2020年12月28日月曜日

2020政治検証 上 「俺に逆らうやついない」

 

2020政治検証 上

 「俺に逆らうやついない」

 菅首相、強引手法を継承



 「黒川弘務東京高検検事長を検事総長にして損はありません」。今年1月上旬、首相官邸。当時官房長官だった菅義偉首相は安倍晋三首相にこう求めた。現職検事総長の退任時期との関係上、実現には2月に迫った黒川氏の定年を半年延ばす必要があったが、安倍氏も同意。検察官の定年延長を巡る異例の法解釈変更に踏み切った。鮮明となったのは、政権の強引な手法と国会説明軽視の姿勢。「今の俺に逆らうやつはいない」。安倍氏から首相の座を継ぐ前、菅氏は周辺にこう語った。

 集団的自衛権の行使容認を見据えて内閣法制局長官を外部登用するなど慣例破りの人事を行ってきた安倍政権。「安倍1強」の下、幹部人事を担う内閣人事局を活用し「霞が関支配」を築いた。

 黒川氏は官邸に近い存在とされた。「検察人事にも意向は及ぶはずだ」というのが政権の感覚だった。安倍氏は黒川氏の定年延長に関し「菅ちゃんがあそこまで言うのは初めてだ」と吐露。菅氏は権力行使を巡り「快感」と周囲に明かしたこともあったという。

 黒川氏の定年延長を可能とした法解釈変更は野党の批判を浴び、政府の国会答弁は揺れ動いた。その後、黒川氏に賭けマージャンが発覚し、検事総長に就くことなく辞職。通常国会で、検察幹部の定年を延長できる特例を盛り込んだ法案は廃案となった。だが政権の人事権への執着ぶりは官僚に改めて刻み込まれた。

 「次は菅ちゃんだね」。828日昼、安倍氏は官邸の執務室に菅氏を呼び"禅譲"を告げた。事実上、安倍政権の強権的手法が続くと決まった瞬間だった。安倍氏は持病再発で体調が悪化。菅氏に先立ち後継を打診した麻生太郎副総理兼財務相には断られていた。

 安倍氏は次期自民党総裁について「石破茂元幹事長は駄目。岸田文雄政調会長は物足りない」と漏らし、側近の今井尚哉首相補佐官がひそかに菅氏に伝達。菅氏は「後継は自分」との感触を強めていた。同党の二階俊博幹事長らの支援約束は取り付けており、安倍氏の指名は総裁選勝利へ道が開けたことを意味した。

 最高権力を手中にした菅首相は、人事権を駆使し統制を加速させる。総裁選期間中、民放番組で官僚操縦術に関し「反対するなら異動してもらう」とまで宣言。日本学術会議の会員任命拒否問題で固執したのは「政権内に『任命権者は自分だ』と見せつける」(周辺)ことだった。国会で拒否理由を問われても「ゼロ回答」を繰り返した。

 官邸内の「官邸官僚」の力学も変化した。経済産業省出身の今井氏は補佐官を退任。警察庁出身の杉田和博官房副長官は続投し、旧内務省系の存在感が強まった。人事権誇示にこだわる菅首相。だが最重要のコロナ対策で苦境が続く。衆院選に向け、来年は正念場を迎える。

 ◇

 今年は菅政権発足のほか、対中外交、野党合流が注目された。各テーマの1年を検証した。

【静新令和21228日(月)朝刊「2020政治検証上」】

2020年12月27日日曜日

狩野川下流域の洪水対策工事完了

 

狩野川下流域の洪水対策工事完了

 沼津でお披露目式

 国土交通省沼津河川国道事務所が沼津市下河原町の狩野川下流域で実施した堤防かさ上げなどの洪水対策工事が完了し、26日、現地でお披露目式が行われた。



 工事は同地区のスルガマリーナに隣接する南北約100㍍の堤防を、従来から11㍍かさ上げして高さ645㍍とした。マリーナの船舶が出入りする部分には、台風や津波などの増水時に浮力で水門が自動的に起立して閉鎖する「自立フラップ式ゲート」を採用した。総事業費は約9億円。工事完了に伴い、周辺区間の堤防上の通行も同日から可能になった。

