中央公園改称について考える
史談会沼津城にちなむ名称を
沼津史談会と沼工同窓会で構成する「沼津に城があったころ」再現実行委員会(渡邉美和代表)は、沼津城の大手櫓(やぐら)門を5・4㍍四方の平面パネルで再現し、17-19日に大手町の中央公園に展示。沼津観光ボランティアガイドが解説し、多くの見学者が訪れた。
最終日には、静岡古城研究会会長で考菅学研究家の望月保宏沼工校長が鑑賞に訪れ、「非常に良く出来ていて、当時の面影が偲ばれる同窓会の力作。イベントを通じて、かつて沼津に城があったことを多くの市民に知ってもらえたと思う」と話した。
また、「沼津史談会では『中央公園』の名称変更や城跡の一部復元を要望する活動を行っている。一っでも要望通りになれば沼津城の認知度も高まる」との考えを示した。
パネル展示終了後、史談会が「歴史と文化のまちづくり塾」を市立図書館視聴覚ホールで開き、約80人が来場。静岡市出身の講談師、田辺鶴遊師が「江原薫六伝」をテーマに創作講談を披露した。
講談を前に史談会の匂坂信吾会長は、昭和30年代半ばに上中下で刊行された「沼津市誌」編集委員長を務めた故大野虎雄さんが「中央公園を小田原市の例にならって『城祉公園』と名称変更し、必要な整備を行うべき」だと主張していたことを紹介。
また、沼津城本丸と周辺の古地図を示しながら、「沼津城は旧東海道に面して斜めに建てられていた。当時の面影はないが、沼津城本丸跡の半分が中央公園として今も残る。城の遺跡がない場合、『城祉公園』の命名は難しいというが、名称を『沼津城跡公園』『本丸跡公園』など歴史を感じさせる名称への変更を市に提案していきたい」と話した。
紹介を受けて登壇した田辺師は、旧沼津城を沼津兵学校として使用し本丸に寄宿舎を作った若き日の江原翁と、その後の活躍について口演した=写真。
続いて、中央公園の名称変更について意見交換を行い、来場者8人が発表。いずれも名称変更には賛成だったが、「遅きに失した感がある」などの声もあった。
最後に渡邉代表があいさつし、昨年の二重櫓の展示には約2000人が訪れて76人がアンケートこ答えたが、今回の大手櫓門の展示では観光ボランティアガイドの解説もあり、約5000人が来場して400人がアンケートに答えたことを話し、「形を変えて今後もイベントを企画したい」とした。 なお、来年1月には千本プラザ地階に大手櫓門のパネルを平面展示。史談会では来年7月頃までに中央公園の名称変更について提案書をまとめ、市へ提案することを検討している。
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