2022年2月28日月曜日

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原えつお四文字ひめくりカレンダー「令和4年2月28日(月)仏滅」「閑話休題」旧暦1月28日

 


2022年2月19日土曜日

最古の国産デニムオーバーオール  製造元の山本被服が復刻し市に寄贈

 


 最古の国産デニムオーバーオール

 製造元の山本被服が復刻し市に寄贈

 清水町卸団地に本社工場を置き、オーダーメイドのオリジナル作業服・事務服などを製造販売する山本被服(山本豪彦社長)は、1926年に三枚橋町で国内創業した当初に製造していた国産デニムのオーバーオールを当時の資料を基に復刻した。

 16日、山本陵取締役、富所勢課長、デザイナーの石井智洋さんが市役所を訪れ、「復刻した日本最古の国産デニムオーバーオールを歴史的資料として、沼津のまちおこしに役立ててほしい」と、1着を市に寄贈した。

 同社は23年に米国ロサンゼルスで「スターオーバーオールカンパニー」として創立。3年後に拠点を三枚橋町に移し、作業服としてのデニム製造販売を行う「合資会社山本被服製造所」を立ち上げた。

 設立当初に製造していたオーバーオールやデニム製造の機械は空襲で焼かれ、時代の変化もあってオーバーオールの生産は中止していたが、1年半程前、「日本最古の国産デニム」の復刻を目指すプロジェクトとして富所課長が開発責任者を務めて始動。

 残されていた当時の資料や写真などを基に復刻したが、「日本最古のデニム」と言い切れる公的な証拠がなかったため、石井さんが中心となって調査した結果、特許庁の商標公報データベースで31年に同社が取得し、その後、失効した商標登録の記録が残っていることが昨年11月に分かった。

 山本取締役は「デニムは60年代に日本に入って来たと言われているが、日本最古のデニムブランドとして、31年には商標登録していた。写真でしか明らかになっていなかったのが、商標登録の記録が見つかったことで証明された」と説明。 写真や文字ベースの資料を基に、当時の製法で「スターオーバーオール」を復刻し、ロゴも再現。日本初のデニムオーバーオールの復刻を掲げて限定100着を販売したクラウドファンディングで、目標を達成したことなどを話した。

 山本取締役は「沼津市は来年100周年、当社は4年後に100周年を迎えるが、我々も次の100年を見据え、共に頑張りたい。約1世紀の時を超えて復刻したオーバーオールを地域資源、観光資源として利用してもらえたら」と話し、頼重秀一市長の体のサイズに合わせて作ったオーバーオールを寄贈した。

 さっそくオーバーオールを着た頼重市長は「体にぴったりで着心地が良い。これを週末の沼津などに着て行き、沼津の新しい宝を多くの人に広めたい。沼津の自慢できるものが、また一つ増えてうれしい」と感謝した。

【沼朝令和4年2月19日(土)号】

 

アメリカ創業以来、92年。

 

大正時代、職を求めてアメリカへ渡った初代社長は、 炭鉱夫から出発し、努力の甲斐あってホテルを経営できるまでになりました。 当時、日本に帰り、 何か事業を興したいという夢は、炭鉱夫時代の作業服に目を向けたことに始まります。 当時の作業服は、現在の若者にも人気のある、ジーンズのオーバーオールでした。 1923年(大正12年)ロサンゼルスにてスターオーバーオールカンパニーを創立。 ここで生地の仕入れ方法や、裁断・縫製などの技術をすべてマスターします。 1926年(大正15年)、米国にいた幹部と機械のすべてを日本(沼津市)に移し、 かねてからの夢であった合資会社山本被服製造所を設立。 この頃の日本には、工業的に作った作業服というものはなく、 民間企業としては日本初の工業被服工場となります。 (大阪被服組合新聞調べ)こうして素材も機械技術もすべてがアメリカ仕込みという山本被服は、 戦時中になると、海軍指定・陸軍監督工場となり、さまざまな経験を重ねながら発展してきました。(山本被服HPより)

 


原えつお四文字ひめくりカレンダー「令和4年2月19日(土)先勝」「質実剛健」旧暦1月19日

 


2022年2月18日金曜日

スピード女子1000高木美帆「出し切った」ついに「金」

 


2022北京冬期オリンピック

スピード女子1000高木美「出し切った」

5種目挑戦ついに「金」鍛錬貫き達成感

 快記録を確認すると「よっしゃあ」と思わず叫び、腕を突き上げた。スピードスケート女子1000㍍を高木美帆(27)=日体大職=が制した。5種目出場の締めくくりでついに個人種目の世界一。有終の美を飾り「自分の全てを出し切ることができた」と表彰台の真ん中で歓喜に浸った。

