東海道みちしるべ 赤池康浩
実家の前に旧東海道が通る、古地図から、まさに、ここが沼津宿西関門、出口見附番所の位置と知った。十数㍍西には「出口見附外」の案内石標が立っている。
先日、祝日とも重なった土曜日の昼、20人程の実年男女がハイキング姿で西へ歩を進めていたのを見た。この夏、旅行会社が募集した東海道宿場歩きツアーの列だった。一行は石標前で少し歩速を緩め、宿場の姿、この地域に置かれた古の関門の役割を見ていた。
この道を歩む個人旅行者も少なくない。一人から二人、たいてい片手にガイド本など携えている。「東海道筋はこの道で良いのか」と尋ねられたりもする。
裏返せば、それは残念ながら今の沼津が、かつての城下町であり宿場町であった面影(町並み)を多くは残していないことに起因する。沼津城跡地は説明碑の他には城郭を偲ばせる建造物が現存せず、名称も「城趾公園」ではなく「中央公園」と呼ばれる。
ご存知の通り、沼津は旧三町「本(ほん)」「上土」「三枚橋」で一つの宿場(沼津宿)を形成し、問屋場(役所)のお役を日数で三等分(ひと月に10日ずつ分担)して営んでいた。これが後の三大字となり、開城後の「城内」と共に沼津町の賑わいを成した。
その中で、宿(本陣、脇本陣、旅寵屋)、花街(花柳、料亭、置屋)の大方は「本(本町区)」に在った。
そんな、かつての賑わいの地を今では旅人が「道」に迷う。
ならば、どうする(どうしたら良い)? 「道」を主役に、もう一度、その姿を浮かび上がらせれば良い。
そこで私は、本年最終年度とされている沼津市の「民間支援まちづくりファンド」に「東海道みちしるべinぬまづ」という事業を提案し、採択された。
事業概要は、現在も観光ニーズの高い「旧東海道歩き」の「みちしるべ」となるものを吊り下げ旗等で作製し、市街地に潜在している歴史資源を活用する機会を創出する。同時に「東海道」の城下町・宿場町としての沼津の魅力を、住民、来訪者に向けて「見える化」しながら、街が発信していくことを主な内容とした。
今年度下期に具体化し、「沼津宿」と揮毫した吊り下げ旗を作製の上、スタートは、かつての本陣エリアである本町区(通横町、上本・下本町、浅間町、幸町=旧・出口町)沿道に掲げる。
今月14日(土)、15日(日)、浅間町の丸子神社・浅間神社境内での神社マーケット「手仕事楽・市」や、15日の本町商連の店先にも飾られる。
14日の楽市では、沼津郷土史研究談話会による東海道筋のイラストマップ「川口マップ」と、その解説文が載った沼津史談会報を販売する。数に余裕があれば、吊り下げ旗の頒布も行う予定(限定数のため品切れの際は、ご容赦)。
また、11月23日(木・勤労感謝の日)午前10時から本町のコーポ寿山1階で歴史ミニセミナー「川口マップによる本町.東海道の話」(講師は沼津史談会副会長の長谷川徹さん)を開催する。予約不要、参加無料。
どうか旗を飾った方は、旅人に問われたら、町や道の歴史を自信を持って語って、伝えてあげてほしい。」 (古物商・土筆屋店主、幸町=旧・出口町)
【沼朝令和5年10月6日(土)寄稿文】
0 件のコメント:
コメントを投稿