2020年7月22日水曜日

なぜ日本は焼き尽くされたのか ~米空軍幹部が語った“真相”~

200718沼津市緊急情報「横山トンネル通行止め」



横山トンネル西側の土砂流出
片側通行に規制し注意喚起
 下香貫の横山トンネル西側入り口付近の斜面で18日午前7-時ごろ、長雨によって地盤が緩み、土砂が流出。斜面の樹木が倒れて県道下土狩徳倉沼津港線をふさいだ。このため県沼津土木事務所で全面通行止めにした。市危機管理課に、けが人等の報告はなかった。
 倒木が電線にもたれかかった状態になっていたことから、電線管理事業者が倒木を伐採して復旧。引き続き同事務所が土砂の撤去作業を続け、19日午後4時までに崩土除去と路面清掃が完了。崩れた斜面前の道路に土のうを積み上げ、片側交互通行で通行が再開した。
 20日正午現在、全面開通に向けて作業が行われており、付近の通行に注意するよう呼び掛けがされている。
【沼朝令和2年7月20日(火)号】

2020年7月17日金曜日

小中学校の統合、一貫校化 二中校区では3分の2が一中校区との統合に賛成


小中学校の統合、一貫校化
一中、二中両校区について協議へ
 児童生徒数の減少に伴い学校統合が進展。
静浦、戸田、長井崎中校区では既に、小中一貫校化が実現するか、実施へ現在進行中だが、今後、協議の対象となるのが一中校区と二中校区だ。
二中校区では3分の2が一中校区との統合に賛成
 二中校区では、児童生徒数の減少が続くと予想されていて、4年以内に千本小が複式学級、二小、二中で全学年単学級化になる可能性がある。
 複式学級は2つ以上の学年の児童生徒を1学級に編成すること。
 複式学級では、自分と異なる多様な意見に触れる機会が少なくなること、教員が1つの学年を指導している間、もう一方の学年が指導できないといった問題がある。
 2017年度に市教委と市が策定した「沼津市立小・中学校の適正規模・適正配置の基本方針」では、適正な学校規模を小学校が「12学級以上24学級以下」、中学校が「9学級以上18学級以下」と基準を示している。
 19年度、二小は全校で7学級、千本小と二中は6学級だった。
 このため、市教委は昨年6月、二中校区の住民や関係者と意見交換するために「第二中学校区適正化推進委員会」を設置した。
 同推進委では学識経験者、同地区の未就学児の保護者、小中学生の保護者、住民、3校の校長が委員を務めている。
 同月の第1回会議では、市教委担当者が、同校校区で学校統合や小中一貫校を必要とする実態を説明した。
 また、同年8月に第2回を開き、二小と千本小を千本小校舎に統合する案と、二小校舎で小中一貫校化を図る案、一中校区と統合を図る案の3案を提示。それぞれのメリットとデメリットを市教委側が説明した。
 統合案のうち1番目と2番目は二中校区内で収まるが、3番目は校区をまたいだものになる。さらに3番目の案では、二小と千本小の児童が一小へ、二中の生徒が一中へ通うことになる。
 これに対して、ほとんどの委員が一中校区との統合を支持した。
 委員の意見では、小・中学校の適正規模・適正配置の基本方針の目的が「より良い教育環境の整備」と、「教育の質の充実」であるため、一中校区との統合を支持したという。
 二中校区内での学校統合では、実施しても1学年の学級数が1つで、「あまり改善されない」などの考え。
 その後、11月に二中校区の保護者説服会を開催し、未就学児、小中学生の保護者に3つの案を示した上で数日後に保護者アンケー卜調査を実施。その結果、約3分の2が「一中校区との統合」を支持した。
 この結果を受けて、両校区での学校規模、配置の適正化を図る目的で、一中校区での保護者説明会を今年2月のはじめに開催。二中校区での保護者アンケート結果を示し、一中校区との統合を支持した意見が66%だったことなどを説明した。
これに対して保護者からは、二中校区との話し合いを、いつ始めるのかという質問があり、市教委では2020年度に{中校区、二中校区合同の推進委員会を設置し、協議する考えを示した。
その後、新型コロナウイルス感染拡大の影響で、5月に予定していた同推進委が開かれないまま現在に至っている。
市教委では現在、推進委の設置と開催の準備を行っているところだという。
【沼朝令和2717日(金)号】

