2012年6月28日木曜日
西武沼津店撤退:静新・沼朝記事
収支改善せず決断 西武沼津店閉店
来年1月末営業終了 市などに報告
西武沼津店(沼津市大手町)の閉店方針を固めたセブン&アイ・ホールディングス傘下のそごう・西武(東京都、山下国夫社長)は27日、同店の営業を2013年1月末で終了することを正式決定し、沼津市、沼津商工会議所などに報告した。
沼津入りした松本隆取締役専務執行役員が栗原裕康市長、市川厚会頭らに説明した。市長と会頭はともに、閉店方針の再考を要請したが、撤回は難しいとみられる。西武沼津店が閉店すれば、富士市以東の県東部から百貨店はなくなる。
同社は撤退の主要因に同店の業績不振を挙げた。ピークの1992年2月期は206億円を売り上げたが、郊外型商業施設の台頭などで2012年2月期は、そごう・西武の26店舗中最下位の74億円まで縮小した。損益面では10年2月期以降、3年連続で約1億円の赤字を計上した。フロアの手狭さ、老朽化なども懸案だった。
松本取締役は栗原市長との面談後に取材に応じ、「コスト低減のさまざまな努力をしたが至らず、断腸の思いで閉店を決めた」と述べた。
西武沼津店では約660人が働いている。このうち、そごう・西武が管理する正社員、契約社員の計180人はグループの他店舗への配置換えなどで対応する。残りのテナント従業員などについても「できる限り再就職の支援をする」(山本辰美店長)という。
1957年開業の西武沼津店は西武百貨店の地方第1号店。長年、街のランドマークの役目を果たしてきた。市川会頭は「撤退後の利活用は非常に重要な案件。地元商店街とともにまちづくりの在り方を考えていく」と話した。
駅前都市機能検討委を設置 沼津市
西武沼津店(沼津市大手町)の撤退決定を受け、沼津市の栗原裕康市長は27日、中心市街地の活性化と都市機能の再生・集積に向けて協議する、沼津駅前都市機能検討委員会」を庁内に設置した。
「(西武沼津店は)沼津の顔。企業の経済活動とはいえ、行政として放置するわけにはいかない」ー。栗原市長は同日午前の定例会見で、JR沼津駅前の再生に全力を注ぐ必要性を強調した。
中断状態が続いている沼津駅付近鉄道高架事業と西武撤退の因果関係については「断定できない」と否定した。そごう・西武側には今後も慰留を続けるとしたが、「非常に厳しいと思う。(同委を中心に)跡地をどうしていくかということも視野に入れながら検討しないとまずい」と危機感を露わにした。
同委員会は今後、沼津商工会議所や地元の地権者らとの連携を密にしながら、店舗の跡地利用なども視野に入れて検討に入る。
駅前の空洞化懸念 県百貨店協会長
県商業まちづくり室によると、西武沼津店が撤退すると県内の百貨店(県百貨店協会加盟店)は、最盛期の7店舗から3店舗まで落ち込む。県百貨店協会の丹羽亨会長(松坂屋静岡店長)は「駅前立地で高コスト体質の百貨店はどこも厳しい。ひとごとではなく、変革していかなくては」と危機感を示した。
百貨店は郊外型の大型店などとの激しい価格競争にさらされてきた。インターネット販売などで購買スタイルも大きく変化。百貨店は地方都市の不採算店舗で閉鎖が続く。県内は遠鉄百貨店(浜松市)が開店した1988年から西武浜松店が撤退した97年までが最盛期。西武沼津店の閉店後は松坂屋静岡店、静岡伊勢丹、遠鉄百貨店の3店舗のみとなる。
丹羽会長は「百貨店撤退は駅前の空洞化を一層進ませてしまう。行政と街が一体となって魅力づくりをしていかなければ、百貨店の"選択と集中"はさらに進む」と指摘する。
《静新平成24年6月28日(木)朝刊》
衝撃走るー西武沼津店撤退へ
来年1月31日で営業を終了
大激震走るー西武沼津店撤退へ。そごう・西武は二十七日、西武沼津店の営業を来年一月三十一日で終了することを同日の取締役会で決定した。日本経済新聞が二〇一〇年一月二十七日付の紙面で西武、そごうの各地からの撤退を報じた中に西武沼津店の名も挙がり、翌一一年二月の閉鎖が言われて市内関係方面に動揺が走り、この時は直ちに打ち消されたものの、二年を経て現実のものとなる。