 お披露目式には地元自治会関係者など約30人が出席。同事務所の職員が工事の概要などを説明し、出席者が出来栄えを確かめて完成を祝った。

【静新令和21227日(日)朝刊】



2020年12月25日金曜日

沼津・鉄道高架訴訟 原告の主張退ける静岡地裁

 

沼津・鉄道高架訴訟

 原告の主張退ける静岡地裁


 JR沼津駅付近の鉄道高架事業は必要ないとして、元地権者らが国や県を相手取り、事業認定の無効確認などを求めた訴訟で、静岡地裁は24日、原告の訴えをいずれも退ける判決を言い渡した。

 原告側は訴訟で、事業の構想当時と社会状況が変わる中、車両交通量は大幅に減少し、渋滞緩和の目的自体がなくなったと主張。費用対効果が低く、橋上駅にした方がはるかにコストが掛からないなどと訴えてきた。

 小池あゆみ裁判長は判決理由で、駅周辺の交通渋滞や鉄道による市街地の分断を解消する必要性は失われていないと判断した。橋上駅方式についても「鉄道高架事業よりも費用を大きく削減できるとまでは言えず、鉄道高架事業を選択したことが不合理とは言い難い」と指摘した。

国土交通省中部地方整備局は「国の主張が認められたと理解している」とコメントした。原告側は控訴するとみられる。

 原告側、判決を批判

 JR沼津駅付近の鉄道高架事業を巡る訴訟の判決後、元地権者の久保田豊原告代表は静岡地裁前で「不当判決」と書かれた紙を掲げた。

 久保田さんは記者会見で「判決内容を読むと、ふに落ちないところがたくさんある。まだまだ闘う意欲は消えたわけではない」と強調。元地権者でただ一人、土地の明け渡しに応じていないが、来年25日の期限後も「立ち退かない」と語気を強めた。 代理人の海渡雄一弁護士ば「非常に残念。『不合理とまでは言えない』という理屈で逃げ、行政側を救済した判決」と批判した。

 知事、元地権者に

「考え直して」

 JR沼津駅付近の鉄道高架事業に伴う沼津市原地区への新貨物ターミナル整備を巡り、元地権者らが事業認定の無効確認などを求めた訴訟の判決を受け、川勝平太知事は24日、県庁で記者団の取材に応じ、土地の明け渡しに応じていない原告の久保田豊さんとの面会に意欲を示した。「原地区のために何ができるかという観点から考え直してもらいたい」と翻意を促すという。

 来年25日の明け渡し期限後に、知事が是非を判断する行政代執行(強制収用)には触れず「最後の最後まで話を続けたい」と対話による解決を模索する姿勢を強調した。

 被告補助参加人として訴訟に参加した沼津市の頼重秀一市長は「事業が適正であると判断していただけた」と受け止め「鉄道高架は市の発展に必要不可欠。一日も早い完成に向けてこれまで以上に推進していく」とコメントした。

【静新令和21225日朝刊】

2020年11月27日金曜日

「キミサワ」ブランド終幕

 

「キミサワ」ブランド終幕

 マックスバリュ東海が屋号統一

 「顧客主義教え今も」



 食品スーパー「マックスバリュ東海」(浜松市東区)はグループの店舗屋号をマックスバリュ系に統一し、県東部などで長年親しまれた「キミサワ」の店名を2021年末までに廃止する。1926年に三島市で個人営業の薬局として開業。97年に経営破綻した「ヤオハン」とともに、県内を代表する小売業に成長して戦後の経済成長期を駆け上がったキミサワブランドは95年の歴史に幕を下ろす。

 11月上旬、三島市のキミサワ加茂川店ではマックスバリュのジャンパー姿の店員が接客し、客はキミサワの名前とロゴ入りの買い物かごを手に品定めしていた。店内で混在する二つのブランド。静岡、神奈川両県に残る「キミサワ」と系列の「ザ・コンボ」「グラッテ」計8店の屋号を改め、マックスバリュの知名度向上と地域により密着した一体的な店づくりを進める。

 創業の地に近いキミサワ広小路店(同市)をよく利用するという60代の女性は「キミサワの名前がなくなるのは不思議な感じだけど、店が変わるわけではない。これからも通う」と話した。

