市議選を振り返る…上
今後の四年間を託す新しい市議会議員二十八人(別掲写真。左へ得票順)が決まった。現職二十二人、元職二人、新人十二人の合わせて三十六人が立候補して争われた今回選では、現職三人が涙をのみ、新人五人が及ばなかった。元職二人は、いずれも高位で当選した。この選挙を幾つかの視点から振り返ってみる。(文中、一部を除き敬称略)
定数削減今回選は定数が二十八に減員された中で行われた。昨年六月の市議会定例会では、三十四だった定数を二減員し三十二とすることが決まったが、これを不服として削減を求める自治会連合会執行部と、これに同調する市議の巻き返しによって、今年二月の定例会で、さらに四減員とすることになったもの。このため、三十二の予定で立候補の準備を進めていた、とりわけ有権者に名前が浸透していない新人は厳しい条件を突き付けられた。
定数二十八を決めた市議会本会議は、滝口文昭氏が今年一月に死去したことに伴い三十三人によって開かれた。また、議長の山崎篤は直ちには採決に加わらない(賛否同数の場合は別)ので、議場で採決できるのは三十二人。この時、議員発議によって上程された「二十八案」(減員のための条例改正案)に対して、それまで反対の意思を見せていたのが十七人、賛成の立場にあったのが十五人。このまま、すんなりいくかと思われていた。
しかし採決を前に、県議会議員選挙への出馬を表明していた曳田卓(その後、民主党公認で県議当選)が辞職。曳田は「定数二十八」には反対の立場だったので、「二十八案」反対が十六人、賛成が十五人となった。
この曳田の辞職について事情を知る関係者は、有権者の意識を考慮して県議選でマイナス材料となるような混乱を避けたいという支援組織の意向があったようだ、という。
それなら、みんなの党公認で県議選出馬を表明していた井口哲男にとっても事情は同じはずで、仮に井口が市議を辞職して採決が行われた場合、井口も、それまで「二十八案」反対派の一員だったので、賛否が十五の同数となり、「二十八案」賛成の議長の一票によって、条例改正案は採択されていた。
が、井口は辞職しなかった。採決に加わり、しかも起立採決で「二十八案」賛成に回った。「ルビコン川を渡った」(※)のだ。
これについて井口は、議員の削減を掲げている党の方針に沿ったもの、だと説明している。
しかし、井口に対しても曳田と同様、採決に加わらなくてもいいような判断が求められていた、とする周囲の指摘もある。もしそうなら、なぜ、そうしなかったのか。 定数削減を主張する自治会連合会執行部の意に沿うことで県議選を有利に導こうとする判断があったのではないか、との見方もあるが、そうだとすると、県議選の結果からは淡い期待に終わったことになる。県議選では六、○○○票にも届かない得票で惨敗を喫した。
井口の賛成は、「二十八案」賛成側の巻き返しによって直前に決まったようで、賛成派の中でも採択されるまで知らなかったのか、驚きを隠せなかった議員もいた。
この一人の決断が、市議選の当落に大きく影を落とす。
今回選で次点の清水賢嗣は二年半前の市議補欠選挙に立候補し、三十七票という僅差で落選。今回、雪辱を期して臨んだが、最下位当選の深瀬勝(一、七一〇票)に六十二票と、ここでも僅かな差で及ばなかった。
清水が出馬表明した当時、市議定数は三十二。得票一、六四八票で二十九位の清水には定数二十八が大きな壁として立ちはだかった。定数削減は有為な新人に活躍の場を与えなかったことになるのか。
さらに皮肉な結果をもたらしたのが持田紀与美。みんなの党公認で出馬し、下馬評にも高いものがあったが、一、五一二票で三十一位。同じ党の井口が投じた一票が当選を阻むことに。ただ下馬評の高さから、井口には「持田は大丈夫」だという判断があったようだ。