  15組中13組で内側のレーンから飛び出し、全体トップで200㍍を通過。「力強く伸びのある滑りを」とのイメージ通りにさっそうと滑り切った。全レース終了後は日の丸をまとい、リンクサイドで待つデビット・コーチの元へ。固く抱き合うと、涙があふれた。

 連戦になるほど心身が研ぎ澄まされるのが高木美だ。1シーズンに一般的な選手の倍の約60レースに出場した高校時代。「つぶれてしまう」との周囲の懸念にも「後で経験が生きる。若いうちからタフにならなきゃ」と場数を踏み続け.た。

 昨年末の五輪代表選考会中は5種目に挑む自らに「体だけではなく、気持ちでも覚悟を持てるのか」と間うた。メダル獲得を期待される立場は自覚している。得意の1500㍍などに集中すべきかー。たどり着いた結論は「チャレンジしてみたい」。誰にも相談せず、考えを貫いた。

 困難な道を進むため、リンク内外で全てに神経を注いだ。新型コロナウイルス禍で感染リスクを減らそうと、遠征にはおにぎりを握って持参。少し行動するたびに消毒し、マスクを換えた。その徹底ぶりに、後輩選手は「意志の強さのレベルが違う。『美帆のふり見てわがふり直せ』だ」とうなる。

 今大会7レース目は「体

がぎりぎりだったが、謎の自信があった」という。自らの可能性を限定せずに戦ってきたオールラウンダーは「最後までいけると思えたのは、たくさんの距離を滑ってきたことが大きい」と自負をのぞかせた。

 初めて五輪で滑ったのは20102月18日、バンクーバーの1000㍍。天才と呼ばれた15歳の少女は完走者の中で最下位の35位に終わった。それから12年、ぶれることなく鍛え続け、金メダルをつかみ取った。日本選手団主将として臨んだ3度目の五輪を「強い達成感がある」との言葉で結んだ。(共同)

「最高のドラマ」「父ら感無量」

 悲願の金メダルに、会場は総立ちになって拍手を送った。スピードスケート女子1000㍍に出場した高木美帆(27)の地元・北海道幕別町では17日、父や恩師が町百年記念ホールに集まり、テレビ中継で観戦。感無量の様子で「最高のドラマだ」と快挙をたたえた。

 町民らとビデオ会議でつないだ会場は新型コロナウイルス対策で、マスク姿の関係者ら約20人に制限。「必勝一のはちまきを巻いた父愛徳さん(64)らがエールを送った。

 連戦の疲れの中、五輪新記録の圧巻の滑りを見せると「すごい」「今度こそいける」と期待が高まった。試合が終わり金メダルが決まると、会場の全員が思わず立ち上がり、スティックバルーンをたたき、万歳三唱で祝福した。

 自身もスピードスケート経験者の飯田晴義町長は「何が起こるか分からない五輪で待望の金メダル。やりきったねと声を掛けたい」と興奮した様子。試合後もじっと画面に映る美帆を見つめていた愛徳さんは、促されてあいさつし「日の丸を背負い、勇気と感動を少しでも届けられたかなと安堵(あんど)している」と喜びをかみしめた。

【静新令和4218日(金)朝刊29面】

220218あまねがーど南信号機移設工事as

原えつお四文字ひめくりカレンダー「令和4年2月18日(金)赤口」「喧々囂々」旧暦1月18日

 


2022年2月17日木曜日

220217あまねがーど南道路情報機信号移設工事as

原えつお四文字ひめくりカレンダー「令和4年2月17日(木)大安」「傍若無人」旧暦1月17日

 





交通栄誉章緑十字銀章(警察庁長官・全日本交通安全協会会長連名表彰)の小笠原一夫さん(宇徳通運社長)、同章の受章者を支えた家族への感謝状(全日本交通安全協会会長表彰)が妻の良子さん

 



 交通安全活動続け事故防止に貢献

 沼津署で2個人1事業所の表彰伝達

 交通栄誉章緑十字銀章等の表彰伝達式が16日、沼津署で開かれ、原田達彦署長らから受賞者に賞状が渡された。

 受賞したのは、交通栄誉章緑十字銀章(警察庁長官・全日本交通安全協会会長連名表彰)の小笠原一夫さん(宇徳通運社長)、同章の受章者を支えた家族への感謝状(全日本交通安全協会会長表彰)が妻の良子さん(式では一夫さんが代理で受賞)、優良事業一所(全日本交通安全協会会長表彰)として、県自動車学校沼津校(安全運転管理者の渡邉敏喜総務課長が代表で受賞)

