2009年9月2日水曜日

渡辺氏自身の過去最多得票更新

衆院選「渡辺氏自身の過去最多得票更新」
全国的に有数の20万票に迫る
 有権者、政権交代に大きく舵
 中央の流れが6区にも反映
 衆院選小選挙区静岡六区は、民主党前職の渡辺周氏(47)と自民党前職の倉田雅年氏(70)の事実上の一騎打ちを渡辺氏が制して終えた。渡辺氏は五期目。四期目に挑んだ倉田氏は東海プロック比例代表選挙にも重複立候補していたが、復活当選はできなかった。四十五回目を迎えた今回選挙は、政権選択、政権交代が言われ、公示前から民主党の躍進と自民党の退潮が指摘されていたが、結果は、予想された通りとなった。この流れは、六区にもそのまま当てはまり、渡辺氏は六区全体で、自己最多得票で当選した前回選挙をさらに上回る十九万七千六百入十八票(三十一日午前一時十分確定)と、全国的にも有数の二十万票に迫ろうかという勢いを見せ、倉田氏は前回票を減らす結果となった。
 今回選における沼津市の当日有権者数は十七万千六百四十一人。前回選は十七万二千二百九十三人だったので、六百五十二人と僅かだが今回選の方が少ない。しかし、昨秋の麻生政権発足以来、注目され続けてきた総選挙だっただけに、投票率が向上。全国平均には及ばなかったものの、沼津市の投票率も六五・〇一%(小選挙区のみ。比例選挙、同時に行われた最高裁判所裁判官に対する国民審査投票率は除く)で、前回を二・一二ポイント上回った。
 このため、今回選は投票総数十一万千五百八十三票で、前回選の十万八千三百五十五票より三千二百二十八票の増。
 今回選には前回選同様に三人が立候補したが、事実上は渡辺氏と倉田氏の争いとなり、渡辺氏の沼津市における得票は七万六千八百七十三票、倉田氏は三方三百九十六票。前回選では渡辺氏六万二千百五十三票、倉田氏三万八千三百八十九票だったので、渡辺氏が一万四千七百二十票増やしたのに対して、倉田氏は七千九百九十三票減らした。
 また六区全体の渡辺氏の得票十九万七千六百八十八票は、前回選を四万三千百四十六票上回り、倉田氏の九万三千六百四十四票は、逆に二万七千四百四十五票少なかった。前回選で倉田氏は、公示の十日程前に急きょ六区からの出馬が決まり、文字通りの短期決戦。この時の選挙は、いわゆる郵政選挙。郵政民営化を目指した小泉政権が、参院での郵政民営化関連法案否決を理由に衆院を解散して行われた。
 この選挙は郵政民営化が既定路線であるかのような流れの中で、自民党は郵政民営化反対議員を公認せず、逆に対立候補、いわゆる刺客を送り込むといった強硬手段で実施。常任委員会委員長を出し、なおかつ委員の過半数を占めることができる絶対安定多数を獲得した。
 六区における選挙は、短期決戦に臨むことになった自民党を中心に支持層が結束したことも考えられるが、こうした郵政選挙が決定的な背景となったことは否定できない。事実、日頃は革新的な言動の有権者の中にも、「郵政民営化」一点で小泉支持を言う人がいた。
 この時、渡辺氏にとつて伊豆地域での選挙は二回目。その前の選挙では伊豆地域での後れを沼駿地区で取り戻し、同地区での対立候補(栗原裕康氏)との得票差が、そのまま六区全体の得票差となって当選したが、倉田氏との争いとなった前回選でも六区の十三市町のうち五市町は倉田氏が制しており、ここでも沼駿地区における二万四千票近い得票差が渡辺氏の当選に大きく働いた。
 これに対して今回選は、六区十三市町の全てを渡辺氏が制しての完全勝利。特に沼津、伊東、伊豆、伊豆の国(第二開票区のみ)各市では、ほぼダブルスコア、清水、長泉町では、ほぼトリプルというほどの圧勝だった。
 風は完全に民主党に追い風、自民党に逆風だった。「政権選択」「政権交代」が各方面で言われ、そのことによる、いわゆるアナウンス効果があったにしても、有権者が望んだ結果でもあることは確か。
 ただ、この伏線は、二〇〇一年四月の小泉政権誕生が序章となって始まり、〇五年九月の郵政選挙の結果が、決定付けた。
 市場原理主義、自由競争を掲げ、数を頼んでの法律や制度の制定・導入。人材派遣の規制緩和や生活保護世帯の母子加算の廃止。その結果の格差やワーキング・プアの問題、高い貧困率。国民の生活が厳しさを増す一方で、公務員制度改革は進まず、せっかく一度は切り込んだものも官僚の抵抗でなし崩し。
 さらに、ポスト小泉の歴代首相が一年ともたずに交代。昨秋のリーマン.ショックに始まる世界同時不況で失業者が増えても有効な手立てを示せず、解散の声には経済対策優先を理由に踏み出せない麻生政権。
 ほんの一時期を除き、五十五年近くに及び政権の座にあり、力で押し切りながら何も打開策を見出せないできた政府与党に対する不満、不信や怒り。今回選は、各小選挙区での候補者同士の争いとは違った、政権をどこに託すのかという大きな判断が有権者の意識に働いた結果だったのではないか。
 小泉純一郎氏は、「自民党をぶっ壊す」と言って総裁選に臨み長期政権を維持した。八年余を経て、その公言したことが、まさに現実のものとなった。長期にわたる政権と絶対多数によるおごり。生活習慣病が自民党という体内にジワリ浸透して、どうにもならない状況になった感がある。しかし功罪の功の面を言えば、自分達の一票で政権を変えることができるという認識を有権者に与えたことだろう。
 民主党にとっては敵失によって得た政権とも言えるし、マニフェストは任期の四年間で実現することをうたったものだとしても、国民は自分達の選択によって何かが変わったという手ごたえを求めている。
 選挙中、渡辺氏も認めていたように、「民主党が絶対というわけではないが、渡辺周個人ということではなく、民主党への期待、民主党が政権を取り、その先で自分達の暮らしを変えてほしいという訴えを感じる」という有権者の意識。
 政権を変えなければならない、と有権者が思い詰めるほどに国民の生活が厳しさを増していること。これが今回選を左右した大きな要因であり、新政権にとっては、これからが正念場。
(沼朝平成21年9月2日号)

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