ヨーカドー沼津店とイシバシプラザ
8月22日閉店発表
沼津市高島本町の商業施設イシバシプラザと同施設に入居するイトーヨーカドー沼津店は6日、営業を8月22日に終了すると発表した。
店舗出入り口やエスカレーター付近などに営業終了を告知する書面を掲示し、買い物客らに示した。イシバシプラザは7日、ホームページ上でも掲出する。跡地利用について同社は現在検討中とし「それ以上は何も答えられない」としている。
同市の頼重秀一市長はコメントを発表し「市の商業の中核として、雇用や地域産業を支える重要な役割を担った施設。長年、市街地活性化に寄与したことに感謝する。まちづくりの重要な場所でもあり、今後の動向を注視したい」と述べた。
(東部総局・薮崎拓也)
市街地衰退心配する声
跡地の利用、活性化期待
「うわさは聞いていたけど」「さみしい」ー。沼津市高島本町の商業施設イシバシプラザと中核テナントのイトーヨーカドー沼津店が8月の営業終了を発表した6日、客からは中心市街地衰退への危惧とともに、長年親しんだ施設の閉店を残念がる声が聞かれた。一方へ近くのJR沼津駅周辺では鉄道高架化に伴う再開発も予定され、活性化に向けた跡地利用に期待する向きもあった。
1978年に開業した同施設はショッピングモールの先駆け的な存在。JR沼津駅北口から徒歩5分圏内にあり商都・沼津の中心を担ったが、近年は大規模モールが郊外に進出し、テナント撤退が続いていた。
同市の70代無職男性は「ここ数年、閉店のうわさは何度も広がっては消えていた。これからどこで買い物すればいいのか」。裾野市の主婦(37)は「学生時代から友達との待ち合わせにも利用していた。思い出の場所がなくなるのはさみしい」と話した。
周辺の沼津リコー通り商店街関係者は、鉄道高架化による駅一帯の再開発と連動した跡地利用に期待する。大田呉服店を経営する大田紀人社長(57)は「人□減少を見据えたまちづくりをどう進めるのか跡地利用のビジョンを行政と共有してほしい。閉店は残念だが時代の流れ。新たな街へと再生する好機と捉えたい」と語った。
【静新令和3年(2021年)3月7日(日曜日)】
ヨーカドー、イシバシプラザ閉店
8月22日をもって43年の歴史に幕
イトーヨーカドー沼津店の撤退が決まった。同時にイシバシプラザも閉店となる。いずれも8月22日で営業を終えるが、西武百貨店以来の大型店舗撤退に市内に衝撃が走った。
同施設は1978(昭和53)年、旧石橋製糸工場跡地に建設された。ヨーカド1を中核テナントとして、個店による専門店街で構成していたが、近年は人口減少や後発大型店の周辺への進出などを背景に、個店の撤退が相次いでいた。
このため、この数年、沼津撤退の話は噂の範囲としては流れていたが、現実のものとなった。
ヨーカドーでは店舗入り口に張り紙をし、「43年間のご愛顧ありがとうございました」との言葉と共に、「8月22日をもって閉店する」旨を案内している=写真。
また、イシバシプラザはホームページで、次のように「閉館のお知らせ」をしている。
「当イシバシプラザは、昭和53年の開店以来、皆様の御厚情をいただき営業を続けてまいりましたが、2021年8月22日をもちまして閉館する運びとなりました。
昨今の新型コロナウイルス問題、商環境の変化、開店から40年以上経過しており建物の老朽化等を総合的に検討して、誠に遺憾ながらこれ以上の営業継続は不可能とイシバシプラザ閉館の決定に至りました」
ヨーカドー撤退について頼重秀一市長一は、次のようにコメントした。イシバシプラザは、昭和53年の開業以来、長年、本市における商業の中核施設として、また、従業員の雇用や、地域産業を支える重要な役割を担っていただいております。
