2011年9月26日月曜日

陸山会事件:小沢元代表の元秘書3人に有罪判決

陸山会事件:小沢元代表の元秘書3人に有罪判決
 小沢一郎・民主党元代表の資金管理団体「陸山会」の土地購入を巡り、元秘書3人が政治資金規正法違反(虚偽記載)に問われた事件で、東京地裁(登石郁朗裁判長)は26日、元同会事務担当者の衆院議員、石川知裕被告(38)に禁錮2年、執行猶予3年(求刑・禁錮2年)を言い渡した。後任の事務担当者、池田光智被告(34)は禁錮1年、執行猶予3年(同・禁錮1年)、中堅ゼネコン「西松建設」からの違法献金事件でも併せて起訴された元公設第1秘書、大久保隆規被告(50)は禁錮3年、執行猶予5年(同・禁錮3年6月)とした。

 ◇水谷建設からの裏献金認定
 判決は、小沢事務所の会計処理について違法性を認定。「合理的説明なく4億円の存在を隠そうとした」と述べた。水谷建設からの1億円の裏献金についても検察側主張を認めた。全面否認していた元秘書3人がいずれも有罪とされたことで、同事件で強制起訴され10月6日に初公判を迎える小沢元代表には厳しい情勢となった。

 公判で検察側は、小沢元代表からの4億円を政治資金収支報告書に記載しなかったことについて「多額の資金の流れを隠す悪質な犯行」と指摘。この4億円を隠蔽(いんぺい)するため、土地購入日に受けた同額の銀行融資を記載した上、同時期に複数の関連政治団体から多額の入金をしたり、土地登記を翌年にずらすなどの偽装工作もあったと主張した。

 これに対し、石川被告は報告書の借入金欄に「小澤一郎 4億円」とあることを根拠に、正しく記載したと反論。銀行融資は同額の陸山会の定期預金を担保にしており、実質的に使える資金に増減がないことなどから「計8億円の借り入れとなると実態に反すると思い、融資は載せなかった」と釈明した。一方、池田被告は「元代表の4億円は一時的な預かり金で、返済の際も載せる必要はなかった」と食い違う説明をしたうえで、違法の認識がなかったとした。

 会計責任者だった大久保被告は「名目上の責任者に過ぎなかった」として他の2人との共謀を否定。計約3500万円の違法な企業献金を受領したなどとされる西松建設事件でも「企業献金ではなく政治団体からの許容される献金と認識していた」と無罪を主張。

 検察側は、虚偽記載に至った背景として、土地購入前後に中堅ゼネコン「水谷建設」から計1億円の裏献金が石川、大久保両被告に渡ったと主張したが、2人は全面否認。地裁は6月、「取り調べに問題があり任意性がない」として、石川、池田両被告が大久保被告や小沢元代表に4億円を記載しないことを報告して了承を得たとする供述調書などを却下した。【野口由紀、山田奈緒】

 【ことば】陸山会事件

 民主党の小沢一郎元代表の資金管理団体「陸山会」が04年、元代表の手持ち資金4億円を土地購入の原資に充てながら同年の政治資金収支報告書に記載せず、05年にずらして土地購入を記載し、07年に4億円を元代表に返済しながら記載しなかったなどとされる事件。東京地検特捜部は石川知裕衆院議員ら元秘書3人を政治資金規正法違反(虚偽記載)で起訴し、元代表は容疑不十分で不起訴とした。だが、東京第5検察審査会は3人との共謀があったとして「起訴すべきだ」と2度議決し、検察官役の指定弁護士が今年1月、同法違反で元代表を強制起訴した。


毎日新聞 2011年9月26日 13時35分(最終更新 9月26日 16時18分)

2011年9月17日土曜日

県が産廃撤去措置命令

愛鷹山麓不法投棄 沼津の業者元社長らに 県が産廃撤去措置命令
 沼津市の愛鷹山麓に約23万立方㍍の産業廃棄物が不法投棄されたままになっている問題で、県は16日、2000年1月~04年11月ごろにこの廃棄物を埋め立でたスルガ産業(沼津市西野、05年に破産)の庄司スエ子元社長(63)=同市=ら4人に対し、廃棄物処理法に基づく措置命令を出した。
撤去方法や工程などを記載した計画書を作成し、10月17日までに提出するよう命じた。撤去の着手期限は11月16日、完了は廃棄物の量を勘案して16年11月16日と定めた。廃棄物の量から、撤去費用は約100億円に上るとみられる。
 命令に応じない場合、周辺環境に支障があると判断されれば県による行政代執行も有り得るという。撤去費用は全額、庄司元社長らに請求する。
 県は04年12月、庄司元社長が廃棄物処理法違反で起訴されたことを受けて産廃処理の事業許可を取り消した。庄司元社長が08年に出所した後も約2年半にわたり撤去を要請してきたが、「費用が工面できない」などとして行動に移さないため、措置命令に踏み切った。
【静新平成23年9月17日(土)朝刊】

2011年9月8日木曜日

県内襲った「千年に一度」の大津波


「標高10㍍超地点に到達」
 県内襲った「千年に一度」の大津波
 1498年 明応地震

 東大准教授 古文書を基に推計
 県内に大きな被害をもたらしたとされる1498年の明応地震で、伊豆西海岸や県西部では標高10㍍以上の地点まで津波が到達したとみられることが7日までに、東京大地震研究所の都司嘉宣准教授らによる古文書や伝承の調査で分かった。安政東海地震(1854年)の津波と比べ数倍の高さだった可能性が高く、都司准教授は「県の防災対策を見直す必要がある」と指摘している。
 研究成果は10月12日から15日まで静岡市で開かれる日本地震学会の大会で「明応7年東海地震津波」と題して発表する。中には標高36・4㍍の地点まで津波が達したとされる地域もあり、今後、検証を進める方針。
 調査によると、古文書の記述や伝承に基づいて現地を測量した結果津波が到達した地点の高さは沼津市の江梨地区で10・9㍍、伊豆市小土肥で18㍍、同市八木沢で22㍍、西伊豆町の大田子地区で10㍍、同町の寺川地区で9・7㍍、磐田市掛塚で10㍍、焼津市三ケ名で6・3㍍と推計された。
 沼津市戸田は「平目平」と呼ばれる場所を津波が襲ったとの言い伝えがあり、同所を特定して測量したところ、標高は36・4
㍍だった。この数字について都司准教授は「古文書にしっかりと書かれているわけではない」とデータの信用性確保のためには精査が必要としながらも「東日本大震災の津波を考えると、これだけの高さでもおかしいとは言えない」と語る。
 明応地震では「千年に一度」の規模の津波が県内各地を襲ったとみられる。都司准教授は「県の防災対策は百年に一度の津波に対する備えと千年に一度発生する津波への備えの二段構えで考えるべき」と訴えた。
【静新平成23年9月8日(木)朝刊】