「チンチン電車が走る町おこし」 富嶽藤三郎
先日の本紙に令和5年1月末の沼津の人口が日本人だけで18万4559人、世帯数は9万629世帯とありました。これを23年前の2000年と比較すると、21万91人から2万5000人余り、14%減ったことになります。
また、総務省のデータを見ると、22年後の2045年、沼津市の人口は13万4000人へと5万人の減少が見込まれています。
この5万という数字は、例えば現在の第一地区から第五地区までの人口を合わせた5万6000人に近いもので、この5地区の人口がそっくりなくなってしまうことを考えると、改めて人口が減少していくインパクトを感じます。
学園通りを南に下り沼津駅南の中心街を散歩していると、100㍍の間で、すれ違う人が少なく、あるいは全くない日もあり、活気のない中心市街地を実感する寂しい散歩です。
昭和40年頃、西武百貨店の周辺はバス待ちの高校生らで、ごった返していたことが嘘のようです。これから人口が一段と減少する時代を迎え、活気ある町にするにはどうしたらよいか、常々考える散歩となっています。
そこで夢を見るのは、沼津の町にチンチン電車が走っている風景です。この夢は、三島の広小路駅-沼津駅-原駅までの「東西線」と、港湾ー沼津駅ー岡宮常照寺近辺までの「南北線」2路線の敷設です。
東西線と南北線の沿線には、途切れることなく家並みが続き、高校、事業所、神社、寺院など数多くあり、利用者の基礎的な集客条件は揃っています。
また、原から沼津、清水町、三島までの町が2路線でつながり、市民の行動範囲が相互に広がると期待され、港湾地区の観光客誘引にもなります。
一方、電車のための線路敷は交通量が減った4車線道路を利用でき、土地の収用や税負担も少なく、工期も短く、車両も民間企業の投資を呼び込めば、夢の開花に期待が持てます。東西南北に走るチンチン電車は、年寄り、買い物客、学生、通勤者、観光客を乗せ、市民の足となり、町おこしに貢献します。
元々沼津には広小路駅までチンチン電車が走っていた時期(明治39年~昭和37廃線)があります。廃線前の沼津駅から黄瀬川までのこども料金は5円で、なじみのある交通手段でした。
また、明治末期には、ほかにも鉄道計画があり、沼津駅北部路線の名残が現在の三つ目ガードと学園通りです。もう一路線は沼津から原、吉原、大宮(富士宮)、甲府をつなぐものでしたが、幻の計画となりました。
確実に進む人口減少の時代、シャッターを下ろす商店が増えるのは大変寂しい限りです。「チンチン電車が走る町おこし」で、人通りを増やし、町を元気にし、沼津の"へそ"となる中心商店街の復活を期待する次第です。真に「温故創新」となるよう願っています。(大岡)
【沼朝令和2年2月28日(火)号寄稿文】
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