2020年4月5日日曜日

頼重市長が白洲信哉氏と対談 御用邸記念公園開園50周年迎え


頼重市長が白洲信哉氏と対談
御用邸記念公園開園50周年迎え
 市は、沼津御用邸記念公園開園50周年特別対談会を328日、同公園東附属邸で開
き、頼重秀一市長と文筆家の白洲信哉(しらす・しんや)氏が同公園の歴史的、文化的価値や将来に向けての新たな展開などについて話し合った。
 施設活用のアイデア
 白洲氏が強み指摘し提案
 白洲氏は1965年、東京生まれ。細川護煕(ほそかわ・もりひろ)首相の公設秘書を経て執筆活動に入り、日本文化の普及や書籍編集、デザインなどを手掛け、様々な文化イベントをプロデュースしている。
 父方の祖父は、吉田茂首相の側近として活躍し、貿易庁長官を務めた実業家の白洲次郎氏。祖母正子氏は、母方の祖父が皇孫殿下(昭和天皇)の養育係だった川村純義伯爵。また、白洲氏の母方の祖父は文芸評論家の小林秀雄氏。
 対談では、沼津市観光プロモーションの東京デスクを置くポニーキャニオンからデスクリーダーの村多正俊さんが訪れて進行役を務めた。

 はじめに頼重市長が御用邸の歴史を話しながら、白洲氏が川村伯爵の玄孫(やしゃこ)に当たり、川村伯爵の別荘を宮内庁が買い上げて西附属邸としたこと、御用邸が廃止されて市に無償貸与され、1970(昭和45)年に市が管理する都市公園として同公園が開園し、今年で50周年を迎えたことなどを話し、「沼津だけでなく、国の宝」だとした。
 白洲氏は「川村伯爵の玄孫だと言われても、祖母の正子が生まれた時には亡くなっていたので、川村家の何かがあるわけでもない」としながら、沼津御用邸について「海辺の素晴らしい場所として選ばれ、西洋の様式を取り入れて建てられた。100年の歴史の中で、いろいろな物語が培われ、昭和天皇との縁のつながりで今がある。沼津は魚市場だけでなく御用邸も素晴らしい。50周年事業には期待しており、できることがあれば協力したい」と話した。
 記念事業のアイデアについて尋ねられた白洲氏は、「松と言えば能舞台で、松は神様の木と言われ、浜に関する演目もある。イベント以外にも建物は使ってなんぼで、保存と活用のバランスを取ることが大事。御用邸は日本の近代を知る上で大事な場所で、しっかりとした形で今も残っているものは少ない。玉突所のビリヤード台もプロに使ってもらえば感激すると思う。既存の建物や文化財を生かし、お金を生み出す工夫をすれば沼津の武器になる」とした。
 市長は「富士山や伊豆半島ジオパーク、駿河湾、箱根など、世界的に有名な観光地の中央に位置する地形的優位性があり、『皇室ゆかりの庭園』ツーリズムとして、国土交通省に登録され、インバウンドで多くの観光客が見込める。これまでに積み重ねてきた日本の歴史や伝統文化を感じられる施設として活用することが大事で、特別展示も行う予定」だと話した。
 白洲氏は「御用邸はパレスで、パレスに泊まれる所は、どこにもない。昭和天皇が暮らした場所で変な使い方は良くないが、泊まりたくても泊まれない場所。城に泊まるのは無理でも、ここは可能性を秘めている。板前の握った寿司をここで食べるなど、そういうのを好んで旅をするアッパークラスの人達もいる」との考えを示した。
 市長は「御用邸でできること、どんな環境に身を浸すことができるか、ということを画像や動画配信で伝え、『女子旅』をテーマに御用邸をPRし、レトロ感のある空間、歴史を積み重ねてきた本物を提供したい」と返した。
 白洲氏は一明治時代の西洋からの輸入文化と、皇室ゆかりの文化が融合した和洋折衷をアピールすることで、海外と日本、双方の観光客にとって気になるコンテンツになる。御用邸で禅や華道、茶道の体験等を提供し、日本の伝統文化との接点を持てるように活用していくのも良いと思う。まずは知っていただき、来ていただいてリピーターを増やすことが大事」だと提案した。
 市長は、「ぬまづの宝100選」を紹介しながら「沼津には優れた地域資源がたくさんあるが、地元に住んでいると、その価値に気付かないこともある。今までなかった発想を聴かせてもらい、視野が広げられた。戦略的にPRすることで地域の宝を世界の宝にしたい」とした。
 引き続き、同公園の木所克之所長による園内ガイドツアーが行われ、西附属邸では増築前に川村伯爵の別荘だった部分を紹介しながら白洲氏を案内。川村伯爵ゆかりの展示物や写真なども見てもらい、資料などを解説した。


 ※沼津御用邸は当時の皇太子(大正天皇)の御静養のために1892(明治25)年から本邸の建設工事が始まり、1893(26)年に御座所、御学問所など日本建築の木造平屋建て1200平方㍍の本邸が竣工。 1896(同29)年に本邸新御座所、玉突所、侍医の詰め所、女官室などが増築され、皇太子の成婚を前にした1899(32)年に用地を増地し、1900(33)年に洋館、玄関、車寄が造られ、本邸建物と苑地が完成。1903(36)年に学問所として赤坂離宮東宮大夫官舎を移築した東附属邸が造営された。
 1905(38)年に海軍大将(1904年、死後昇進)の川村伯爵の別邸を宮内庁が買い上げ、三親王用御用邸として西附属邸を設置。翌年(39)に皇居内賢所の附属仮建物を西附属邸に移築。1908(41)年に御車寄、御料浴室、廊下などを増築し、敷地を拡大して1922(大正11)年には玉突所を増築した。
 終戦を目前にした1945(昭和20)7月、沼津大空襲で本邸が焼失。戦後も皇室による利用は続いたが、それまでのような長期間の利用は減り、昭和天皇・香淳皇后が滞在する際には主に西附属邸が利用され、本邸が再建されることはなかった。
 1969(44)年に沼津御用邸が廃止され、宮内庁から大蔵省に移管されて沼津市に無償貸与。翌70年に文化教養、休養のための都市公園として沼津御用邸記念公園が開園し、一般公開が始まって50周年を迎えた。
 2006(平成18)年には、都市公園法施行50周年記念事業で「日本の歴史公園100選」に選ばれ、16(28)年には近代日本における近郊海浜保養地の優れた風致景観を伝える事例として、一部の景観が「旧沼津御用邸苑地」の名称で国の名勝に指定されている。
 入園料100(小中学生50)。西附属邸の観覧料は入園料を含め410(200)30人以上の団体は260(130)。いずれも幼児無料。
 開園時間は午前9時から午後4時半。
 問い合わせは同公園(電話9310005)
【沼津朝日2020(令和2)45(日曜日)

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