昔の人はかなり健脚!
交通手段が発達していなかった時代、人々はどのくらいの速さで移動していたのでしょうか。約1200年前の平安時代の法律では、1日あたりの徒歩での移動は約27㌔と決められていました。静岡市から島田市までと同じくらいです。ただし、移動は税の運搬など、国の命令による用事に限られ、庶民が自由に旅をすることはできませんでした。
鎌倉時代は、複数の紀行文から鎌倉から京都まで徒歩で12~14日間、1日で静岡市~富士市くらいの距離を移動していたことが分かります。江戸時代初期も同程度でした。毎日約8時間歩き、それを持続するのですから、現代から見るとかなりの健脚だったといえます。
一方で、緊急事態が起こった場合、幕府の通信業務を担う「継飛脚」は宿ごとに飛脚が交代し、江戸~京都間を3日間で文書を運んだとされます。また、「かご」も使われるようになりました。1701年、江戸城で浅野内匠頭(あさのたくににかみ)が吉良上野介(きらこうずのすけ)を斬りつけた事件を知らせるために「早かご」が使われました。4人でかごを担いでリレー形式でつなぎ、江戸から兵庫県の赤穂まで約600㌔を4日半で走ったとされます。早かごは走る方も必死でしたが、かごの中の客も振り落とされないよう、天井か、ら垂れるひもをしっかり握る様子が浮世絵に残されています。
徳川家康が街道を整備し、さ"らに宿場や馬を留め置く駅舎の設置を制度として整えました。だからこそ、「早かご」などの移動方法が広がり、庶民も安'全に旅ができるようになるなど交通が発展したのです。
(静新令和6年12月8日「週間ヨモコ静岡」静岡の道の歴史)
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