イシバシプラザの閉店については、長年、中心市街地の活性化に寄与していただいたことに対し感謝申し上げるとともに、中心市街地における商業拠点の一つがなくなるため、大変重く受け止めております。
この場所は、まちづくりにおいても大変重要な場所ですので、今後、関係者の動向を注視してまいります。
また、市商店街連盟の芦川勝年会長は「とうとう、そこへ来たか、そういう所に立ったかという思いはあるが、驚いてはいない」とした上で、次のように語った。
沼津駅周辺総合整備事業で、駅北地区の土木事業は完成している。しかし、出来上がったものが、うまく機能していないのではないか。中心市街地活性化基本計画を進める一方で郊外型再開発を行うことなど考えられない(のに、してしまった)。
さらに、その上位に鉄道高架事業があり、商業エリアの連続性とか回遊性とかを考えるなら駅南北の暫定自由通路が必要。現実に生きている人が生活できる回遊性を考えてほしい。市当局とか、統治機関とかという所には対処療法に真剣に取り組んでほしい。ヨーカドーがどうこうというのではなく、現状の課題認識の中で政策を考えるべき。これまで、そのためのバックボーンがなかったのでは。
まちに残る商業者は覚悟を持って残ろうとしている。人口減少や時代認識の中で問題点を捉え、早めの対策というものが必要になるのではないか。
【沼朝2021年(令和3年)3月9日(火曜日〉)
暮らしにくいよ、沼津!仙石規
数年前から噂されていた沼津駅北の大型商業施設の閉店が現実のものになりました。自分が大学三年生の時に開店した同施設は、地元商店街から大きな反対運動がありましたが、完成後の大賑わいが夢のように思い出されます。帰省するたびに、家族や親類と訪れ、「沼津も変わってゆくのだな」と感じました。
今回は「商都」沼津の終わりを告げる出来事でしょう。戦後の沼津は、空襲による市街地焼失からの復興を終え、昭和二八年のアーケード街完成、続く上土センター街、仲見世商店街の新装など、破竹の勢いで、県東部の集客に成功しました。
昭和三二年の西武沼津店開業、その後の富士急名店街、同百貨店開業などは、やはり老舗商店からの反発はありましたが、共存して沼津市中心街への来客を増し、商業都市沼津の黄金期がもたらされたのです。今回閉店する施設も、この四十三年間、市民に愛されてきました。自動車に乗らない家人は、「どうやってこれから沼津で生きていこうか?」と、悲痛な声を上げました。
二年前に誘致された大手不動産系のシヨッピングモール開店が、沼津中心部の衰退に拍車をかけたようです。
資本主義化の日本では、商業の栄枯盛衰は仕方がありません。商店街や百貨店が繁栄を極めた春の夜の夢のような過去を懐かしんでも、空しいだけです。交通の変化や人口減少、ネットショッピングの進展などで、地方都市は、みな苦しい状況です。
しかし、高齢者のことを、もっと考えてもらいたいですよ、沼津市は! SNSのみでの情報発信、スマホ決済優待、スマートシティ?何が何だか分からない市民も多いのではないでしょうか?自分自身も間もなく「高齢者」の仲間入りをしますが、とてもついてゆけません。
体を動かすことさえも辛い方々が、沼津駅南口地下道を「よっこらしょ一と昇り降りし、激変した寂しい駅周辺を見て、「みんな、なくなっちゃったよ!」と嘆く姿を見るたびに悲しくなります。
かつて栄えた商店街の老舗店も、この数カ月で急激に店を閉める数が多くなりました。「コロナ禍」の影響もあるでしようが、市政の歪みが市民の暮らしに激変をもたらしているかと感じます。
沼津に戻って三十二年になりますが、暮らしにくさは日に日に増すぽかりです。
(医師・郷土史家、市場町)
【沼朝2021年(令和3年)3月9日(火曜日〉「言いたいほうだい」】
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