旧県社日枝神社
明治六年(一八七三)に郷社となり、大正十五年(一九二六)十一月二十五日、県社に列せられた。車返神詞ともいわれ、以前山王社といった。大岡庄は当時関白藤原師通(もろみち)の領地であった。嘉保二年(一〇九五)源義綱が叡山の僧円応法師を殺害した事件があった。僧侶たちは師通に訴えたがいれられず、かえって神人が武士に殺されたので、師通は僧侶らの呪咀(じゅそ)により山王の崇(たたり)をうけ、三十八歳で死去した。これがため堀河天皇の康和元年(一○九九)十一月に師通夫人の誓願によって、近江国滋賀郡日吉神社の分祀を請い、大岡庄の内八町八反を寄進してここに祀ったといわれている。それ以来、各時代を通じて領主の崇敬が篤く、大岡庄の総鎮守であった。祭神は大山咋命(おおやまぐいのみこと)で、相殿は大歳神・大己貴(おおなむじ)神である。毎年九月二十四日を例祭日としている。この神は冶水をつかさどり、また造酒の神としても崇敬されている。
社宝として、国の重要文化財に指定された山王霊験絵巻一巻(『文化財篇』参照)、沼津城主大久保忠左が奉納した助宗の槍、菅公真蹟・藤原為兼筆一幅・大釜(源頼朝が富士の巻狩に使用した遺物で、直径三尺余の大釜であったが、殿損して今はその辺片を残すのみ)・今川氏や北条氏関係の古文書類などがある。(「沼津市誌下」152・153頁 昭和33年11月15日発行)
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