 マックスバリュ沼津南店(沼津市)の木苗秋彦店長(58)は81年、当時のキミサワに入社した。「『限りなくお客さまに近づく』を企業理念に掲げ、君沢藤一社長以下、全従業員が愚直に実行した会社だった」と振り返る。「寂しさはあるが、キミサワで学んだお客さまのことを考え、基本を徹底する姿勢は今も変わらない」と強調する。(浜松総局・杉山諭、三島支局・金野真仁)

 薬局から東証1部上場



 キミサワは創業者の君沢安氏が三島市広小路町の売り場面積5(165平万㍍)で始めた薬局が起源。息子の藤一氏がドラッグストアに発展させ、スーパーマーケットのチェーン展開も開始した。1986年にシンガポールに出店し、2年後に名古屋証券取引所2部に上場した。元従業員の男性(66)は「商圏が重なるヤオハン、ひのやと競い合うように成長していった」と回顧する。

 93年にハックイシダ(横浜市)と合併し、社名をハックキミサワに変更。東京証券取引所1部に上場して連結売上高は1千億円を超えた。だが、コンビニエンスストアの台頭などで競争が激化。スーパーとドラッグストアを併設する新業態の店舗つくりも成果は上がらず、イオンの連結子会社になり、スーパーとドラッグストア事業を分割した。

 ドラッグストア事業を引き継いだウエルシアホールディングス(HD、東京)はキミサワの屋号を使っていない。かつてしのぎを削ったキミサワとヤオハンは現在、ともにマックスバリュ東海になっている。

【静新令和21126日(木)夕刊】

2020年11月15日日曜日

県道東柏原沼津線の形状を変更  新放水路建設に伴い原踏切前後で

 

 県道東柏原沼津線の形状を変更

 新放水路建設に伴い原踏切前後で

 県道東柏原沼津線(旧東海道)の大塚地先の原踏切は沼川新放水路の整備に伴い約50㍍東へ移設される予定で、踏切の移設とともに同県道は北側に大きく迂回する形になる。移設時期については地元との調整が必要だが、それ程先の話ではない。

 北側で大きくカーブ

 既に現道東側に仮踏切



 踏切と県道の移設によって、現在の踏切と道路の部分に新放水路の流路となるボックスを建設する。

 計画では東海道線と交差する部分の県道下を放水路が通るためで、放水路が東か西側にずれていれば踏切移設を必要としなかったが、放水路整備に適した場所が、たまたま東海道線と県道の交差部だった。

 鉄道下の放水路工事についてはJR東海が設計を済ませており、県は昨年8月にJRと協定を結んで東海道線と県道交差部の放水路建設に着工。昨年度は主に踏切の信号機の移設に関する工事を行った。県道の迂回については県が設計と工事を行っている。

 鉄道と県道の交差部における放水路工事は昨年度から2027年度までの9年間を予定。この個所だけで約50億円が見込まれている。

 鉄道下の工事は、まず線路の北側と南側の一部区間を、それぞれ矢板で囲み、囲んだ内部の土を掘る。線路上は電車が通るため手が付けられず、線路下に、中は空洞の鉄製四角柱を線路の南側から北側へ通して横倒しの四角柱で囲まれた空洞2つを造り、この2つの空洞が放水路となる。四角柱の空洞部分にはコンクリートを流し込んで埋める。

 この工法はHEP&JES(非開削立体交差)と呼ばれ、鉄道下に構造物を造る場合に採用される方法で一般的にはあまり使われない。

 今年度は線路南北の一定区間を矢板で囲む工事に着手し、来年度から3年間かけて主に矢板の内側を掘り下げる工事を行う。

 23年度から26年度までは放水路となる四角柱を並べる工事などを行い、27年度で踏切を戻す予定。

 現場近くの線路上にはJRが造った仮の踏切が既に姿を見せている=写真。


 間もなく、現在の踏切が仮踏切と入れ替わり、同時に県道仮踏切を通るように迂回する。現道と、迂回路の接続場所は現在とは大きく形状が変わるため、注意表示など安全対策の工事を行う必要があり、その間、通行止めにする可能性もあるという。

 迂回路が北側へ大きく曲がる形になるのは、県所有の用地の中で工事を完結させるため。

 移設後の仮踏切と迂回路の形状は、切り替え後、約8年間続く。

【沼朝令和21115日(日)号】

2020年11月14日土曜日

杉浦千畝とリトアニア 前駐在特命全権大使重枝豊英氏が講演  【沼朝令和2年11月14日(土)号】

 

