2024年7月31日水曜日

210822昭憲皇太后摘草記念碑 寄付者名碑 昭和十年九月吉日パワポ資料動画as

210428 昭憲皇太后摘草記念碑パワポ資料動画as

210426昭憲皇太后摘草記念碑と鶴の話3部作合体版as

昭憲皇太后と沼津 浜悠人 【沼朝令和6年7月31日(水)寄稿文】


 


昭憲皇太后と沼津 浜悠人

 沼津御用邸は明治26年、大正天皇(当時皇太子)のご静養のため開設され、その後、歴代の天皇、皇后両陛下や皇族の方々に親しまれてきた。

 特に、昭憲皇太后は明治天皇の御后にあらせられ、避寒のため、明治391月から大正34月まで9年の間に、9回行啓、御滞在された。

 その行啓年月日と還啓年月日、御滞在日数は次の通り。

 明治3918日~418日 99

 明治40126日~419日 82

 明治41112日~424日 102

 明治42115日~421日 95

 明治43116日~424日 97

 明治44116日~426日 99

 明治45117日~424日 97

 大正2112日~722日 190

 大正2124日~大正3410日 126

 なお、御滞在中は我入道で浜防風と呼ばれる摘草を摘まれ、東京の御所へお送り遊ばされていた。現在、我入道公園内には昭和10年に建立された「御摘草記念碑」が現存する。

 この摘草の習わしは皇太后亡き後も大正天皇の御后、貞明皇后と昭和天皇の皇后に引き継がれ、戦前の頃まで続けられていた。

 また、昭憲皇太后は千本浜の風景を特に好まれて、たびたび行啓され、海や山を眺められたり、松原の中で松露(茸の一種)を採取されたりした。

 今では防潮堤が高く築かれ、御休所跡も松林の中に移り、牧水歌碑の近くに存在する。

 次に御歌と説明文を紹介する。

 「昭憲皇太后陛下御座所跡` 昭憲皇太后御歌 くれぬまに 沼津のさとに つきにけり しばしみてこむ 海のけしきを

侍従長 入江相政謹書」

 昭憲皇太后陛下が初めて沼津御用邸に行啓されたのは明治二十九年(一九〇六)一月八日である。以後、毎年約三ケ月間おいでになられている。陛下が千本浜へ行啓されたのを記念して、現在の防潮堤の所に御座所跡が設けられていたが、昭和五十年、防潮堤拡幅工事のため移設することになり地元の『千本をよくする会』の尽力により御歌の碑をも建立して永く陛下の御遺徳を偲ぶことにしたのである。

 昭和六十一年十月一日沼津市」

 このほかに、皇太后は日枝神社境内の観桜、中沢田大中寺の観梅、原の帯笑園の桜草など、それぞれ花盛りの折に、たびたび行啓されていた。

 ところで結びとして今回、「昭憲皇太后陛下御座所跡」を訪ねて、皇太后が、いかに沼津の地や千本浜を愛していたかを知り、沼津市民として誇りに思った次第です。(歌人、下一丁田)

【沼朝令和6731日(水)寄稿文】




昭憲皇太后摘草記念碑動画

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2024年7月30日火曜日

学校統合に生徒の意見  二中でワークショップ型授業 【沼朝令和6年7月30日号】

 


 学校統合に生徒の意見

 二中でワークショップ型授業



 市教委は、二中校区の学校規模と配置の適正化にかかわり昨年度から「第二中学校区学校の未来を考える会」(以下、考える会)を開催。昨年度中に3回、今年度は6月に第4回を開き、きょう30日に5回目が午後7時から第二地区センターで開かれる。

 ここまで保護者や自治会、学校関係者らにより意見交換が行われているが、子ども達の意見を聞く機会として、ワークショップ型授業が12日、二中(野田陽久校長)の音楽室で行われ、奥村篤教育長らが参観した。

