まちおこし御城印を活用
大手町町内会と観光協会がプロジェクト
大手町町内会とNPO法人沼津観光協会は、昨今の歴史や史跡めぐりの全国的なブームを背景に、大手町の沼津城と三枚橋城、根古屋の興国寺城、内浦重須の長浜城を、まちおこしに役立てようと、「沼津四大城御城印プロジェクト」をスタート。西高芸術科書道専攻の生徒3人の協力で御城印を制作し、沼津駅ビル2階の観光案内所や、城の所在地にある店舗等で販売を開始。6日には関係者が市役所を訪れ、頼重秀一市長に報告した。
沼津にあった4城を内外に
制作に西高生徒3人が協力
かつて一部の愛好家にしか知られていなかった、寺社への参拝の証として授与される「御朱印」がメディアなどで取り上げられ、以来、一大ブームを巻き起こした。
御朱印のコレクターが次に目をつけたのが御城印で、来城記念スタンプ的なものだが、史跡めぐりに合わせて御城印集めを行う観光客が増え、御朱印に次ぐ人気を呼ぶ。新たな御城印が続々と作られて数を増やし、最近では家紋や辞世の句、名言などを載せた「武将印」も登場している。
今回、「市民の間でも、あまり歴史が周知されていない沼津の城に興味を持ってもらうきっかけになれば」と、同町内会と観光協会が共同でプロジェクトを立ち上げ、御城印制作に向けて4つの城を取り上げた。
続日本100名城にも認定される興国寺城は、1487年に伊勢新九郎(北条早雲)が今川氏親から与えられた。「早雲旗揚げの城」として知られ、韮山に攻め込む足掛かりとした。
武田氏と後北条氏が互いの国境で牽制し合う中、それぞれ1579年に築城したのが三枚橋城と長浜城。三枚橋城は武田氏の東駿河における拠点の一つで、狩野川を背に本丸を置いて築城。長浜城は、伊豆国の中で最重要拠点だった韮山城を守るため、海からの一武田氏の侵攻を防こうと整備し、北条水軍の主力を結集。1580年には武田水軍との奥駿河湾海戦が勃発した。
沼津城は、幕藩体制が確立した江戸時代中期に名門・水野家の移封により、江戸初期に廃城となっていた三枚橋城の縄張りを基に築城。明治元年からは沼津兵学校の校舎として使われた。
御城印揮毫の依頼を受けた西高芸術科書道専攻の生徒からは、商業書道について学ぶ、いずれも3年の籾山栞さん、伊藤帆南さん、高橋世理加さんが引き受けた。
籾山さんは興国寺城を隷書体で、沼津城と三枚橋城の2枚は伊藤さんが書き振りを変えながら行書で、長浜城を高橋さんが行書で揮毫。3人をモデルに、富士市在住のイラストレーター、コイズミチアキさんがイラストを描き、御城印をアピールするポスターと、のぼり旗も作られた。
揮毫を手掛けた3人は「自分にそっくりのイラストも描いてもらって、うれしい」「普通なら味わえないような体験ができ、一生の自慢になる」「これをきっかけに歴史にも興味を持った」と話し、同校で書道を指導する池谷天外教諭は「日頃の練習の成果が出ている」と評価。
市長への報告で、大手町町内会の名取正純会長が「大手町町内会の繁栄、発展は沼津の発展にもつながる。三枚橋城と沼津城を役立てることができないか考える中で、観光協会と共同で企画し、実現した」と経緯を話した。
観光協会の小森裕之副会長は「沼津を歴史のまち、文化のまちとしてアピールできないか考えた。4つの城を観光資源として活用し、城巡りしてもらうことで交流人口の拡大につなげたい」とした。
頼重市長は「市民の中には沼津に城があったことを知らない人も多い。改めてクローズアップすることで、観光客に城跡を訪ねてもらい、当時の雰囲気に浸ってもらいたい」と話した。
なお、御城印は横10・5㌢×縦15㌢。一枚300円。当初1000部を制作したが、売れ行きに応じて増刷も検討するという。沼津駅ビル2階の観光案内所で全4種類を扱うが、「興国寺城」は根古屋の野崎園、お茶の興国園、S・Kimura、「沼津城」「三枚橋城」は大手町会館、「長浜城」は内浦重須のOH!MOSに置かれる。
問い合わせは沼津観光協会(電話964の1300)。
【沼朝令和3年4月16日(金)号】
0 件のコメント:
コメントを投稿