スカンジナビア号が「ふね遺産」に
日本船舶海洋工学会が認定
日本船舶海洋工学会は、歴史的で学術的・技術的に価値のある船舟類および、その関連設備を文化的遺産として次世代に伝えようと「ふね遺産」に認定しているが、今年で9回目を迎える認定審査がこのほど行われ、6月16日付で非現存船ながら、スカンジナビア号が認定された。
スカンジナビア号はディーゼルエンジンを搭載したモーターシップで、クルーズ客船「ステラ・ポラリス」として1926年にスウェーデンで建造された。以来、世界の海で活躍し、40年にナチスドイツに接収されて軍事利用されたが、46年にスウェーデンに戻りクルーズ船に復帰。70年に日本の企業に売却された。以来、西浦木負に係留され、フローティングホテル・スカンジナビアとして営業。長年、市民に親しまれ、その後レストラン事業に業態を変更したが、業績の悪化で2005年に営業を終了した。
その後、地域住民らが中心となって「スカンジナビアを保存する会」を立ち上げ、保存を訴える活動も行われたが、06年にスウェーデン企業への売却が決まり、8月31日にタグボートに引かれて木負を出航。上海に寄港して改修し、スウェーデンに向かう予定だったが、9月2日、和歌山県沖で沈没した。
木負のカフェ&ランチ海のステージ店主の前島希久也さんは、スカンジナビア元船長(支配人)の故安楽博忠氏から譲り受けたステラ・ポラリスの航海日誌など縁の品、思い出の品を集め、スカンジ一ナビア号資料館を店内に設けて一般公開。「伝説は今も生き続けている」と、来賓も招いてスカンジナビア号の思い出や伝説を語り継ぐイベントを定期的に開いている。
同学会による「ふね遺産」の認定は53号目で、非現存船では第13号。スカンジナビア号はヨーロッパのロイヤル・ヨットの伝統をよく伝える秀麗なクルーズ船とされ、日本初のフローティングホテル・レストランとしてレジャー産業の創設と地域振興に多大な貢献を果たしたことや、世界的にも貴重な船舶海洋文化遺産として、地域住民による自発的な保存運動を呼び起こし、現在も、その活動が続けられていることなどが評価された。
認定書及び認定プ一レートは9月ごろ、海のステージに贈呈される予定。
前島さんは「協力してくれた皆さんのおかげでスカンジナビア号が、『ふね遺産』に認定された。認定証が届いたら資料館に展示し、今後も講演会などのイベントを企画していきたい」と喜んでいる。
5月にはスカンジナビア号の講演会
和歌山沖に沈む今の姿捉えた映像も
一方、5月にはスカンジナビア号資料館と実行委員会の共催により、トークイベント「スカンジナビア号の物語~歴史を刻んだ船、そして海底への旅」を三津の内浦地区センターで開き、約160人が参加した。
講師4人による講演が行われ、はじめに信州大学名誉教授の伊藤稔さんが「スカンジナビア号の歴史と功績」をテーマに話し、続いて沼津史談会の長谷川徹副会長が「船と歩んだ沼津の歴史」をテーマに、スカンジナビアが木負に係留される前の沼津のまちなかの様子、その後の変遷を話した。
次に、清水町サ≧トムーン柿田川3階、幼魚水族館の館長で岸壁幼魚採集家の鈴木香里武さんが「少年時代のスカンジナビア号との想い出」と題して講演した。 鈴木さんは4歳の頃から毎年、スカンジナビア号に家族で宿泊し、近くの岸壁で初めて小さな魚を採取し、「現在の活動の原点になった」と言い、30年程前の当時ホテルだったスカンジナビア号の船内や客室の様子を映した。
また、小さな体で大海原を生き抜く幼魚の魅力を紹介し、「幼少期の体験は大事で、スカンジナビア号に泊まったことで今の自分がある」と話した。
最後に(ダイビングショップを開くスティングレイ・ジャパン代表の野村昌司さんが「海の底で静かに鼓動するスカンジナビア号の今」と題し、和歌山県沖の水深70㍍余の海底に沈むスカンジナビア号を撮影した動画を公開した。
野村さんは36年間に8000回以上ダイビングし、最深122㍍まで潜るテクニカルダイパi。1人当たりタンク5本、総重量100㌔超えの重装備で潜水チームを組んでスカンジナビア号の現状を記録し、沈没から約20年後の現在の姿を捉えた。
この潜水は5月に9日間の日程で行ったが、風や潮の流れの影響で潜れたのは3日間。砂地に全長約130㍍の船体が沈み、「1㍍のヒラメ、人間程の大きさのサンゴなど、生物のすみかになっていた。今まで、いろんな場所に潜ったが、これだけたくさんの生物が見られたのは初めて」だと言う。
船体中央の煙突、一船内の壁は崩れ、船首のマストは折れていたが、後方のマストは残っており、丈夫な造りだったことをうかがわせた。中央のスイートルーム、メーンダイニングなどの映像が当時の面影を偲ばせた。
野村さんは「スカンジナビア号には強い思い入れはなかったが、実際に潜り、皆さんの話を聴く中で、変化していく姿を、できる限り記録として残したいと思った。潜れるダイバーも限られるので、(記録として残すのは)我々の使命だと感じる」と話した。
終わりに前島さんが「かつてスカンジナビア号は、あって当たり前だったが、無くなって寂しく思う。最後の船長だった安楽支配人から預かった伝統を、これからも資料館で伝えていきたい」と語った。
【沼朝令和7年7月3日(木)号】
0 件のコメント:
コメントを投稿