高輪築堤一部史跡指定へ
明治の鉄道遺構、文化審が答申
JR駅再開発で出土
文化審議会は23日、1872(明治5)年に東京・新橋と横浜を結ぶ日本初の鉄道が開業した際に造られ、東京都港区の高輪ゲートウェイ駅周辺の再開発で出土した「高輪築堤」の遺構の一部を史跡にするよう萩生田光一文部科学相に答申した。近く答申通り指定される。史跡にする手続きには数年かかるのが通常だが、遺構の存在は昨年12月にJR東日本が公表したばかりで、異例の早さでの指定となる。
遺構について文化審は今年3月、再開発を念頭に「保存に緊急的に取り組む必要がある」と意見表明。文化庁が史跡指定の作業を急いでいた。
日本考古学協会などは現地での全面保存を求めたが、JR東は史跡となる部分以外は移築や記録として残すための調査を行った後、埋め戻すか取り壊して再開発を進める。
遺構は駅西側で約800㍍にわたって断続的に見つかった。陸側には当時軍用地などがあり、用地取得や測量が難しく、浅瀬の海上に盛り土をして線路を敷いた。線路の下に船を通す水路があった「第7橋梁」を含む約80㍍と、その北側の約40㍍が、良好な状態で残っているとして史跡になる。
築堤は、往時の姿が錦絵にも描かれた。答申は「わが国の交通の近代化や、用いられた土木技術の歴史を知る上で重要」と評価した。
既に指定されている「旧新橋停車場跡に追加し、名称を肩新橋停章場跡および高輪築堤跡にする。
史跡指定部分についてJR東は4月、計画を変更し現地保存すると発表。再開発は当初の予定通り2024年度を目指して進めるとした。
※高輪築堤1870年に着工し、72年に完成した。当時は海だった現在の田町駅付近から品川駅付近までの約2・7㌔を埋め立てて盛り土し、その上に線路を敷設。浮世絵の一種の錦絵に土手を走る蒸気機関車が描かれ、以前から存在は知られていた。その後の一帯の埋め立てで壌されて残っていないとされていたが、盛り土を囲う石垣や線路に敷かれた石、信号機の土台が見つかった。
【静新令和3年8月23日(月)夕刊】
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