色彩の言葉 土屋詔二
沼津史談会の長谷川徹副会長から、荻生昌平著『紫の糸ー前田千寸物語』を戴いた。庄司美術館(通称モンミュゼ沼津)二〇周年記念展に際し出版されたものだ。前田千寸先生は大正元年に旧制沼津中学に赴任した。
国語や美術を担当したが、芹沢光治良や井上靖の小説にもモデルとした人物が登場する。学制変更後も沼津東高で昭和三一年まで教鞭を執ったレジェンド教師である。古典籍に記述された色彩について研究を重ねた。
昭和三一年に『むらさきくさ』を、三五年五月に『日本色彩文化史』を上梓した。その一〇月に逝去という畢生(ひっせい)の研究書である。図書館で『日本色彩文化史』を手にしたが、岩波書店としても破格の重厚な装丁である。
圧巻は、自ら染色した復元染色布である。天皇即位の礼の映像でしか見たことのない「黄櫨染(こうろぜん)」などを確認できた。エリザベス女王の国葬に関連してSNSで、ワダエミさんの「染色や刺繍(ししゅう)などの装飾系の技術が高度に維持されているのは、王室・皇室・バチカンがあるイギリス・日本・イタリア」という意見が紹介されていて、疎(うと)いけれど納得的だった。
ところで、目に見える色彩は、光の波長でおよそ380~780nm(ナノメートル)の範囲だと言われる。光を分解したものをスペクトルと言う。波長の変化は連続的(アナログ)だが、分け方(デジタル化)は多様である。
例えば虹のスペクトルは「赤燈黄緑青藍紫」であるが、七色である必然性はない。黄と緑の間に黄緑があることは小学生でも知っているし、方位で北と北西の間を北北西と言うように、黄と黄緑の間は黄黄緑と呼べるだろう。
『日本色紙文化史』に色相の分化の系統樹が載っている。緑の系統にある木賊色(とくさいろ)とか海松色(みるいろ)などは言葉を知っていても、別の言葉で表現するのはなかなか難しい。印刷やファッションなどの業務に携わった人は、色の認識のすり合わせに苦労したことがあるのではなかろうか。そこで重要なのは色見本である。
標準的に使われているのが「DICカラーガイド」である。DICは印刷インキを祖業として、現在は「CoIor&COnfOrt」をコンセプトに、多様な分野に多角化してきた。
沼津にも事業所のあるルネサンスは、もともとウレタン樹脂の用途開発を狙ったDICの社内ベンチャーである。異分野での成功例として有名であるが、創業会長の斎藤敏一さんの評伝・中村芳平著『遊びをせんとや生まれけむ』に、経緯が詳しく書かれている。
よく言われるように「分かる」ための条件は「分ける」ことである。「青」と「紫」の波長の間に「藍」を分けることは、「藍」という言葉=概念なしではありえない。認識と表現は表裏一体で、共に言葉に規定されているのである。言い換えれば語彙の豊かさは表現だけでなく、認識の精度と直結ししいる。(三島市)
【沼朝令和4年10月2日(日)「言いたいほうだい」】
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