がんセンター山口名誉総長講師に
商議所青年部がOB会と合同研修交流
沼津商工会議所青年部は、OB会との合同研修交流事業として研修会を先月、大手町会館大ホールで開催した。研鑓を積む場を持ち、それに合わせて会員とOBが交流する初めての試みで、約70人が参加した。
県立静岡がんセンター名誉総長の山口建氏を講師に迎え、「沼津のまちづくりと医療田園都市構想」と題した講演を聴いた。
山口氏は1974年、慶応義塾大学医学部率業。乳がん治療や腫瘍マーカーの開発に尽力し、宮内庁御用掛、政府のがん対策推進協議会会長などを務めた。
また、県がんセンター創設、ファルマバレープロジェクトの中核的役割を担い地域の発展に貢献。出身は三重県だが沼津に住んで21年、この街の歴史などについても造詣が深い。
はじめに、山口氏は「沼津はスペシャルな街。市民は誇りを持っていい」として理由を列挙。
沼津について田中角栄氏は「この地は必ず発展する。御用邸がある地とは、そういうものだ」と語ったことがあると言う。風光明美な地であり、天皇陛下も沼津の海の美しさに言及したことがある。
芹沢光治良、井上靖など沼津出身の文学者も数多く、「文化レベルの高さを表している」と山口氏。
ほかにも沼津の特徴を「気候温暖、食材豊富、人物寛容、高所得、交通至便、医療充実」などの熟語で表現。「医療田園都市構想とは、超高齢社会の理想郷を目指すこと。沼津では既に7割方、出来上がっている」とした。
さらに、沼津の「スペシャルな点」として歴史と産業に言及。
高尾山古墳は東日本最古級と言われ、西暦250年頃のものと考えられ、1208年の「吾妻鏡」に沼津という地名が初出。1579年には三枚橋城、その約200年後には沼津城が築かれ、港町、城下町宿場町として栄え、物流の拠点になった。
1869年には沼津兵学校が出来たことで、幕府のノウハウが伝わり、優秀な人材も集まってきた。戦時中には海軍技術研究所・海軍工廠が出来、これは後に沼津の工業の基礎をなすものになったと言える。
こうした歴史を踏まえて、山口氏は「沼津百年の計として、まちづくりと産業興しは重要なテーマ」だとした。
特に「まちづくりは喫緊の課題」で、17~19年後に完成するとされている鉄道高架事業については「勘違いしている人もいるが、鉄道高架自体では街は変わらない。人流や物流、旧鉄道用地の利用、高架下用地の活用をいかに考えるか」だと指摘。
中心市街地には高層住宅が建設され自家用車を便用しい高齢居住者が流入すると考えられる。そのため、徒歩圏内に買い物や医療施設など生活諸機能を整備する必要がありその中で、商店街の果たす役割は大き・いとして、「超高齢化はビジネスチャンス」との見方を示した。
一例として、ある地方都市では、まちおこしの一環として地域医療の基幹病院を街なかに造ったことで商店街がにぎわうようになった。
ただ、ここで必要なのはソフト面における「おもてなし」であり、これが行き届いていないことが「沼津文化の弱点」だとした。
山口氏は、県がんセンターにおいても「おもてなし」を重要なことと考え、医療スタッフの姿勢、「患者の心を読む」対応を大切にし、「患者のための病院づくり」をしてきたと語った。
沼津の商店街でも例えば、小売店ならではのきめ細かいサービスなどを強みにして、店舗が連帯して工夫できることがあるとした。
さらに、20年後に鉄道高架事業が終了すると、「沼津の経済は一時的に停滞する」として、中長期的課題として「産業興し」の必要性を訴えた。
そのモデル地域として長泉町を紹介。
2002年に県がんセンターが開設して以来、周辺では先端医療や医療産業が活性化し、数々の企業が誘致されて「医療城下町」が完成。山口氏によれば、医療産業従事者が5000人.(町の人口は約4万3000人)いて、平均所得は全国62位。合計特殊出生率、財政力指数ともに県内第1位で、「奇跡の自治体」と言われている。
山口氏は、超高齢化社会の理想郷として、沼津、長泉を含む周辺12市町を対象とした理想郷としての「医療田園都市構想」を提起。
ファルマバレープロジェクトは、これまで患者と医療産業に対するものだったが、住民と全ての産業にまで裾野を広げて計画を練り、がん研究大学院の設置を目指していると言う。
「理想郷は、そこに住む人が、どんな人達であるかが大事」だとして、知恵を持つ高齢者と共に「連帯を意識して、次の時代は若い人達が築いていってほしい」と呼び掛けた。
【沼朝令和5年10月5日(木)号】
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