郷土愛が消えた時 仙石規
私が沼津朝日新聞の「言いたいほうだい」欄に初投稿して掲載されたのは半世紀前、高校三年生の時でした。夏の高校野球甲子園大会に地元の公立高校が出場できるように、市で支援しようという投稿に対して、「スポーツに、身びいきな金の問題を出すな」と反論した内容でした。
同窓生からは「軟派な奴だと思っていたけれど、見直したよ」と評価してくれた意見もありましたが、紙上では「甘いことを言うな。金がなければ何もできないよ」と酷評されました。
その頃、「沼津に、もう我慢ならない隊」と名乗る投稿者がいました。「馬齢を重ねた」という匿名の方で、「沼津の現状に憤死する」と激しく息巻いていました。
私も沼津に戻って何回、「言いたいほうだい」に投稿したでしょうか?
今年になってから、五十年前より悲惨な状態にあると感じるようになりました。戻ってきた平成元年の頃は、まだ沼津は暮らしやすさと穏やかさが残っていました。
市制百年の記念すべき年に、金を出す人達が潤うだけ、市議会は子どもの喧嘩みたいな状態。駅前の地下道で、お年寄りが手すりにしがみついて歩いている姿を見るのも悲しい限りです。
沼津への郷土愛の活動をひたすら続けてきた自分も疲れ果てました。「静岡県東部の中核都市」「東海道の商都城下町」との誇りなど微塵に消え去ってしまいましたね。
若い頃から年寄り臭いことを言うので、大学生の頃は「仙ジイ」と、あだ名が付き、亡き坂本龍一の映画・音楽がはやった時は「仙リイ、メリークリアマス」と椰楡(やゆ〕されたものでした。
郷土愛は、私の心から消え去ってしまいました。数年の内に、自由で、学ぷことがあり、生きる喜びがある都市に移住することを決意しました。
かつて、沼津の名病院に岩手から赴任された先生が沼津を評して、「狭い心、井の中の蛙のような人ばかりで、上に出ようとする人を潰すような土地柄」と言われたことを実感しています。
さらば、沼津よ!もう二度と郷土を語ることはしません。ここに生まれたことが間違いだったのでしょうね。
仙ジイよりメリークリスマス!
(市場町)
【沼朝令和5年11月26日(日)言いたいほうだい】
※ 昨今の沼津の有り様は、パイプ親爺も全く同感です!
0 件のコメント:
コメントを投稿