が一因といえる。発がん物質アスベスト(石綿)がどの建物にどれだけ使われたかを示す統計データもない。統計軽視の空気は霞が関に充満している。
 政府によれば「ビッグデータを人工知能(AI)が解析し社会の諸問題を解決する」という「ソサエティー50」が日本の目指す姿だそうだ。だが社会が求めるデータを集めようとせず、信用できないデータを自ら作っているようでは冗談にしか聞こえない。
【静新平成31129()「核心・核論」】






「図説沼津兵学校より」沼津市明治史料館発行
杉 亨二(こうじ)

杉 亨二 こうじ (員外教授方)
文政11年長崎に生まれる。初名純道。大坂の緒方洪庵や江戸の杉田成卿の門に入り蘭学を学ぶ。勝海舟の知遇を得、その推薦で老中阿部正弘に仕える。やがて蕃書調所に出仕し、その教授をつとめた。維新後は駿府に移住し、藩首脳に政表(統計)調査の必要を訴え、明治2年に沼津と原で我が国最初の近代的な戸口調査を実施した。また静岡学問所でも教鞭をとったが、明治2年末には沼津兵学校員外教授方に転じ、やがて二等教授方となった。明治4年に政府に出仕、以後左院・太政官・統計院などで統計調査・戸籍調査を推進した。明治15年には共立統計学校を設立して、一層の統計学普及につとめた。また、明治初期には明六社のメンバーとしても活躍している。大正6年没。我が国統計学の始祖、国勢調査の先唱者として知られる。

(代戯館HPより)

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