世界かんがい遺産登録
北山用水(富士宮)本宿用水(長泉)
当時の革新的技術結集 開削歴史的価値
家康ゆかりの 富士宮市の北山用水と長泉町の本宿用水が6日までに、「世界かんがい施設遺産」に選ばれた。建設から10G年以上が経過し、歴史的価値の高い利水施設を登録する国際かんがい排水委員会(ICID)の制度で、現地時間4日にインドで開かれた理事会で決まった。県内の登録施設は6件になった。
北山用水は徳川家康が甲斐の武田家に攻め入った1582年、家康が勝利の礼にと、進軍時に泊まった北山本門寺の願いを聞き入れて開削を家臣の井出正次に命じたとされる。わずか3カ月半で通水に至る迅速な工事だったとの言い伝えがある。芝川を水源に南東へ流れる全長約8㌔の水路で、枯れ沢や浸食谷の幅と深さを考慮して掛け樋(とい)と埋め樋を使い分けた工法は、当時の利水工事において革新的だった。
北山地区は周囲より標高が高く、水不足に悩まされてきた。北山用水によって稲作の水源が確保でき、水車の動力を生かして暮らしが著しく発展した歴史がある。現在も地域の農業を支える貴重な水となっている。地元住民でつくる北山用水運営協力委員会を中心に保全に取り組む。
本宿用水は、黄瀬川の「鮎壼の滝」上流部にある新井堰(せき)から取水し、延長約500㍍の隧道(ずいどう)、約2㌔の水路で構成する。降水時に暴れ川となる黄瀬川は稲作に向かないため、徳川家康から任命を受けた領主・興国寺城主の天野三郎兵衛康景が、1603年に完成させた。隧道通水の水利技術や鉄のノミを使った人力による掘削、あんどんを使う測量など高度な技術を結集し、67年後につくられた深良用水(裾野市)建設の手本にもなった。
本宿用水の完成により、水持ちが悪く、作物の増産が見込めなかった土地が水田地帯となり、同地区の農村発展と貧困解消につながった。現在も本宿共有財産管理委員会や本宿部農会など有志を中心に維持管理している。
同遺産登録は、かんがい施設の持続的な活用と保全を考える契機とし、維持管理に対する意識向上につながることが期待される。(富士宮支局・国本啓志郎、東部総局・菊地真生)
【静新令和5年11月7日(火)3面】
地域の宝を世界の宝に
住民の地道な努力結実
ごみ撤去、増水時の水門調整、歴史継承
「世界かんがい施設遺産」に登録が決まった富士宮市の北山用水と長泉町の本宿用水。登録に至るまでには地元住民の地道な取り組みがあった。登録証が6日、維持管理する地元団体の元に届いた。会員らは保全に汗を流した先人たちの功労に思いをはせ、地域の宝を後世に継承する決意を新たにした。
北山用水は、地元住民5人でつくる運営協力委員会が月に数回、水路にたまつたごみを撤去し生活用水の通水を維持する。大雨で増水の危険が高まるときの水門調整も任され、地域を水害から守ってきた。2021年からは地元の北山小に出向いて児童に北山用水の歴史と価値を教えている。
石川雅洋会長(73)は冷たい水に入って取水口に堆積した土砂を運び出した思い出を懐かしそうに振り返った。登録を機に多くの見学者が来ると見込み、5人は「遺産に恥じない姿を保ち続ける責任を果たそうと一致しうなずき合った。
本宿用水の登録に尽力した本宿共有財産管理委員会は、用水に関わる資料を集めて細かな歴史を探ってきた。年に1度、地元住民を集めて用水内の土砂やごみの撤去。見学会などを開催し、管理や歴史の継承を担ってきた。
資料収集の先頭を走った高田泰久さん(77)は「登録されてうれしい。地域の食料生産を安定させるために作られた歴史ある用水の存在を、もっとたくさんの人に知ってほしい」と笑顔を見せ、地元住民と自治体の連携に意欲を示した。
(富士宮支局・国本啓志郎、東部総局・天羽桜子)
【静新令和5年11月7日(火)⒁目面】
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