2019年8月23日金曜日

市長が100歳高齢者(水野義彦)を訪問


市長が100歳高齢者(水野義彦)らを訪問
花束などを贈り長寿を祝う
 916日の「敬老の日」を前に頼重秀一市長は、満100歳の人と市内最高齢の人などを表敬訪問、長寿を祝っている。
 今年、訪問の対象となったのは、915日現在で満100歳の39(男性8人、女性31)で、実際に訪問が予定されたのは17(男性2人、女性15)。それに、市内最高齢108歳の女性と103歳の男性。
 訪問の際には、長寿を祝う花束と満100歳の人には長寿賞。さらに、満100歳の人と同じ施設に入所する101歳以上の人9人にも、花束が用意された。
 最高齢者以外にも101歳以上の人には市市民福祉部長が別途に訪問を予定している。
 22日、頼重市長は上香貫の水野義彦さん宅を訪問した。
 水野さんは大正879日生まれ。出口町(現在の幸町)に生まれ育ち、今の一小に通い、その後、路面電車に乗って三島商業学校(現在の三島南高)に通った。そこでは射撃の腕を磨き、16歳の頃には静岡県の代表として、今で言う国体にも出場。
 昭和14年には、満20歳を迎え、徴兵されて関東軍自動車第4連隊に入った。旧満州(現在の中国東北部)に派兵され、ソ連と対峙した国境守備隊として極寒の地での過酷な任務に当たった。
 当時のことについて水野さんは、明治史料館の「戦争体験を記録する会」で話し、貴重な証言として記録に残されている。
 終戦を迎え、沼津に戻り駅に降り立つと、水野さんの目に映ったのは「一面の焼け野原だった」という。「再建しなくちゃいけない、復興を早くしたい、という思いを持った」という水野さんは、電気や土木、上下水道に関わる仕事を始めた。
 管工事施工管理技士や電気工事士などの国家資格を取得し、数々の宅地造成などにも関わってきた。
 一方で、写真や盆栽などの趣味を持ち、仕事の第一線から退いてからも、楽しみながら続け、昨年は、しずおか健康長寿財団から、写真部門で「最高齢者賞」を授与された。
 現在は、緑に囲まれた空気の良い環境の中で、メダカを育てながら、穏やかに暮らしている。
 水野さんの家は、1階が作業場になっていて、2階の住居へは外階段を上っていく。毎日、この階段を上り下りすることも、水野さんが元気を保つために一役買っているようだ。
 ほかに、長生きの秘訣は「怒らないこと」だと言い、「怒ると長生きできないよ」と話す。
 表情もすがすがしく、健康そうに見える水野さんだが、80歳を過ぎてから大腸がんと肝臓がんを患い、大きな手術を何度も受けている。それを無事に乗り越えて、現在は「何でも食べる」と言い。口元からは、きれいな歯がのぞく。
 水野さん宅を訪れた頼重市長は、「長寿賞」の額と花束を贈り、お祝いの言葉を述べた。
 市長は、水野さんの戦争中の体験について尋ね、マイナス20度という寒さの中での自動車隊の苦労話に耳を傾けると、「実際に聴かないと、伝わらない苦労もありますね」と話した。
 市長は、きょう23日も対象者の自宅や施設へ表敬訪問する。
【沼朝令和1年8月23日(金)号】

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