揺らぐ拠点性 どうする今後の回遊性
西武沼津店は昭和三十二年、地方出店の第一号として、現在の本館が開業。「沼津で東京のお買いもの」をキャッチフレーズに、市内はもちろん、周辺、伊豆方面からも買い物客を集め、その後、新館が出来、二館体制で営業を続けてきた。
しかし、車社会の到来と進展に伴って郊外へ大型店が出店。その影響を受けるとともに、近年は日本経済の落ち込みを受けてデフレが進み、消費者が日用生活雑貨、衣類、医薬品、生鮮食料品までワンストップで購入できる大型量販店などで安価な品を買う傾向となっている。
こうした事態に都市中心部にある従来型の百貨店が全国各地で苦戦。西武百貨店は県内で浜松、静岡各店を相次いで閉鎖。最古参の沼津店だけを残している。沼津市内の大型店事情も、士子屋、ニチイ、長崎屋、丸井が姿を消し、かつての消費の拠点性を失っている。
こうした状況の中で西武沼津店も苦戦は否めず、売り場の一新、物産展企画の強化など集客対策に努め、一時は増収も見せたが、さらに郊外型店との競争が強まり、各地の西武、そごうの不振店舗の整理、経営の見直しに迫られる中で、閉鎖の対象となった。
これについて栗原市長は二十七日午前に開かれた定例記者会見で、「正式には聞いていないが、本当だとしたら、まことに残念。二年前の一月に日経(日本経済新聞)がすっぱ抜いた後、三月に(西武百貨店の)社長が見えた。その時には『沼津は鉄道高架も進み、素晴らしく蘇えるので、今撤退するのは損じゃないか』と言ったら、(撤退を)止めたんです。今、難しいんじゃないかな。鉄道高架も進んでいないし」とし、この事態を想定していたかについて、「ずっと前から…十年程前から西武が出て行くという話は出ていた。百貨店は全国どこも厳しい状況だった。(今回の撤退話に)当然、できるだけなんとか頑張ってもらいたいというお願いはする。もし、どうしても撤退するということであれば、我々としても、対応を考えなければならない」と話した。
また、沼津商工会議所の木戸英寿専務理事は、「現在(二十七日午後一時半時点)事実確認をしているところだが、事実だとすれば、開業以来、五十五年間続いてきた県東部地区のポテンシャルを失うことになり、痛恨の極み」だと話した。
一方、市商店街連盟の芦川勝年会畏は一歩踏み込み次のように語った。
開業以来、五十五年間、まちのランドマークとして沼津の商業、中心市街地をけん引してきてくれたことに、まず感謝したい。二年前に撤退が報道された時には驚いたが、全国の地方都市において、百貨店の撤退が社会現象になってしまった。県内で百貨店と言える商業施設が限られた中、沼津で唯一の百貨店である西武が撤退すれば、沼津の拠点性が失われるだけでなく、精神的にも失うものが大きい。
これまでに十字屋、長崎屋、ニチイが撤退し、まちから(そうした店舗での購買層であった)婦人層が消えた。丸井の撤退で若者が消えた。黒字営業で成り立っていた丸井の撤退は、沼津が変わらない、行動してくれないという、まちづくり事業への疑問を持ったためではないかと思う。
しかし、そうした状況にあっても西武は沼津の将来性を信じ、駅周辺の基盤整備が、なかなか進まない中で、よく頑張ってきてくれた。ただ、残念なのは、沼津駅南北自由通路が暫定的にでもあれば、多少考慮の余地はあったかもしれないということ。
これから沼津駅南北の北には新しいキラメッセ、コンベンションホールが誕生するというのに駅南北の回遊性を確保していかないと中心市街地としての存在価値が揺らぎ、暖昧なものになってしまう。ここで腹をくくらないと、駅南北の空いた土地に資本投下しようという企業も現れないだろう。
西武は長年、中心市街地における回遊性の一翼を担ってくれた。閉鎖は、まことに残念。
《沼朝平成24年6月28日(木)号》
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