江原素六とその周辺64
江原素六と広岡浅子
広岡浅子(一八四九~一九一九)は、NHKテレビの朝ドラ「あさが来た」(二〇一五年放送)の主人公のモデルとなった女性実業家である。三井財閥の一族に生まれ、大阪の豪商広岡家(加島屋)に嫁ぎ、明治期には炭鉱・銀行・生命保険といった各種事業を手がけた。キリスト教に入信したのは明治四四年(一九一一)と遅かったが、以後、日本基督教女子青年会(YWCA)中央委員をつとめ、廃娼運動に取り組むなど、社会事業にも貢献した。
ドラマでも描かれた通り、広岡は初の本格的な女子高等教育機関である日本女子大学校(現日本女子大学)の設立にも多大な協力をした。その準備段階、明治三〇年(一八九七)三月二五日に帝国ホテルで開かれた女子大学開設を目指す第一回創立披露会には、大隈重信らとともに江原素六・島田三郎らが賛成演説を行った(『東京朝日新聞』明治三〇年三月二六日付、『日本女子大学校四十年史』)。そして江原は、三四年(一九〇一)四月二〇日の開校式にも来賓として出席している(同三四年四月二二日付)。その頃から江原と広岡は知り合いだったことになる。
廃娼運動を推進する団体として明治四四年(一九一一)七月に廓清会が結成された際、江原は発起人総代をつとめた(『日本廃娼運動史』)。発起人兼評議員全四四名のうち一三名を占めた女性の中には広岡がいた(『廓清』第一巻第二号)。四四名中には、島田三郎(会長)・服部綾雄ら沼津兵学校・沼津藩ゆかりの人物も名を連ねている。
掲載した写真は、大正三年(一九一四)六月、福岡県の門司(現北九州市)で撮影された集合写真であり、前列中央に江原と広岡が並んで写っている。全国協同伝道の際に、クリスチャンだった鉄道院九州管理局長の長尾半平の官舎にて撮影されたもの。
全国協同伝道とは、一九一〇年にイギリス・エジンバラで開催された世界宣教大会の影響を受け、大正三年(一九一四)から六年(一九一七)まで、日本のプロテスタント諸派が共同して実施したキリスト教伝道のための一大キャンペーンのこと。全国大小の都市で祈祷会・講演会など各種のイベントが開催され、大正デモクラシーの世相とも相まって、教会数や信者数を一気に増加させるきっかけとなった。
門司などの関門地方では、大正三年六月五日から一一日まで伝道が実施され、一〇〇件の集会が開かれ、聴衆は三二〇〇名、志道者は七五〇名にのぼったという。広岡も講演したし、江原は若松(現北九州市)の商業会議所で講演を行っている(『三年継続全国協同伝道』)。全国協同伝道において江原は、「各方面より最も多く要求せられたる弁士の一人」だったという(『基督者としての江原素六先生』)。(樋口雄彦)
(「明治史料館通信:第150号」令和4年7月25日発行)
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