 生徒達が、自分達にとって望ましい教育環境とは何かを考え、人口減少を踏まえ、将来の学校のあり方について意見交換しながら自らの考えを整理していくというもので、11組の言語科読解の時間に栗原克弥教頭が進行役となり、29人が、6月の考える会で出た学校統合案について、「学校統合することで様々な立場の人に与える影響」をテーマに意見を出し合った。

 意見発表は45人ずつの6グループに分かれ、ジャズが流れるリラックスした雰囲気の中で行われ、各自の意見を模造紙に記入。10分ごとにリーダー以外のメンバーを入れ替えて各グループの情報を共有しながら3回にわたり意見交換と、そこまでに出た結果について話し合った。

 話し合いに入る前に栗原教頭は、統合各案と統合された際の校区の範囲などをプロジェクターに映して説朋。3回の意見交換の後、最後のテーブルでまとめが行われた。

 中学校教員で現在は異動により静岡大学大学院(教職大学院)で学ぶ能戸健太さんは「(適正化案は)大人の話になっているが、当事者の子どもの意見を聴きたい。柔軟な意見を出してほしい」と生徒達のテーブルを回って意見を聴いた。

 能戸さんは同大学院で、考える会の委員長を務める武井敦史教授のゼミで学んでいる。

 各テーブルでは活発な意見が出たが、圧倒的に多かったのは第二校区から他の校区に通うことになった時の距離の問題で、「新入生が道に迷うのではないか」「長い距離でスクールガードの配置が心配」「帰りが遅くなるなど登下校で保護者が心配する」といったもので、これに対して女子生徒から「歩くから体力がつく」という前向きな発言があった。

 また、「学校の統合により各校独自の文化がなくなる」「遠くに通学することで引っ越す子どもが出て、さらに子どもが減る」などデメリットを挙げる一方で、「友達が増える」「運動会の種目が増える」「部員数が増えて部活が増える」「(人数が増えることで)いじめが減る」とメリットも挙げられた。

 各テーブルで熱心に意見を出していた男子生徒は「いろいろな意見があると思った。遠くなると帰宅に時間がかかり、部活の時間が短くなるのが心配」と、統合先が他の校区になった時の距離による影響を心配した。

 担任の稲葉花菜子教諭は「生徒にとって一番良いことであればいい。統合に対して『人間関係が広がる』という子もいれば、『クラス替えが怖い』と思う子もいる。何が一番良いのか生徒の声を聴いて、生徒の成長につながればいい」と語った。

 

 

第一校区保護者からは要望

第一校区含む統合案、現状では了承できない

このワークショップ型授業では統合案6案が示されたが、その中で統合の相手先の一つとされた第一校区(一小、一中)の保護者から22日、奥村教育長宛てに要望書が提出された。

要望書は、2021年度に市教委から示された第一校区と第二校区の統合案が廃止になったことに触れ、「令和310月の『第一・第二中学校区における学校規模・学校配置の適正化の方針廃止』により第一中学校区は当議論から離れた」とした上で、「第4回第二中学校区学校の未来を考える会」に市教委から「第一中学校区に関わる統合の案(注・市教委から示されたのは4案。ワークシヨップでは、さらに2案が示された)が含まれていた」ことを指摘。

「この件について第一小学校・第一中学校の保護者代表による協議の上、保護者へのアンケートを実施した結果、これら第一中学校区に関わる案については、このままの状態では容易に了承することはできないという結論に至った」としている。

理由として、ここまでの議論に第一校区が参加していないこと、第一校区の意向が、これまでのところ確認されていな}いこと、これまでの議論について第一校区の認識が浅いことを挙げている。

その一方で、千本小での複式学級の採用、第一校区にとっても近い将来の課題となることに懸念を示しつつ、まず第二校区での統統合案をベースに協議し、検討の上で実施すること、さらに検討が必要になった場合、第一校区を含めた統廃合協議という2段階の進め方を求め、「第一中学校区に関わる議論には当初より第一中学校区を参加させていただきたい」と要墓している。

