沼津駅周辺総合整備事業、鉄道高架事業は、これからどうなるのか(下)長谷川徳之輔
これからどんな問題が出るか、どうして解決するか
さて、このような事情にある沼津駅周辺総合整備事業はどう進むかである。
第一に、六つの事業のうち、推進派の希望通り、原地区の貨物駅は中止されるだけで、残りの事業は、そのまま進むのであろうか。
第二に、鉄道高架事業は中止されて、南北横断道路、屋上駅、屋上広場などの新規の事業に都市計画が円滑に変更されるだろうか。
第三に、すでに沼津市が買収している鉄道高架事業予定地は、どう処理されるのか。
第四に約三百億円の鉄道高架事業のための基金をどう経理処理するのか。
第五に、貨物駅として都市計画事業の認可を受けている土地には、建築物の建築規制、土地利用の規制、土地の買い取り請求などの制限が付いており、いつまでも制限を続けるのか、また土地の買い取り請求に、どう対応するかである。
第六に、ここまで事業を進めてしまった行政、議会の責任をどう間うのか、などなど。いろいろな問題を解決しなければならない。
一番大切なことは、沼津駅周辺総合整備事業を考えた時点と今の時点では大きく経済社会環境が変わってしまったこと、これまでの考え方や仕組みが通用しなくなっていることを、市民も行政もしっかり認識しておくことであり、過去の失敗、不業績を今になってあげっらっても何にもならないことを認識すべきである。過去は過去として処理し、これからどうすべきなのかを考えなければならない。
明確な決着が必要
第一の問題は、それでは、都市計画は変更されず、なし崩し的に先延ばしされることである。
事業は止まっても、計画をそのままにして、いつか復活するとして処理を先延ばしすることであり、行政の責任の先延ばしに過ぎず、従来は、このような対応がされることが通例であった。
しかし、貨物駅の計画を止めては、残りの事業が進まないことは前述のとおりであり、先延ばしすることは問題の解決にはならない。表向き事業がストップして、鉄道高架事業は棚ざらしになるだけである。貨物駅の移転が消えるからには、全体の計画の見直しをしなければならない。
第二に新しい計画を決めること、南北自由通路や屋上駅などに円滑に変更することができるかである。
計画案、財源、費用負担などJRとの交渉、国、県、沼津市との調整を考えると、すぐに転換することは難しく、相当長期の時間を余儀なくされよう。まずは、小田原駅、清水駅などの事例を徹底的に調査して、情報資料を集めて、その功罪を市民に公開する。計画作成には、市民、商店街、専門家の参加を求めて、市民運動を高めることだろう。世論の力で市民意識を高めることしかなかろう。
第三は、買収した用地を無駄にしないことである。
富士見町地区、原地区には沼津市が買収した用地が散在している。土地の買収には利権が付きまとい、沼津市は、その実態を公表したがらない。しかし、どう利用するか考え、円滑に資産処理を進めるには、実態を隠すことなく、どのくらいの量があるのか、現在価値はどのくらいかなど、しっかりした情報資料を整備して、新しい利用方法を考えなくてはならない。
原地区の貨物用地はまとまった土地であり、教育施設、医療施設や市民公園などに利用できよう。富士見町の土地は、鉄道高架事業用地を生み出すのではなく、良好な居住環境を整備するための区画整理事業を進めていくことであり、有効利用の道を探ることである。災い転じて福となし得るかどうかである。
都市計画の事業制限、土地の買い取り請求 第四は、速やかに都市計画事業の認可を取り消すことである。
都市計画法、土地収用法は、事業を推進するために、土地所有権の強制収用、土地利用の制限などを義務付け、逆に制限を受ける土地所有者の立場から、土地を時価で施行者が買い取ることを請求する権利が認められている。
都市計画事業の認可の効果が続く限り、土地所有者の権利は不安定であり、また、事業を中止するにもかかわらず、施行者、沼津市は買収予算を計上し、要らない土地を買い続けなければならない。貨物駅の移転を中止するのであれば、早急に貨物駅移転の都市計画の事業認可を変更しなければならない。先延ばしして、放置しておく訳にはいかないのだ。
使ってしまった基金の問題
第五は、市民が営々として積み立てたはずの三百億円の鉄道高架事業を進める資金、基金がどうなっているか、しっかり経理できるかである。
これまで鉄道高架事業の沼津市の負担は、三百億円の基金が積み立てられているから大丈夫だと説明されてきた。確かに現金であればそういう話も成り立つが、今果たして、この資金がどのくらいあるのか。
積み立てた資金は現金であるわけでなく、土地の買収、他の事業への流用などで大半は使われてしまっている。基金の財務状況は必ずしも明確に示されている訳ではない。
そもそも、鉄道高架事業のために積み立てたという基金が、もし鉄道高架事業をやらないとした時に、どう経理処理したらいいのか対応策は明確ではあるまい。貸付金だといわれる流用先の資金が返済される見込みもなかろう。使ってしまったものを取り戻すことはできないし、地価の変動で下がってしまった土地価格を取り戻すこともできはしない。
真のリーダーの責任、出番だ
第六は、究極の問題であるが、ここまできてしまったことの政治、行政の責任問題である。
これまで二十年近く、無意味に、だらだらと進められてきたのは、中止することによって、それまでの事業に誰が責任を取るかが、はっきりすることを避けたい心理も、当事者には正直あったものと思われる。
国、県、沼津市、それにJRが、それぞれの思惑でかかわってきたが、時代の転換により、これまで適切だと思ってきたことが変質してしまい、計画への疑問を持ちつつも、正直、転換を言いかねて、みんな、だんまりを決め込むか、責任を他に転嫁してきたのではなかろうか。
折から中央政権も自民党から民主党に政権交代し、新政権はコンクリートから人へのスローガンで無駄な公共事業はやれない、やらないという方向を示している。新政権の中枢に位置する選良がこの沼津市から選出されている。
今こそ、そのスローガンを実行するために、国土交通省、静岡県、沼津市、さらにJR当局を調整し、円滑に事態が解決されるように、舵取りする責任がある。川勝平太静岡県知事、栗原裕康沼津市長、いずれもこれまでの政策からは自由な立場にあり、県民、市民全体のために冷静、客観的に判断することができる立場にあると思う。まさに、これらのリーダーたちの出番だ。
究極の責任は沼津市民にある
究極の責任問題は、ここまで来たら、本来は鉄道高架事業の施行主体でもない沼津市、沼津市民が負わなければならなくなったことである。
これまでの努力が無駄になったという思いもあるだろうが、さらなる負担を避けるために、方向転換は仕方がないと思うしかないと思わざるを得ない。
この二十年の政治や行政の責任を問うたところで、市長や市議会は何回も替わっており、議会も市民も当時は鉄道高架事業を認めていたのだから、責任は市民全体にあると思うしかない。そう思うことが事態の解決を進めることになるのではなかろうか。今、問われるのは、沼津市民の冷静な判断、英知である。(おわり)(元大学教授、東京都)
(沼朝平成22年2月11日(木)号)
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