最古の国産デニムオーバーオール
製造元の山本被服が復刻し市に寄贈
清水町卸団地に本社工場を置き、オーダーメイドのオリジナル作業服・事務服などを製造販売する山本被服(山本豪彦社長)は、1926年に三枚橋町で国内創業した当初に製造していた国産デニムのオーバーオールを当時の資料を基に復刻した。
16日、山本陵取締役、富所勢課長、デザイナーの石井智洋さんが市役所を訪れ、「復刻した日本最古の国産デニムオーバーオールを歴史的資料として、沼津のまちおこしに役立ててほしい」と、1着を市に寄贈した。
同社は23年に米国ロサンゼルスで「スターオーバーオールカンパニー」として創立。3年後に拠点を三枚橋町に移し、作業服としてのデニム製造販売を行う「合資会社山本被服製造所」を立ち上げた。
設立当初に製造していたオーバーオールやデニム製造の機械は空襲で焼かれ、時代の変化もあってオーバーオールの生産は中止していたが、1年半程前、「日本最古の国産デニム」の復刻を目指すプロジェクトとして富所課長が開発責任者を務めて始動。
残されていた当時の資料や写真などを基に復刻したが、「日本最古のデニム」と言い切れる公的な証拠がなかったため、石井さんが中心となって調査した結果、特許庁の商標公報データベースで31年に同社が取得し、その後、失効した商標登録の記録が残っていることが昨年11月に分かった。
山本取締役は「デニムは60年代に日本に入って来たと言われているが、日本最古のデニムブランドとして、31年には商標登録していた。写真でしか明らかになっていなかったのが、商標登録の記録が見つかったことで証明された」と説明。 写真や文字ベースの資料を基に、当時の製法で「スターオーバーオール」を復刻し、ロゴも再現。日本初のデニムオーバーオールの復刻を掲げて限定100着を販売したクラウドファンディングで、目標を達成したことなどを話した。
山本取締役は「沼津市は来年100周年、当社は4年後に100周年を迎えるが、我々も次の100年を見据え、共に頑張りたい。約1世紀の時を超えて復刻したオーバーオールを地域資源、観光資源として利用してもらえたら」と話し、頼重秀一市長の体のサイズに合わせて作ったオーバーオールを寄贈した。
さっそくオーバーオールを着た頼重市長は「体にぴったりで着心地が良い。これを週末の沼津などに着て行き、沼津の新しい宝を多くの人に広めたい。沼津の自慢できるものが、また一つ増えてうれしい」と感謝した。
【沼朝令和4年2月19日(土)号】
アメリカ創業以来、92年。
大正時代、職を求めてアメリカへ渡った初代社長は、 炭鉱夫から出発し、努力の甲斐あってホテルを経営できるまでになりました。 当時、日本に帰り、
何か事業を興したいという夢は、炭鉱夫時代の作業服に目を向けたことに始まります。
当時の作業服は、現在の若者にも人気のある、ジーンズのオーバーオールでした。 1923年(大正12年)ロサンゼルスにてスターオーバーオールカンパニーを創立。
ここで生地の仕入れ方法や、裁断・縫製などの技術をすべてマスターします。 1926年(大正15年)、米国にいた幹部と機械のすべてを日本(沼津市)に移し、
かねてからの夢であった合資会社山本被服製造所を設立。
この頃の日本には、工業的に作った作業服というものはなく、
民間企業としては日本初の工業被服工場となります。
(大阪被服組合新聞調べ)こうして素材も機械技術もすべてがアメリカ仕込みという山本被服は、
戦時中になると、海軍指定・陸軍監督工場となり、さまざまな経験を重ねながら発展してきました。(山本被服HPより)
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