世論は味方だが・・・・・
仕分け人は結果責任から逃れられぬ
静岡新聞主筆 原田誠治
真っ正面から踏み込み「廃止」を連発する事業仕分けに役人から「公開処刑だ」という声があがったと伝えた新聞もある。
政府、民主党の行政刷新会議の事業仕分けはすさまじい。まるで劇場だと報じた新聞もある。
税金の無駄遣い排除にもちろん異論ないが、1事業1時間という短い時間で無駄か否か決められるのか。そんなに単純な理念理由で事業が設定され、予算がはりつけられているはずがない。
その処方箋(せん)によってどんな結果になるか、仕分け人は結果責任から放免されはしない。
法廷の被告人質問のようだ
世情はいつからこんなに冷酷になったのか。この目で確かめようと大勢集まるのは結構だが、官僚たたき、役人いびりの現場を見てやろうという社会的空気がある、という話は穏やかではない。
「まと質問に答えられない役人を見て溜飲(りゅういん)を下げた」「仕分け人の切り込みは小気味よかったね」の傍聴評に異様さが漂う。
「公開」の場、衆目の前という舞台設定が仕分け人を異常に勢いづける。昂(たか)ぶって説明役の役人に噛(か)みつく場面が生まれる。独立法人・女性教育会館の6億円予算をめぐって女性参院議員が突っ込み、「利用者はどれくらいか」「そのうち宿泊はどの程度か」「一般人の宿泊はどれほどか」と速射砲のように質問をあびせつづけた。
法廷の被告人質問のような畳みかけに会館の女性担当者が「待ってください。自分の質問ばかりで…私の説明も聞いてください」と泣きだしそうになった。
さすがに傍聴者の中に「仕分け人は役人攻撃が目的なのか」「役人をいじめているみたいだ」と同情の声が上がった。
職務権限はない民間仕分け人
この事業仕分けには分からないところがたくさんある。
まず、仕分け人と呼ばれる人たちの資格だ。民主党議員は国民の選挙によって選ばれた人たちで、しかも行財政に長けた人を充てたようだから文句はない。
民間有識者はどうか。確かに立派な肩書きと専門知識を持ち合わせた人たちだが、行政刷新会議が恣意的に選任したもので、国民新党の亀井静香代表からクレームがついた小泉政権で金融庁顧問だった川本裕子早大院教授ら一部を除けば民主党シンパの集団だ。だから、厳密に「第三者」とはいえない。もちろん国民を代表しているともいえない。
その民間人が国家の事業・予算の存廃、修正を決定づける力は何を根拠に与えられるのか。法律上の資格、職務権限がない人たちが三権分立の原則に沿って行政が立案した事業・予算の存廃を判定する根拠は何だろう。
役人も目覚めよ無駄遣いの罪
ついでながら、民間シンクタンクが判定者を務める地方自治体の事業仕分けも気がかりはある。
地域の実情を知らない人たちがただ効率や金嵩の多寡で切り分ける。どんな事業、制度にも地域の事情や歴史的背景がある。それを無視した仕分けに市民の反発を受け中断した自治体もある。
今回もその事業・予算につながる人たちの意見を後回しにしている。時間的制約があるのだろうが全くの"欠席裁判"だ。人にやさしい政治の看板が泣いてしまう。
政治主導とは政治責任を貫くことだ。国の事業は長期的視点も必要だから存廃判断の処方箋づくりは政治家がやるべきだ。それも清新な意識の人たちこそ鋭い判断ができる。初当選の国会議員を外した小沢幹事長の判断は間違いだ。
公開の場で税金の使途にメスが加えられるのは画期的だが役人への見せしめにしてはならない。民間仕分け人方式を貫くなら仕分けの基準づくりを急ぐことだ。
役人は税の無駄遣いの罪深さに目覚めよ。仕分け開始に合わせ会計検査院に史上最多の無駄遣いを暴かれてはお話にならない。
(静新平成21年11月14日「大論小論」)
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