2021年2月21日日曜日

沼津鉄道高架土地収用完了

 


沼津鉄道高架土地収用完了

 県行政代執行 市長推進へ決意

 JR沼津駅付近鉄道高架事業に必要な沼津市原地区の新貨物ターミナル整備で、県は19日、物件撤去に応じていない元地権者1人の移転用地で実施した行政代執行を終了した。頼重秀一市長は「沼津だけでなく県東部全体の発展に寄与する。着実に進めていく」と、事業推進への決意を改めて示した。

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 代執行は県市職員ら約80人が同日朝から午後3時前までに、元地権者所有の工作物や立ち木などを撤去した。終了後、代執行庁の県が対象地1435平万㍍を市に引き渡し、新貨物ターミナル移転に必要な全用地約92千平万㍍の収用が完了した。今後は埋蔵文化財調査や造成工事などを行った上で貨物駅を移転し、高架化に取り掛かる。着手から完成まで約13年を見込む。

 移転用地取得に向け、市と地権者約170人との交渉が始まったのは2004年。川勝平太知事の発言による一時凍結もあったが、その間に有識者会議やパブリック・インボルブメント(PI)を行い、事業の妥当性を確認した。頼重市長は経緯を振り返り「長い期間にわたり、地権者はもちろん地域住民に多大な協刀をいただいた」と感謝した。一方、明け渡しに応じなかった元地権者には「自主撤去が望ましかった。代執行という形になって残念」と話した。

 川勝知事は「(就任当初は)平和裏に解決するように誓ったことを覚えている。代執行はやりたくなかった」と振り返った。元地権者たちに対して「複雑な気持ちを抱えた上で譲っていただいた」とし「無念の気持ちが晴れ、長期的には(立ち退いて)良かったと思われるようにするのがわれわれの務めだ」と強調した。

(東部総局・山下奈津美)

 

 


動き出す沼津鉄道高架 上

市民分断「地元負担忘れずに」

 長年翻弄政治不信も

 JR沼津駅付近鉄道高架事業に伴う新貨物ターミナル移転用地収用を巡り、県は19日、行政代執行を実施した。「故郷を破壊するな」「強制執行に抗議する」ー。県職員らが作業を進める中、事業に反対する元地権者や市民は訴えを書いたカードを首に掛けたまま無言で怒りの姿勢を示した。唯一、明け渡しに応じなかった元地権者の久保田豊さん(81)は現場に姿を見せなかった。市民を翻弄(ほんろう)、分断し続けた事業を巡る争いは、行政による土地の強制収用で決着し、双方に痛みを残した。

 対象地は久保田さんが親から受け継いだ農地1435平万㍍。市が土地の権利を取得した昨年6月以降も補償金の受け取りを拒否した。収用直前の17日も「自分の土地を守る。将来世代に借金を残しかねない事業自体にも反対」との姿勢を貫いた。

 地元自治会に貨物駅の移転計画が伝えられたのは1990年代初め。地権者を中心に反対運動が巻き起こった。土地を渡したくない思い、生活環境変化への懸念、事業効果自体の疑問ー。さまざまな声が上がった。2005年には、事業の是非を問う住民投票条例制定を求めて約6万人が署名(市議会で否決)06年には当時の市長に対するリコール運動が展開され市民を推進、反対で二分した。

 「残ったのは挫折感と政治不信」。かつて反対運動の中心にいた長興寺住職松下宗柏さんは、川勝平太知事の発言が関係者を混乱させたと指摘する。川勝知事は初当選翌年の10年、強制収用は避けると明言し、事業を一時凍結した。しかし14年、一転して新貨物駅整備を表明。松下さんは「迷走した揚げ句、180度転換した」と批判する。

 同事業は新たなステージに進む。新貨物駅移転先の自治会でつくる三区JR貨物駅対策協議会の鈴木正祥顧問は「原地区の負担なくしてここまで来られなかつた。市はそのことを忘れないで」と訴える。02年に周辺整備に関する18項目の地元要望を市に提出。今後、進捗(しんちょく)状況を住民に説明すべきだと考えている。「頼重秀一市長は目指す都市像に『人・まち・自然が調和し、躍動するまち』を掲げている。原地区でも実現してみせて」と切望した。◇V