杉浦千畝とリトアニア

前駐在特命全権大使重枝豊英氏が講演



 杉原千畝(ちうね)・幸子(ゆきこ)夫妻顕彰碑の除幕記念講演会が3日、千本プラザ音楽ホールで開かれ、「杉原千畝とリトアニア」をテーマに、前駐リトアニア特命全権大使、重枝豊英氏が講演した。主催は命のビザ・杉原千畝顕彰会(松下宗柏代表)。講演に先立ち、西高音楽部の生徒16人が演奏。ソプラノ、フルート、マリンバなどの演奏に続き、「千畝さんが私達に伝えたかったであろう命の重さを考えながら」選曲したという『いのちの歌』を全員で合唱。参加した生徒の1人は、「小学生の頃、千畝さんのことを描いた漫画を読んで、夫妻の活動に感銘を受けた」と話した。続いて、重枝氏が紹介され、講演に移った。

 命のビザ発給の背景は?

 今、杉原の精神どう生かせるか

 重枝氏は1952年生まれ。中央大学法学部卒業後、外務省に入省。各国で日本大使館に勤務し、駐フランクフルト、駐ホノルルの総領事などを歴任した後、2015年から退官までの3年間、リトアニアの日本国大使館特命全権大使を務めた。松下代表の紹介によれば、「共に汗をかきながら地域の人との交流をする人」。

 重枝氏は「同じ外交官として、杉原さんがどう考えたのか、分析できることもあるだろう」として、広い見識を基に自身の考えを話した。

 杉原生誕120年、命のビザ発給から80年となる今年をリトアニアでは「杉原イヤー」としている。新型コロナウイルスのパンデミック(爆発的流行)のため来年に延期になったが、国として杉原をたたえる催しなどが多く計画されていると言う。

 重枝氏はスライドで写真を示しながら、リトアニアについて紹介。面積は北海道の6分の5程だが、3000の湖と4000の森があって「夏は信じられないくらい美しい」と言う。

 町並みは中世的で、かつての王国の跡が見て取れる。

 「昔は非常に大きな帝国で、ヨーロッパの10分の1を治めたことがあった」が、次第に近隣の国に侵食され、特にロシアに攻め取られて従属することになり、1795年から120年間はロシアの支配下にあった。

 カウナスにある「無名戦士の墓」には、これまでの戦いで命を失った人が、敵も味方もなく葬られていて、「礼を尽くした形で毎年、国家行事として慰霊をする」と言う。

 また、リトアニア北部にある「十字架の丘」には、数え切れないほど多くの十字架が立てられている。かつて1人のηトアニア人がロシア人に処刑され時、その供養のために1本立てると、その後、次々に増え続けたという。このようにリトアニアの文化には、「キリスト教に基づきながらも、日本の神道のようなものが混じっている」と言い、小さな国としての独自の文化が今に伝えられている。

 そしてリトアニアの各地には、ナチスのホロコースト(大量虐殺)によって犠牲となったユダヤ人の墓がある。かつては「北のエルサレム」と言われるくらい神学が盛んで、そのため多くのユダヤ人がいた。

 日本に対しては「好意と敬意を持っている」と言い、特に日本の科学技術と精神文化を重視している。その精神を学ぶため、武道が盛んで、「形」を非常に重んじている。

 小学校でも杉原の顕彰が行われていて、その功績は子どもにも知られている。 日本人は、「困っている人を助け、礼儀正しく、品格がある」と思われているが、これはユダヤ人を助けた杉原の行動や精神が、そのまま日本人のイメージになっているため。

 かつて杉原が働いていたカウナスの領事館は、杉原が自身で用意した。 ここに派遣された目的は、ソ連とドイツの開戦についての軍事情報を得るためだった。杉原はロシア語もドイツ語も堪能で、情報収集の資質が高く、実際に独ソ開戦情報を1カ月前に報告していた。

 この領事館にビザを求めてユダヤ人が押しかけて来たが、問題は多くあった。ビザを出すためには、行き先国、通過する国の了解が必要で、滞在費用を持っていることも示さなければならない。不備のあるビザを出すことは、本省の訓令に背くことになり、杉原は悩んだ。

