昭憲皇太后と沼津 浜悠人
沼津御用邸は明治26年、大正天皇(当時皇太子)のご静養のため開設され、その後、歴代の天皇、皇后両陛下や皇族の方々に親しまれてきた。
特に、昭憲皇太后は明治天皇の御后にあらせられ、避寒のため、明治39年1月から大正3年4月まで9年の間に、9回行啓、御滞在された。
その行啓年月日と還啓年月日、御滞在日数は次の通り。
明治39年1月8日~4月18日 99日
明治40年1月26日~4月19日 82日
明治41年1月12日~4月24日 102日
明治42年1月15日~4月21日 95日
明治43年1月16日~4月24日 97日
明治44年1月16日~4月26日 99日
明治45年1月17日~4月24日 97日
大正2年1月12日~7月22日 190日
大正2年12月4日~大正3年4月10日 126日
なお、御滞在中は我入道で浜防風と呼ばれる摘草を摘まれ、東京の御所へお送り遊ばされていた。現在、我入道公園内には昭和10年に建立された「御摘草記念碑」が現存する。
この摘草の習わしは皇太后亡き後も大正天皇の御后、貞明皇后と昭和天皇の皇后に引き継がれ、戦前の頃まで続けられていた。
また、昭憲皇太后は千本浜の風景を特に好まれて、たびたび行啓され、海や山を眺められたり、松原の中で松露(茸の一種)を採取されたりした。
今では防潮堤が高く築かれ、御休所跡も松林の中に移り、牧水歌碑の近くに存在する。
次に御歌と説明文を紹介する。
「昭憲皇太后陛下御座所跡` 昭憲皇太后御歌 くれぬまに 沼津のさとに つきにけり しばしみてこむ 海のけしきを
侍従長 入江相政謹書」
昭憲皇太后陛下が初めて沼津御用邸に行啓されたのは明治二十九年(一九〇六)一月八日である。以後、毎年約三ケ月間おいでになられている。陛下が千本浜へ行啓されたのを記念して、現在の防潮堤の所に御座所跡が設けられていたが、昭和五十年、防潮堤拡幅工事のため移設することになり地元の『千本をよくする会』の尽力により御歌の碑をも建立して永く陛下の御遺徳を偲ぶことにしたのである。
昭和六十一年十月一日沼津市」
このほかに、皇太后は日枝神社境内の観桜、中沢田大中寺の観梅、原の帯笑園の桜草など、それぞれ花盛りの折に、たびたび行啓されていた。
ところで結びとして今回、「昭憲皇太后陛下御座所跡」を訪ねて、皇太后が、いかに沼津の地や千本浜を愛していたかを知り、沼津市民として誇りに思った次第です。(歌人、下一丁田)
【沼朝令和6年7月31日(水)寄稿文】
昭憲皇太后摘草記念碑動画
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