※ルビコン川は古代ローマで、ローマ世界と外界との境界の川。大きな川ではないが、軍隊を率いてローマ側に渡ることは元老院に謀反を起こすことを意味していた。ガリア地方(主として現在のフランス)に出征していたカエサル(ジュリアス・シーザー)が軍隊を連れて渡った故事から、既成の概念を打ち破るような重大な決断をする時に使われる。
自治会定数削減とからんで特徴付けられたのが自治会の動き。自治会連合会執行部が市議会議員定数削減という目的を成し遂げたことから、これを受け、削減に反対した議員に対する風当たりが強まる地域もあった。
愛鷹地区では、削減に賛成した渡部一二実と反対の立場の江本浩二が、共に二期目を目指した。前回選で、清水町に住んでいた富士通社員の渡部は出馬に備えて富士通大岡ハイツに住所を移して立候補。一、八八五票を獲得し立候補者四十七人中の二十五位で当選した。
今回選では東原に居を構え、地元の支援を受けることになり優勢が伝えられた。中には渡部を推す回覧を回した地域もあった。
一方、東椎路に住み根っからの愛鷹育ちで、消防団など地元の活動にも取り組んできた江本。前回は二、七六三票で三位当選を果たしたが、今回選は、こうした地元の動きに危機感を募らせた。
結果は、江本が前回から四六八票減らしたものの二、二九五票を得て十五位。地元が推した渡部は、二、一一二票で前回から二二七票上積みしたが、江本に一八三票及ばず、愛鷹地区での勝負は江本に軍配が上がった。
大岡地区でも二期目を目指した高橋達也と山下富美子。削減賛成の高橋と、反対の山下という受け止め方の中、山下は告示を前に後援会活動から不利を強いられた。
この二人は大岡でも、下石田の高橋、日吉の山下と、大岡南部が主地盤。高橋は前回選に初めて立候補したが、一、二七五票で落選。二年半前の補選で再度挑戦し、当選を果たした。
今回選で、高橋は二、七八五票と前回の本選を倍以上上回る得票で七位当選したが、女性を中心に支援の輪を広げた山下も前回から六七七票伸ばし、二、七一一票で前回の二十位から八位へ順位を上げた。(以下、次号)
(沼朝平成23年4月27日号)
市議選を振り返る…中
幾つかの視点から市議選を振り返る二回目。厳しい状況が見込まれながらも前回から票を伸ばした現職や、震災をきっかけに、これまでにない苦戦が伝えられた現職など、さまざまな条件の中で各候補は支援を訴えた。(文中、一部を除き敬称略)
地元の代表「地元の○○です」。選挙力ーから流れる声。市議会議員は市民の代表であって、決して地域の代表ではないはずだが、地元から議員が出ているのと、そうでないのとは違うものなのか。
二期目に挑んだ多比の植松恭一は、市議定数「二十八案」には反対。自治会組織の支援を受ける立場にはなかった。ただ植松の場合は、議員削減に反対、二十八もだめ、というのではなく、段階的な削減を主張。前回選挙の定数三十四から六減員という急激な削減に対しての異議だった。静浦地区は、これまで小池政太郎、渡辺新作両氏、川口末吉氏らを県議会、市議会に送り出してきた。四年前の統一地方選では、県議二期目を目指して当選した植松明義氏がいて、市議会へは植松(恭)が初出馬、共産党の渡辺教二も出て当選した。
渡辺は今回も出馬に向けて準備を進めていたが、定数二十八が決まったことから党の調整により断念。また、出馬に意欲を見せる新人の名前も挙がったものの実現には至らず、県議選では植松(明)氏が引退したため、今回の統一地方選では植松(恭)一人だけの立候補となった。
このため、植松(恭)が当選できなければ、静浦地区は議員空白地域になってしまう。そうした意識が有権者に働いたことは否定できない。
さらに、植松(恭)が兄とも、政治の世界における父親とも慕った滝口文昭氏(一月に死去)。日大の先輩、後輩でもあり、自民党公認で出馬する植松(恭)と、長年、自民党支部役員などとして活動した滝口氏との関係もあった。
