2009年6月7日日曜日

候補擁立まで関係者どう動いた検証

候補擁立まで関係者どう動いた検証中
自民最後に出馬要請、坂本氏と溝

 自民党参院議員の坂本由紀子氏(60)はかなり早い段階から出馬が取りざたされていた。
 3月25日に「石川知事辞職へ」の報道が流れると、坂本氏は周辺に「『(石川氏は)やっぱり出る』という話が進んでいたのが、先週辺りから急に空気が変わった。党県連幹部も大あわてで、後任の調整なんて全然やっていない」と語った。
 自身の身の振り方については口にしていないが、坂本氏が石川氏の動きに注意を払っていたのは間違いない。石川氏の進退について確たる情報がつかめないうちは動きようがないこと、国会での仕事があることなどを考慮して、表だった発言や行動を控えていたとみられる。
 民主党側との相乗りを目指す党県連幹部の動きが続く中、大型連休中の5月2日に転機が訪れた。県東部の9市10町の首長が三島市内に集まり、坂本氏に出馬を要請することを決めた。自分たちと同じ東部出身の坂本氏への期待とともに、坂本氏を担ぎ出して選挙の流れをつくる狙いがあった。
 現職の自民党参院議員に出馬を求めることは、自民、民主の相乗りを拒否することに等しい。以後、坂本氏に対し様々な団体からの出馬要請が相次ぎ、坂本氏もその度に出馬への意欲を語る一方、民間人を軸にした県連の候補者選定作業はしぼみ、「坂本氏擁立」の流れが強まった。
 だが、同じ組織内にありながら、坂本氏の最終的な意向を県連執行部はなかなか確認できず、どのような選挙態勢を組むのかが決まらない「中ぶらりん」(中谷多加二・県連幹事長=当時)の状態が続いた。結局、5月17日の県連総務会などで県連の方から坂本氏に出馬を要請する形にしたが、要請された坂本氏は終了後、記者団に「最後に要請してきた団体(自民党県連)になぜ最初に(諾否を)回答する必要があるのか」と語り、県連との間に溝ができていることをうかがわせた。
 坂本氏の反応について、周辺は「自分が出たいと思っているのに、ほかの人の擁立を目指した県連幹部への不信感があった」と解説する。溝は5月20日に一気に表面化し、県連幹事長として坂本氏に出馬要請した中谷氏を含む自民県連所属の県議5人が、民主党県連や連合静岡の代表らと一緒に、超党派で川勝平太氏の擁立を目指す「夢あるしずおか創造会議」発足の記者会見に出席した。
 この時は県連が5人を文書注意処分として動きは下火になり、県連は結束して選挙戦に臨む方針を確認したが、火種は残った格好だ。
 5日午後、国会内で静岡県知事選を巡る自民党の会議があった。「静岡知事選は来るべき衆院選の前哨戦として極めて重要。負けられない」(尾辻秀久・参院議員会長)、「一致結束して戦う。それが(知事選の1週間後の)都議選にも、引き続き行われる衆院選にも大いに影響する」(谷川秀善・参院幹事長)など、近づく衆院選の前哨戦として知事選を位置づけ、必勝態勢で臨まなければならないとの意見が相次いだ。
 「必勝のためお力添えいただけるのは本当に心強い。万全の思いで立ち向かわなくてはならない」。出席した坂本氏はこう決意を語り、拍手に送られて退席した。
(2009年6月7日 読売新聞)

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