2021年8月24日火曜日

閉店セレモニーに多くの人 ヨーカドー・イシバシプラザ

 

閉店セレモニーに多くの人

ヨーカドー・イシバシプラザ

 イトーヨーカドー沼津店をキーテナントとする高島本町のショッピングセンター・イシバシプラザが22日に閉館した。閉館時刻の午後7時過ぎには、1階正面入り口前のレンガ広場を埋め尽くすほどの人が集まり、閉館セレモニーが開かれて43年の歴史に幕を下ろした。



 同プラザは、同所で操業していた石橋製糸沼津工場が1973(昭和48)に廃業したのを受け、78(53)713日に開館。当初は沼津駅南地区の商店により進出に対する反対運動も起きたが、その後、関係を調整して沈静化。工場跡の31492平方㍍に、延べ床面積56765平方㍍の鉄筋コンクリート造地下1階、地上5階建ての建物が建設され、イトーヨーカドーを核に60の専門店によりオープンした。



 当時、中心市街地には大型店が軒を連ね、十字屋、西武百貨店、長崎屋、ニチイ、富士急百貨店、丸井、ヤオハンで沼津市大型店会が組織されるなど、県東部地域の商都として一時代を築いたが、商業環境の変化や厳しい経済情勢にさらされ、現在、残った大型店はない。

 駅北地区随一の集客施設として活況を呈したイシバシプラザも、時代の変化や郊外への大型ショッピングセンター進出等の影響、さらに新型コロナウイルス感染拡大や建物の老朽化が追い打ちをかける形で、「これ以上の営業継続は不可能」との判断に至った。

 閉館当日の22日、閉店売り尽くしセールで品薄となったイトーヨーカドー、既に閉店したテナントも増えたイシバシプラザ専門店街は、最盛期を彷彿とさせるにぎわいとなった。

 1階セントラルコートには、「動く彫刻」の第一人者として知られる東京芸術大学名誉教授、伊藤隆道氏が制作した鏡面ステンレスパイプによるモーター駆動のモニュメント「一本の糸・舞う」が設置されているが、東日本大震災が発生した2011311日以来、停止していた。

 これを約10年ぶりに駆動させ、来店者からは「モニュメントが動いている」と一斉に感動の声。スマートフォンで動画を撮影していた40代の男性は「子どもの頃、ここでモニュメントが動いているのを見ているのが好きだった。最後に見られてうれしい」と話した。

 また、3階あおそらひろばにはオープン以来、アスレチックの遊具が設置されているが、親子連れが記念撮影を楽しんでいた。

 30代の母親は「私も子どもの頃に遊んだのでなくなるのは寂しい。親子二代が同じ遊具で遊んだ記念」と話していた。

 閉店時刻が近付き、「ホタルの光」が流れ始めてからも続々と来店者があり、レジは長蛇の列。買い物の後、来店者の多くが閉館セレモニーを見ようとレンガ広場に移動し、人波であふれた=写真=が、感染防止のため、会話する人もなく、静かに始まるのを待った。

 


セレモニーでは、従業員が入り口前に並び、はじめにイシバシプラザの石橋昭彦社長が「多くの商業施設が撤退する中、きょうまで営業してきたが、閉館して沼津の歴史になる。皆様の思い出として残してほしい」と願った。

 続いて、イトーヨーカドーの地引正美店長が「たくさんの思い出と歴史が詰まった店を閉店させてしまい、申し訳ない。従業員の8割が地元採用のパートで、多くの従業員がヨーカドーを去ることになる」と涙を浮かべ、声を詰まらせながら、「43年間、ご愛顧いただき、本当にありがとうございます」と感謝した。 花束贈呈に続き、従業員一同が店舗内に入って頭を下げ、徐々にシャッターが下りていくのを集まった人達は静かに見守った。

 セレモニーの様子をスマホで撮影していた近くに住む70代の女性は「オープン以来、毎日のように利用して生活を支えてもらい、知人も働いていた。閉館は寂しく、涙が出てくるが、動画は沼津の歴史として残し、家族や知り合いにも見せたい。跡地には、今までのように買い物できる商業施設が出

来てほしい」と話していた。

【沼朝221年(令和3年)824日(火曜日)】

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