2020年7月15日水曜日

故建川駐ソ大使「命のビザ」発見 第2次大戦ユダヤ難民遺族米で保管


 故建川駐ソ大使「命のビザ」発見
 第2次大戦ユダヤ難民遺族米で保管
 第2次大戦中の19413月に、当時の駐ソ連大使、故建川美次(18801945)がナチス・ドイツの迫害から逃れたユダヤ人難民に発給した「命のビザ(査証)」の写しを、米東部ニュージャージー州在住の難民の遺族が保管していることが14日分かった。
 建川による渡航証明書の存在は知られていたが、ビザが確認されるのは極めて珍しい。ビザは日本の外務省が現地での発給を禁じた翌日に出され、ほぼ最後の1枚とみられる。難民に同情的だったとされる建川の判断が影響したもようだ。
 難民は当時17歳だった女性リスシェル・コトラーさん(19232015)。遺族が共同通信に故人の証言や当時の資料を明らかにした。
 それによると4138日夜、リスシェルさんは単独でモスクワの日本大使館を訪問。同館前にいた多数の難民は入館を許されなかったが、英語で「約束がある」と守衛に言うと通された。館内では「絹の着物のような服」を着た男性が面会し「日本に行きたい」と伝えると「かなり考えた後」ビザに署名、発給されたという。
 リスシェルさんの五男アーロンさん(56)は「守衛は母を難民と思わなかったのだろう」と説明。
 「母は何百回もこの話をして建川に感謝していた」と語る。リスシェルさんはこの後、敦賀(福井県)、神戸、上海などを経て47年に米国に入国。義父、夫と共にニュージャージー州レークウッドに正統派ユダヤ教の大学を設立、発展させた。
 外交官の故根井三郎(190292)が発給したビザの話を最近知ったアーロンさんが、ユダヤ難民問題の著書があるライターの北出明さんに連絡、経緯が明らかになった。
 北出さんは「命のビザ」は「杉原千畝や根井が有名だが、ほかにも多数が人道的に動いたことを知ってほしい」と語る。
 アーロンさんが理事長の大学は正統派ユダヤ教の世界的拠点となり、レークウッドは大学町として急発展した。「ビザがなければ町もなかった」とアーロンさんは話して
いる。(レークウッド共同)
 ☆建川美次 1880年新潟市生まれ。陸軍士官学校を経て日露戦争に従軍、偵察活動で功績を上げ、ベストセラー小説「敵印横断三百里」のモデルとされる。陸軍中将の後、194042年、駐ソ連大使。414月に日ソ中立条約署名。同年37日、松岡洋右外相から難民へのビザ発給を禁じる通達を受けるが、その後も渡航証明の形で書類を出した。数百人の難民がビザか渡航証明を受けたとみられる。(レークウッド共同)
【静新令和2(2020)715(水曜日)朝刊】

2020年7月4日土曜日

200704まちおこし鉄道写真展2020




愛好家の力作26点沼津で鉄道写真展 きょうまで


 本県で最初に蒸気機関車(SL)が走った沼津市の歴史にちなんだ「まちおこし鉄道写真展2020」(鉄道友の会静岡支部、静ヌマ汽写くらぶ主催)が5日まで、同市大手町の沼津商連会館で開かれている。
 県東部の愛好家18人が撮影した鉄道写真26点が並ぶ。3月に引退したJR東海道新幹線の車両「700系」が熱海駅を最後に通過する様子や、黄色い車体の点検用車両「ドクターイエロー」が富士山を背景にレンゲ畑を走り抜ける姿などを捉えた力作が目を引く。
 同支部東部地区長の太田修さん(71)は「撮影年代も場所もさまざま。バリエーション豊かな作品を楽しんで」と話した。
【静新令和2年7月5日(日)朝刊】