結局、植松(恭)は二、九一七票を獲得。一、八五四票で二十六位だった前回(定数三十四で立候補者四十七人)から一、〇六三票という大量の上積みをし、二期目を四位当選で果たした。
戸田地区の水口淳は植松(恭)同様、自民党公認で、三期目への挑戦。前回選では一、五七〇票で三十三位と、薄氷を踏む思いでの当選。同地区では前回、二人が立候補したが、今回は水口一人。一見、有利なように思えるが、そうでもない事情があった。
一つは、合併時の沼津派、田方派のあつれきが今なお残っているという指摘。もう一つは、沼津市合併後の市議会議員選挙では当然、旧沼津市の立候補者も戸田票の獲得に動くが、田上博氏が現職時代に浸透を図り、今回の引退に際しては自分の影響力を他地区の現職に引き継いだという話。
ほかにも同地区に支援の輪を拡大しようという動きはあったから、限られた地域での票だけでは水口の当選は及ばない。しかし、ここでも、水口がいなくなれば戸田地区からの議員はゼロという状況で、戸田唯一の候補者という意識は有権者に働いたかもしれない。
今回選で水口は、一、九七六票を獲得。前回から四〇六票伸ばし、二十一位での当選を果たした。
大平地区には、やや複雑な事情があった。議長も務め七期目への挑戦となり、田上氏引退の後、当選すれば最古参となる鈴木秀郷。同地区からの出馬は名目上は一人だけだったが、市職員を辞して初出馬の原信也が現在は第一地区に住むものの出身は大平。当然、地元への影響は必至の上、共に連合系の候補者ということも鈴木にとっては憂慮の種となった。それでも三月十一日までは、教員出身で同じ連合系、二期目への挑戦で不利が伝えられた二村祥一に票を回そうか、などと余裕がなかったわけでもないが、三・一一で一変。福島原発事故が、東京電力出身(昨年退職)の鈴木にとっては原の出馬以上に危機感を募らせることになった。
このため、地元の引き締めに躍起となったようだが、二、二四七票の得票は、前同から三二四票減り、順位は五位から十七位へ。厳しい環境が反映されたようだ。
返り咲き今同選では二人の元職が返り咲きを果たした。一人は三、五四〇票でトップ当選を果たした加藤元章。もう一人は二、六三一票で九位の川口二男。
加藤は三期目。二年半前、二期目の途中で市長選に出て落選した後、捨て犬の保護やセラピードッグ普及などの市民活動に携わり、フットワークの良さで各方面へ、きめ細かい浸透を図った。市長選も含めた過去三回の選挙を通じての知名度も手伝って、前回から一、三三一票上積みした。
川口は五期を務め、四年前の統一地方選では県議への転身を図り、善戦したものの果たせず、二年半前の市長選の際、加藤の辞職を受けて同時に行われた市議補欠選挙に立候補したが、返り咲きはならなかった。
原地区が主地盤の川口は、地元を固めるとともに、共産党ながら保守層からの信頼もあって、これまでも安定した得票を見せてきたが、今回も同様、危なげない闘いで通算六期目を果たした。(以下、次号)
(沼朝平成23年4月28日号)
市議選を振り返る…下
幾つかの視点から市議選を振り返る三回目。最終回の今回は、地域の争い、組織票の行方について取り上げた。(文中、一部を除き敬称略)
地域の争い 愛鷹、大岡、片浜、第三、第五・開北、原など各地区で複数候補がしのぎをけずった。愛鷹と大岡については「自治会」の項で記述したが、ここでは候補者の相関的な面から見て第一と浮島地区を取り上げた。
第一地区では二期目に挑んだ梅沢弘と、いずれも新人の原信也、持田紀与美、小林幸夫が争い、梅沢と原が当選した。
梅沢は前回、鉄道高架反対を表明して立候補。この時、同地区からは、副議長(当時)の服部博義氏と、いずれも今期で引退した井口八千喜、和久田光一の両氏が出馬。和久田氏による地元票の取り込みもあったろうが、軸足は出身の東芝機械労組で、ほかの三人とは立ち位置を異にする点があった。
