現論
ジ.ヤニーズ問題から考える
佐伯啓思
幼児化が招く文化の喪失
ジャニーズ事務所の故ジャニー喜多川前社長による、タレント志望の少年たちへの性的加害という疑惑が、このところ世間の耳目を集めている。週刊誌もテレビ報道も、取り上げてはいるが、どうももうひとつ歯切れが悪い。
メディアの扱いは、どうしても俗な好奇心に流れるが、それとは別に、この問題の背後には、わが国の文化に関わる無視しえないことがらがある。端的にいえば、わが国の文化の最前線が、あまりに「幼くなっている」のではないか、ということだ。
ジャニーズ問題の背景には、10代半ばの少年、少女を人気タレントに仕立て上げ、そこに利益を生み出すという、わが国のエンターテインメント文化の現状がある。
「かつこいい」「かわいい」がもつばらの価値基準となり、商品価値が生まれれば、テレビなどのメディアもそれを後押しする。大人たちが、少年・少女たちにごびを売り、そのくせ、彼らをだしにして稼こうとする。
こうして、少年.少女たちが市場の舞台にのせられ、社会や文化の主役になり、大人がそれに迎合する。
上書きの運命
今日では「若いこと」が価値を持つ。言い換えれば「新しいこと」が価値を生む。経過した時間が長ければ、それだけで、人も物も使用期限切れになってしまう。
かつては、あたかも水滴がまるように、経験や知識の蓄積を可能とする、ゆったりと流れる時間が大事であった。今日では、経験や知識の蓄積などは余計なものであり、時代の変化に対する軽やかな反応こそが価値の源泉になる。
年寄りは、経済的にも社会的にも役立たずの古ぼけた存在になる。これはエンタメ文化だけのことではない。あらゆる分野で見られることで、今日の文明の陥った「幼児化」というべきものであろう。それこそが情報化社会にほかならないのだ。
情報化という現象は、常に「新しさ」に価値を求める。メディアも「ニュース」、つまり「新しいもの」を追いかける。情報は常に「アップデート」を要請され、たえず「上書き」されなければならない。情報化社会では、人も社会も同じで、「アップデート」され「上書き」される運命にある。
「アップデート」に乗り遅れたものは、社会の敗者になりかねない。IT革命から始まった、今日の「イノベーション」賛美は、まさに「イン、ノーブ(新しくする)」ことへと、人々の関心を駆り立てていった。こうしていわば「上書き文化」にわれわれはすっかり浸っている。
だが、時間の中でゆっくりと経験を積み、吟味し、反復し、育成するという習慣の衰弱は、われわれの「文化」の喪失を意味している。
なぜなら、「文化」とは、「カルチャー」つまり「カルティベイト(耕す)」であり、あたかも土地を耕し、土壌を肥やし、そこに植物を繁茂させるように、ある場所で時間をかけて、人の精神をゆっくりと育てるものだからである。
鈍麻する感覚
ところで、第2次世界大戦の前夜、オランダの文明史家であるホイジンガは、当時のヨーロッパ文明が「小児病」化している、と言った。人々は、たやすく満足を得るべく即席の気晴らしに精を出し、粗野で大げさなものに引かれ、壮大な見せ物に拍手を送る。
人々はまた、本当の意味でのユーモアの感覚を欠落させ、物事に簡単に同調し、また同時に、見解の違う者に対して不寛容になり、何事をも誇張的に表現する、こうした精神的態度を、ホイジンガは文明の「小児病」と呼んだ。「幼児化」といつても同じである。
しかもそれをもたらしたひとつの原因は、社会生活が高度に情報化され、伝達速度が高速化したからだという。その中で、人々は、自分の頭で物事を考え、判断することをやめる。繊細な感覚が鈍麻する。スローガンのような単純な言語が社会を動かす。
人は、大人になるよりも、子供であろうとする。大戦前の文化を「幼児化」といったホイジンガの文明論、まさしく今日のわれわれの世界にもあてはまるのではなかろうか。 (京大名誉教授)
【静新令和5年7月15日(土)理論オピニオン】
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