 JR沼津駅付近鉄道高架事業は、沼津市原地区の新貨物ターミナル移転用の収用を終え、本格的に動き出す。構想から30年余り。社会状況が変わる中、元地権者ら地元住氏の思いやまちづくりの方向性を探る。

【静新2021(令和3)220(土曜日)



動き出す 沼津鉄道高架 下

中心市街地再生へ期待

駅周辺跡地新たな活用に注目

 「まちづくりの顔となる事業。機会をしっかりと捉え、地域発展につなげる」。JR沼津駅付近鉄道高架事業に伴う新貨物ターミナル整備を巡り、全ての移転用地収用が完了した19日。沼津市の頼重秀一市長は市の活力再生へ強い決意を口にした。県東部の"商都"と呼ばれたかつての活気を取り戻せるのかー。事業が動くことで、市民の関心は今後のまちづくりに移る。

 構想浮上から30年以上が経過し、同市を取り巻く環境は大きく変わった。人口は2015年に20万人を割り、駅周辺の大型商業施設の撤退が相次いだ。ここ数年の公示地価では、商業地の市町別最高価格地点(同市大手町)順位が隣接の三島市を下回っている。

 衰退が目立つ中、鉄道高架を含む6事業で構成する沼津駅周辺総合整備事業は、中心市街地再生への切り札として期待されてきた。高架事業で南北市街地の一体化や鉄道跡地を利活用し、中心市街地を大きく造り変える。駅南の沼津仲見世商店街で紳士服店を営む渡井篤紀さん(60)は「鉄道高架はゴールではなく、まちを総合的に発展させるためのきっかけ。効果的な開発を行うことが大切」と事業の進展を注視する。

 市は昨年度、総合整備事業が完了する20年先を見据えた「中心市街地まちづくり戦略」を策定し、駅周辺を「ヒト中心の空間に再編する」とのビジョンを打ち出した。鉄道高架で生じる車両基地(23㌶と貨物駅(2㌶の跡地、高架下(47㌶の用途についても初めて活用法を提示し、市役所や医療機関、商業施設などを候補に挙げた。貨物駅跡地には防災公園などの整備を検討し、どのような機能が導入可能か事例調査を進めている。

 市民にとって「生み出された空間に何ができるか」は大きな関心事だ。ニーズを見極め、早期に具体像を示すことが期待感の高揚につながる。

 長い空白期間を経て前進した、787億円を投じる巨大事業。頼重市長はSDGs(持続可能な開発目標)やスマートシティー、アフターコロナなど、まちづくりを進めるための最新のキーワードに注目する。「最前線の取り組みを実行するチャンスを得た」。時流を捉えたまちづくりに挑戦する姿勢を強調してみせた。

(東部総局・山下奈津美が担当しました)

【静新令和3年2月21日(日)朝刊】

 


 原西部地区の新貨物ターミナル用地

 沼津駅付近鉄道高架事業に伴い、新貨物ターミナル建設予定地である原西部地区の明け渡し未了地で19日、県による行政代執行(強制収用)が行われ、作業員や警備員も含む約80人が収用地内の立木を伐採し、杭や看板などの工作物を撤去した。

 県収用委員会の裁決により昨年68日、建設予定地の未買収用地について所有権が地権者から市に移り、旧地権者に対して収用地内にある物件の撤去を求めてきた。

 その後、順次、用地上の物件が撤去され明け渡しが進められたが、昨年115日期限の明け渡しを最後に、一本松の畑4筆、143589平方㍍については唯一、明け渡し未了の状態が続いていた。

 この土地は昨年618日に明け渡し期限を迎えていたもので、旧地権者が応じなかったことから、代執行庁(県知事)が改めて今月5日を期限とする明け渡しを求めたが応じず、8日、19日に代執行に入ることを通知し、今回の強制収用となった。