この選挙で梅沢は三人の現職に挑戦する立場。がむしゃらに挑んだ結果、定数三十四に四十七人が立った中で一、六三〇票を獲得し、三十位での当選を果たしている。
これに対して今回選は定数二十八となり前回並みの得票では及ばない。しかも今度は新人三人に挑まれる守勢の立場。地元だけでなく、他地区からの候補者も浸透を図り、とりわけ新人で開北地区を主地盤とする加藤明子が井口氏の後継などと言われ、梅沢は危機感を募らせる中、高校の同級生らが本人以上に熱を帯びて盛り立て、一、七三九票を獲得。前回から一〇九票上積みし、二十七位に滑り込んだ。一方、原は第一地区の住民活動参加や出身の大平地区での活動経験がある一方、市職員出身で労組票などを当て込み、二、二八七票で十六位当選を果たした。
浮島地区では、三期目に挑戦の伊山昭と新人の清水賢嗣が立ったが、結果は共倒れ。清水については「定数削減」の項で記述したが、一、六四八一票を得たものの二年半前の市議補欠選挙に続いて次点に泣いた。
伊山は一、五一〇票で三十二位。新人だけでなく定数削減に阻まれる現職の一人となった。伊山は前回選では二、○〇六票で二十二位。ここから四九六票減らすこととなったが、清水の出馬が響いたか。
今回選における浮島地区二カ所の投票所(東井出集落センター、浮島地区センター。いずれも投票率は55%を超えた)の投票総数は二、三六一票。二人当選できるだけの票数はなく、今後、地元からの複数当選には、同地区以外への可能な限りの支援拡大が課題となっている。
組織票労組を母体としたのが、初挑戦の深田昇(明電舎)、梶泰久(東芝機械)、渡部一二実(富士通)。このうち西間門に住む梶の場合は、同じ地元に三期目を目指した深瀬勝がいるため、地元への浸透には遠慮していたが、それでも影響は避けられなかったか、深瀬は前回の二、〇九六票から一、七一〇票へ三八六票減らし、順位も十七位から二十八位へ。定数削減派としては、辛うじてとどまる形となった。
これに対して、梶は二、三六〇票、十二位、深田は、さらに上を行く二、九一四票、五位という高位当選を果たし、労組出身者の手堅さを見せた。渡部は地元愛鷹地区の大きな支援も受けた中で二、一一二票、十八位での当選だった。
一方、政党と、その支援組織による闘いを進めるのが公明党と共産党。公明党は、これまでの四議席から一人候補者を減らして三人立候補という万全の態勢で臨んだ。同党は創価学会の支援を受けるものの、統一地方選前半の県議会議員選挙に、まず全力投球するため、市議選で表立った活動に入るのは、その後。それでも、組織をきっちり動かし、地域割による各候補者への票の割り振りも遺漏はない。
もともと四人、あるいは五人でも当選させられるだけの堅い票があるが、今回選での同党の得票は、前回から一、八九九票減らして八、九八二票。背景には候補者の交代や、組織周辺の支持者の投票率の低下もあるだろうが、それでも三人の当選に問題はなく、初出馬の長田吉信が三、二五〇票で二位、六期目の城内務が二、九二七票で三位、初挑戦の片岡章一が二、八〇五票で六位と高位で当選した。
これに対して共産党は、定数が二十八になったため、予定していた四人の立候補をやめ三人に絞り込んだが、三期目を目指した齊藤孝一が涙をのんだ。同党は、四人を立てた前回選で一人落選したが、四人で六、一九二票。今回も二五〇票減らしはしたものの、五、九四二票があり、票の割り振りが調整できれば三人当選も可能だったが、果たせなかった。
三候補のうち、二、六〇〇票を超えた川口三男に対して、齊藤は一、五五三票。三十位で定数二十八の壁に阻まれた。(おわり)
(沼朝平成23年4月29日号)
0 件のコメント:
コメントを投稿