 「おそらく彼は、正義心が強く、真面目で、他人が困っているのを見ていられない人だったのだろう」

 杉原には3人の子どもがいて、「人間として『出すしかない』と思ったのでは」と重枝氏。それを後押ししたのが幸子夫人だった。

 当時のカウナスには、ほかの国の領事館もあったが、いずれもユダヤ人の受け入れを拒絶し、日本領事館の杉原だけが受け入れた。

 決心してからは迷うことなく、杉原はビザを書き続けたが、それが有効になるための様々な条件が重なっていて、重枝氏は、その背景について詳しく解説した。

 まず、ユダヤ人達がビザを受けた後の通過国であるソ連は、いくつもの理由によって自国に利するところがあったため、彼らの通過を了解した。

 日本はと言えば当時、三国同盟の下、国家として決断すべき緊迫した問題を、ほかにも多く抱えていた。

 さらに政策の一つとして「人種平等」が掲げられ、欧米のようにユダヤ人に対する偏見を持つことはなかった。日露戦争では、ユダヤ人の大富豪が日本の戦時国債を買い取っていた。ビザを発給したのは杉原だが、結果的に日本でも、それは国益になるとされ、実際に後々まで評価されることになった。

 杉原はカウナスを出発する直前までビザを書き続け、手がしびれ、ペンは折れてしまったという。発給したビザは2139枚、それを活用した人は6000人と言われ、助かった人の子孫は20-30万人にもなる。現在でも、リトアニアで杉原はたたえられ、また、イスラエルから「諸国民の中の正義の人」の称号を受けている。

 帰国してからの杉原は、幸子夫人の出身地である沼津に数カ月滞在。その後、東京に戻ったが、「外務省にはポストがない」と言われた。それは、ビザ大量発給への制裁とも言われているが、これについても重枝氏は様々な角度から考察。

 戦後、GHQ(連合国総司令部)の命令によって外務省の人員は大幅に整理されていた。杉原は外国に長くいたため、本省内に人員整理の対象を避けられるような強力な支援者がいなかったこと、当時はロシア語が不要だと言われたことがあったのではないか。

 また、杉原があまりに活躍しすぎたことが影響していることも考えられると言う。杉原は非常に優秀だったが、語学研修生として入省したノンキャリア。「ビザ発給は、要素の一つにはなったかもしれないが、そのせいで辞めることになったとは言えない」とし、むしろ杉原自身が気にしていたのではないかと言う。 重枝氏は「彼のような逸材を手放してしまったことは日本として損失でしたね」とした。

 そして最後に、「杉原さんが持っていた精神を今の日本に、どう生かすかではないか」とし、今後の日本の多文化共生について言及。

 日本に暮らす外国人が多くなった現在、「お互いに理解し合い、対等に、協調し合って暮らす。杉原さんの言っていた『人道博愛』の広義的な意味は、そうしたところに生かせるのでは」と提起して、話を締めくくった。

【沼朝令和21114日(土)号】



2020年11月10日火曜日

沼津市と県代執行請求 鉄道高架物件撤去へ手続き

 

沼津市と県代執行請求

鉄道高架物件撤去へ手続き


 JR沼津駅付近の鉄道高架事業に伴う沼津市原地区への新貨物ターミナル整備を巡り、移転用地の明け渡し最終期限を過ぎても用地1件で元地権者が物件の撤去に応じなかったことを受け、事業主体の市と県は10日午前、代執行庁としての県に対し、行政代執行(強制収用)請求の手続きを行った。県は今後、行政代執行法に基づき、強制的に物件を撤去できる行政代執行に向けた手続きを進めていくとみられる。

 請求は市と県が共同で行い、現地の状況や経緯などを記した関係書類を提出した。元地権者1人が明け渡さない用地1435平万㍍にある工作物や立ち木、農作物などが撤去対象になる。市と県は6日の調査で物件が撤去されていないことを確認した。

 頼重秀一沼津市長と川勝平太知事は9日に県庁で会談し、請求の手続きを開始する方向で一致した。代執行の可否を判断する川勝知事は、1224日に予定されている元地権者らが事業認定の無効確認を求めた訴訟の判決を踏まえて対応する方針。

【静新令和2年11月10日(火)夕刊】