【沼朝令和6730日号】


原えつお四文字ひめくりカレンダー令和6年「令和6年7月30日(火)赤口 梅干しの日」「一喜一憂」旧歴6月25日


 


2024年7月25日木曜日

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 業務水増し物品受ける  沼津市教委 学芸員1人を懲戒免 【静新令和6年7月25日(木)朝刊】

 

 業務水増し物品受ける

 沼津市教委 学芸員1人を懲戒免

 沼津市教委は24日、臨時記者会見を開き、市文化財センターの職員が業務費用を水増しした上で業者からパソコンを受け取っていたとして、30代の男性学芸員1人を懲戒免職に、その他の4人を業者から物品を受け取つたなどとして減給や戒告の懲戒処分、管理職ら5人を訓告や厳重注意にしたと発表した。



 市教委によると、懲戒免職となった学芸員は20197月から202月にかけ、市内で出土した遺物の洗浄業務を水増ししそ業者に発注し、業者から計99万円分のパソコンやプリンターなど8点の贈与を受け、た。前年度に洗浄済みだった遺物の箱数分145万円の費用を水増し。業者は水増し額で物品を購入していた。物品の大半はセンターにあったが、一部自宅に持ち帰り、私的に使用していたとみられるという。

 また、40代の係長級男性学芸員=減給10分の1(3カ月)=が別の30代男性学芸員=戒告=指示し、別の業者に19年から22年にかけ、計85万円分のカメラやプリンターなど6点の備品を要求、受領していたという。懲戒免職となった学芸員もこの業者からドローンなど3点計23万円分を受け取っていたとした。



 監督責任として上司の課長補佐の男性学芸員を減給10分の1(1カ月)、戒告や訓告、厳重注意処分は当該期間の教育次長、文化振興課長ら。

 不適切な物品受領は238月、市民の相談で発覚。市教委が同月に発表し、調査していた。市教委は過犬に支出した費用を懲戒免職した学芸員に請求する方針。記者会見で奥村篤教育長は「市民の信頼を損なう重天な事案を起こし、深くおわびする」と陳謝した。

【静新令和6725日(木)朝刊】


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原えつお四文字ひめくりカレンダー令和6年「令和6年7月25日(木)先勝 二十八宿:角」「偕老同穴」旧歴6月20日

 



2024年7月14日日曜日

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佐藤光徳上人ご遷化  令和6年7月13日(仏歴2567年) 薬王山寺報


佐藤光徳上人ご遷化



 大諏訪承光山吉祥院第二十八世光徳院日全上人(佐藤光徳師)が、去る四月三十日ご遷化されました。五月五日通夜葬、東之坊石田智宏上人導師。六日本葬儀、正見寺杉本日宣上人導師のもと吉祥院檀信徒葬として修行されました。本光寺より光正住職はじめ多くの檀家の皆様が参列しました。上人は先々代光顕日英聖人を師範として、昭和二十五年得度。実父第二十六世全樂院日信上人ご遷化に伴い、本光寺より沼津市立第二中学校、沼津市立高等学校に通学、この間、僧侶としての基礎の修行生活を過ごされました。東洋大学を卒業後、昭和四十七年第二十八世住職に就任、昌子夫人とともに吉祥院運営に尽力され、三十数家のお檀家さんを百二十家を超えるまでに増やされました。この間本堂・庫裡・客殿の新築改修、鐘楼の建立。大諏訪天満宮の新築等境内整備にあたられました。日英聖人、日崇上人、当住と三代に渡り本光寺の法務に給仕奉公ご助力をいただきました。

 令和に入り体調を崩されるようになり昨夏より施設に入居されておりましたが突然のご遷化でした。上人の温厚、柔和なお人柄で、本光寺檀信徒をはじめ多くの友人知己に慕われていました。上人の急の訃報に接し、多くの人々に衝撃を与えました。こころからの自受法楽を祈念いたします。合掌。令和6713(仏歴2567) 薬王山寺報