「市制101年」 匂坂 信吾
市制100周年を期して、沼津藩や藩主・水野家の足跡を学ぶために昨年四月に開講した「歴史と文化のまちづくり塾」は次の通り最終回を迎えます。
日時=三月二十四日(日)午後一時半から三時ごろまで。会場=市立図書館四階第一・二講座室。講師=水野忠尚経済学博士(最後の沼津藩主・水野忠敬の曾孫)。演題=「沼津藩と水野家一族の幕末」。入場料・資料代=無料。
水野講師は昨年八月と十二月に続き三回目の登壇ですが、沼津藩や水野家が江戸幕府の中枢で果たした役割、沼津藩が幕末に経験した様々な苦難、さらに明治維新に伴い徳川家が静岡藩に転じたために沼津藩が上総国菊間に移封になった運命など、今までの集大成となる講座を準備されています。
沼津郷土史研究談話会(略称・沼津史談会)は、「まちづくり塾」を通じて、沼津のまちが武田氏築造による三枚橋城の廃城後に東海道の宿場町として発展したこと、また廃城から百六十年後の安永六年(一七七七年)臨以降は、水野家が三枚橋城の跡に沼津城を築き、明治維新まで八代・九十年余にわたり城下町を形成した歴史を学ぶ機会を地域の皆様に提供いたしました。
また、本会は平成三十一年(二〇一九年)一月には、他団体と共に数年がかりで「沼津兵学校創立百五十周年記念式典」を開催した経過があります。
そして、このほど水野講師からの指摘で、ようやく沼津藩・水野家と沼津兵学校との接点を見出すことができました。それは幕末、諸外国から開国を迫られていた中で、外国奉行に就任した水野家一族の旗本・水野忠徳と幕臣で維新後に沼津兵学校一等教授を務めた田邉太一とが共に威臨丸に乗船し、外国との交渉に当たっていたという事実です。
田邉は琵琶湖疎水.の建設責任者・田邉゜朔郎の叔父で、沼津で一緒に暮らし、朔郎は兵学校附属小学校(現在の市立第一小学校)に学びました。詳しくは講座で。
ところで、市制100周年の総仕上げとして市が「沼津市歌」再生を進め、新たに編曲された市歌が、あす20日から正午のチャイムで聞けるようになります。 今まで流されていた冒頭部分だけではなく一番全体を流すとのことで、末尾のフレーズ「築かん沼津、栄えゆく街」を市民が毎日、耳にすることになります。
市制101年から始まる「まちづくり実践編」に、乞うご期待。 (沼津史談会会長、小諏訪)
【沼朝令和6年3月19日(火)言いたいほうだい】
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