 小笠原社長夫妻と同自校は多年にわたり交通安全のために尽力。事故防止に貢献した個人として、また、それを支えた家族として、交通安全対策を積極的に推進し事故防止に貢献した事業所として、それぞれの栄誉を受けた。

 原田署長は「地域の交通安全活動が交通事故の減少につながっている」として、受賞を祝うとともに、感謝の言葉を述べた。

 小笠原社長は、1975年に交通安全活動に取り組み始めたことなどを振り返りながら、「これからも続けていきたい」とし、渡邉課長も「賞の名に恥じないように」と、継続を誓っていた。

【沼朝令和4217日(木)号】

2022年2月16日水曜日

220215広報ぬまづ新しい沼津の宝募集号as

 市制100周年へ沼津の宝見直し

 新たな100選へ候補を募集

 市は、「ぬまづの玉100選」が20119月の決定から10年以上が経過し、その間に新たな魅力も創出されている、として来年の市制100周年に向けて見直しを進め、新たな候補を募集している。

 市は2009年、「私の沼津の自慢」・の募集を開始。多くの市民らから自然、風景、歴史、産業など様々な分野の情報が寄せられ、約400件を「ぬまづのお宝」として登録。その後、その中から沼津の地域資源として「ぬまづの宝100選」が選定された。

 今回の募集では現在の「ぬまづの宝100選」以外の候補を求めており、現在の100選と今回寄せられた候補の中から選定委員会で新たな宝を選ぶ。

 市のホームページでは、ぬまづの宝100選のページhttps://www.city.numazu.shizuoka.jp/citypromotion/tara/に現在の100選全てを掲載しており、応募用紙もダヴンロードできる。

 応募方法は、応募用紙に100選候補に推薦したいものの名称、住所等が分かる場合は所在地(任意)、推薦者及び団体名、ぬまづの宝にふさわしいと思う推薦理由を記入し、428日必着で市役所」広報課に直接、または郵送(410-8601御幸町16の1、あるいはFAX(9351560)で。

 応募用紙の記載事項を記入した電子メール(kouhoucitynumazu.lg.jp)でも受け付けている。

 問い合わせは市広報課電話9344839)

【沼朝令和4216()号】

 沼津の宝一新へ 市制100年に向け

 沼津市は歴史や景観、人物、農水産物など地元の魅力をまとめた現行の「ぬまづの宝100選」を一新する。来年の市制100周年に合わせ、新たな地域資源を発掘し、後世に伝える。14日から候補となる宝の募集を始めた。

 現行の100選は20119月に決まり、市ホームページやパンフレットなどで紹介している。10年以上が経過する間に新たな宝が誕生しているとして、市制100周年に向け見直すことにした。

 4月銘日まで受け付もげる。新100選は来年7月に公表する。市広報課に応募用紙を直接持参するか、郵送かファクス、メールで応募する。

 問い合わせは同課〈電055(934)4839〉へ。

【静新令和4217日(木)朝刊】


原えつお四文字ひめくりカレンダー「令和4年2月16日(水) 仏滅」「青天白日」旧暦1月16日

 




2022年2月11日金曜日

220211文化財まちあるきマップ浮島編as

静岡県内にある 牧水歌碑展 令和2月8日(火)~3月27日(日)

 



牧水の「足跡」たどる

 沼津歌碑解説する企画展

 晩年を沼津市で過ごした歌人若山牧水(18851928)の歌碑を取り上げた企画展「牧水歌碑展」が、327日まで同市千本郷林の若山牧水記念館で開かれている。

 牧水を顕彰している沼津牧水会(林茂樹理事長)と市教委が主催した。自治体や住民らが建立した県内にある歌碑28基、文学碑1基のすべてについて、碑に記された内容や大きさ、設置の経緯などを解説する資料を写真とともに展示した。碑の分布を示した地図も用意し、牧水が暮らした沼津をはじめ、裾野や伊豆市など県東部に集中していることが見てとれる。

 林理事長は「牧水の足跡から、伊豆半島や富士山を愛していたことが分かる。展示を通して地元の魅力を再認識してもらいたい」と話した。

【静新令和4211日(金)朝刊】





原えつお四文字ひめくりカレンダー「令和4年2月11日(祝)大安」「千変万化」旧暦1月11日