維新後沼津での江原素六の活躍
駅南商店街再生のヒント探りIBA未来塾が講座
IBA未来塾(松田啓資理事長)は7日、沼津史談会副会長の長谷川徹さんを講師に「維新後沼津での江原素六の活躍」をテーマにした講座を日の出町のサンウェルぬまづ2階会議室で開いた。
沼津駅南商店街の再生のヒントを探ろうと全6回で開くシリーズの3回目。長谷川さんは、江原素六先生顕彰会が出版した江原素六翁の自叙伝と、明治史料館が作製した図録解説書などを基に話した。
江原翁は江戸幕府に仕えた武±。明治維新後、徳川家は江戸から駿府(現在の静岡)に移ったが、江原翁は抵抗軍の1人として名簿に名を連ねられていたため江戸に潜伏し、暗殺を恐れて偽名で静岡に入り、沼津に来て素六に名を変えた。
その後、徳川家の陸軍兵学校として沼津兵学校開校に尽力。学校の運営資金を集めるために金融機関の前身や牧畜、廻船業や運送業などを立ち上げて様々な事業に取り組んだが、多くは失敗した。
沼津兵学校はヨーロッパ流の近代的な学校で、初代頭取に西周を招き、今の大学と同等、当時としては最高水準の教育を行い、全国から優秀な人材が集まったが、明治5年には東京に移されて廃校となり、陸軍兵学校の発祥につながった。
兵学校附属小学校は明治6年に公立小学校「集成舎」となり、現在の一小につながる。また、江原翁は東京で麻生中学、沼津に駿東高等女学校(現・西高)を創設するなど教育振興にも尽力した。
さらに明治7年に国有化、22年には御料地化されたことで住民が立ち入ることができなくなった愛鷹山の払い下げを政府に訴え、32年に実現。「江原翁が残した功績の中でも特に大きなもので、沼津の茶業発展の基礎を築いた」ことなどを詳しく説明した。
次回4回目は10月10日に開き、長谷川さんが、商業のまち、工業のまちとして発展した沼津の歴史について話す。
【沼朝令和4年8月17日(水)号】
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