虚構と現実 仙石規
水の都ヴェネツィアで、悲鳴が上がっています。千年以上にもわたり徒弟制で守り続けた伝統芸術のヴェネツィアン・グラスが滅亡の危機に瀕しているのです。
製作法を盗用されないようにと、職人たちが小島ブラーノに幽閉状態にされていた時代までありました。それが、コンピューター技術を駆使した立体製作機で容易(たやす)くコピーされるようになり、中国などから本物そっくりのガラス製品が、安価で流入しているのです。
アニメや映画も、コンピューター処理で現実と違わない映像を再現できるようになっているのは周知のことかと存じます。
虚構の世界の景色やアニメーションの人物に熱狂する人たちは増えるばかりです。生身の相手に恋することを不安に感じ、虚構の世界の異性たちに情熱を傾ける若者は、欧州では、あまり見かけません」
「日本の若者は、どうして魂がないアニメのキャラクターに熱中して、グッズを集めたりするの?よほど時間とお金に余裕があるのね、もったいない」と難民支援ボランティアの人が嘆いていました。
そうです、魂のないものに熱狂して何になるのでしょうか?魂を宿し生きてゆくものこそを大切にして、愛したり助け合ったりしてゆくことが、人間としての務めではないでしょうか?
自然のもの、生けるものは、みな歳月と共に衰えて、老いてゆきます。虚構のものは老化する心配はありませんが、「心」がありません。「心」は、衰えることはあっても死を迎えるまで輝かせることが可能です。
現実を昇華させて、輝かしい虚構に変換することが「芸術」なのでしょう。音楽・文学・美術は、時を超えて接する人々の魂を揺さぶるのです。
二十一世紀は、お金と情報が氾濫するばかりの時代となってきているようです。命を粗末に扱い、汗と涙で造り出したものが、機械で乱造されてしまう世の中です。誰もがスマートフォンなどで容易く情報を手に入れられますが、その情報が嘘(フェイク)なのか真実(ファクト)かの区別がつかない青少年や老人は、詐欺や犯罪に巻き込まれてゆくばかりです。
虚構と現寒を見極めることが、いま我々にとって最も大切なことではないでしょうか?
最後に一言。大型ショッピングモールが出来ることや、沼津駅付近の鉄道高架化を実現させることが、沼津全体を元気にするなどといった妄想は止めましょう。春の宵の夢のような、はかないものに惑わされてはなりません。嵐が待っていますよ!
(市場町)
【沼朝平成31年3月24日(日)「言いたいほうだい」】
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