 代執行の開始時刻となった午前8時半を前に、原貨物駅に土地を売らない地権者の会等の支援者ら約50人が収用用地前の路上に並んだ。

 「我々の故郷を破壊するな」「誰のための行政なのだ」「許せない県知事の二枚舌」「強制収用は約束違反」「コロナ戦争の最中、鉄道高架等と言ってる場合か」「子どもや孫達に借金と歴史に汚点を残す鉄道高架はやめてください」などと書かれたプラカードを首から下げ、無言で抗議した=写真=だけで混乱はなかった。

 8時半になると、名雪元・県交通基盤部建設支援局長が行政代執行の法的根拠を示しながら「代執行宣言」を行い、作業を開始。作業員が有刺鉄線を切断して対象地内に入り、用地を確定させる測量や残された立木、工作物などの物件を調査。

 続いて、用地を囲っていた有刺鉄線の支柱の杭を重機で引き抜き、立木を伐採し、反対運動のシンボル的な工作物である「貨物駅断固阻止」と書かれた看板の撤去などを進めた。

 新貨物ターミナル建設予定地の用地買収は代執行をもって終了する。

【沼朝2021(令和3)220(土曜日)

2021年2月5日金曜日

芥川賞・宇佐見りんさん(沼津出身) 単独インタビュー 静岡新聞令和3年2月5日夕刊一面

 

芥川賞・宇佐見りんさん(沼津出身)

単独インタビュー




うさみ・りん 1999年沼津市生まれ、神奈川県育ちの大学生。2019年に「かか」で文芸賞を受けデビュー、同作で20年の三島由紀夫賞を最年少受賞。「推し、燃ゆ」が史上3番目の若さで芥川賞に決まった。

 

書いて真実見つけたい

小説描写県内風景も

 「推し、燃ゆ」で第164回芥川賞に選出された宇佐見りんさん(21)=沼津市出身"5日までに、リモートで静陶新聞社の単独インタビューに応じた。小説執筆の根源を「一つ、真実を見つけたいという気持ち」と表現し、「目指すものを書き続ける」と意欲を語った。

 初めて小説を書いたのは、小学3年生の授業。以後絶えることなく創作を続けた。高校に入学してからは純文学を意識し、長編を手掛けるようになった。中学、高校では演劇部に在籍。俳句を学んだ時期もあったが、小説を選び取った。「一人の人間の視野、内面的要素、身体感覚を伝えられる点で小説という表現がいいなと。自分一人で(作品に)向き合えるし、良しあしが全て自分の責任になる」

 「推し、燃ゆ」は、生きにくさを感じながら、男性アイドルの応援に心血を注ぐ10代女性の物語。「推し」と呼ばれる現象や当事者のありようを、精緻な描写で例示した。「『推し』という言葉は、単なる趣味のような捉えられ方をすることが多い。そうした冷ややかな視線や感覚をはぎ取りたかった。そこには切実な何かがあると思った」

 沼津市生まれで、2歳まで家族で住んでいた。神奈川県内に引っ越してからも、高校時代までは毎夏、同市内にある母親の実家に23週間滞在した。 「(沼津市内の)らららサンビーチが好き。温泉にもよく行った。(7月下旬の)夏まつりでは、花火が終わってから(商店街の)マルサン書店さんに連れて行ってもらうのが楽しみだった」

 静岡県内の風景をモチーフに使うこともある。「『推し、燃ゆ』では、主人公のおばあさんが入っている病院の周辺の描写に、熱海市の海岸のイメージを混ぜている」

 目指す小説家像に具体的なモデルはないが、書き続ける理田ははつきりしている。「一っ、真実を見つけたいなという気持ちで毎回書いている。いろいろなやり方で自分の中を掘って、作品ごとにそれ(真実)が見えかけた時はあるが、まだ届いてはいない。これからも掘り続けたい」(聞き手=文化生活部・橋爪充)

【静新令和325日夕刊一面】

210205ぬましんストリートギャラリー齋藤リラ大作展as

210204沼津法人会第2ブロック役員会サンサンホールas