2012年12月20日木曜日

中核市の要件は、人口30万人以上から20万人以上に緩和

中核市の要件は、人口30万人以上から20万人以上に緩和:このニュースで、沼津市も中核市になれそう。
提案:西武沼津店撤退後、ここを沼津市保健所すれば、特例市から中核市に権限が強化された、都市になれるのでは。





















中核市の概要

中核市の要件は、人口30万人以上から20万人以上に緩和


 政令市に道府県権限
 「特別自治市」は先送り
 地制調小委中間報告

 首相の諮問機関の地方制度調査会専門小委員会(委員長・碓井光明明治大教授)20日、大都市制度改正に向けた中間報告をまとめる。政令指定都市に道府県の権限を大幅に移して二重行政を解消することや、中核市の人口要件を緩和して特例市からの昇格を促すことが柱。総務省は今後、具体化を進め、2014年の通常国会に関連法案を提出する。
 政令市を道府県から独立させる「特別自治市」構想は、浜松、静岡市などが制度化を求めているが、道府県警察の分割による捜査力低下の懸念から今後の検討課題として先送りした。橋下徹大阪市長が掲げる「大阪都」構想は、実現を後押しする都構想法が8月に成立したため、是非に言及していない。
 報告は、一般の市に比べて幅広い権限がある政令市と道府県との間で二重行政が深刻化していると指摘。都市計画や教育、福祉などの仕事は、政令市に一元化するよう求めた。
 また人口規模が大きく住民の声が届きにくいとして、身近にある区役所の役割拡充を要求。具体的には、市長が独占する予算権限の一部を区長に与えることや、区ごとの教育委員会設置を可能にするよう求めた。
 政令市に次ぐ権限を持つ中核市の要件は、人口30万人以上から20万人以上に緩和。人口20万人以上の特例市は保健所設置を条件に中核市への昇格を認め、地域の拠点都市を増やすべきだとした。
 東京都の特別区については、権限強化のため、児童相談所など都の仕事を積極的に移していく必要があるとした。
《静新平成241220()夕刊》


2012年12月8日土曜日

西武沼津店閉店後問題


 地権者の意見集約難航
 西武沼津店閉店後問題
 振興策、方向性見えず
 沼津市議会は7日、総務経済委員会を開き、西武沼津店(同市大手町)閉店後の中心市街地の活性化策を練る庁内組織「沼津駅前都市機態検討委員会」(委員長・河南正幸副市長)の取り組み状況について市の担当者から報告を受けた。
 検討委は7月以降、同店の地権者への意見聴取や同店がある駅南口の利用者を対象にしたアンケート調査などを行ってきた。11月からは、商業系建物を管理運営するために必要な知識や体制づくりを地権者にアドバイスする専門家を派遣している。ただ、「地権者が自分たちの財産をどのようにしていきたいのか、まだ見えない。現時点で意見を集約し、今後の方向性を示すのは難しい状況」(市担当者)という。
 同委員会で「定住人口を増やすために中心街の再開発が必要では」との質問に対して、河南副市長は人口減少に対応したコンパクトなまちづくりを進めていく考えを示した。その上で、「駅前の利用方法を地権者がどのように考えているか。市も一緒に考え、再開発することになれば、できる支援を考えていきたい」と述べた。
《平成24128()朝刊》

2012年12月7日金曜日

「ロシアが日本を 沼津を救う」(下)大海祥


「ロシアが日本を 沼津を救う」(下)
 大海祥
 沼津とロシア歴史と友好イベントで観光町おこし
 ここまで話が進むと、勘のいい方は気がついたかもしれない。沼津には戸田があり、戸田にはディアナ号、ヘダ号という、日本とロシアにとって絶対的な友好の材料がある。ロシアと民間レベルの友好を図る場合、これほどの材料は国内にはないと断言できる。
 プチャーチン(ロシア海軍元帥・提督)は一八五四年十一月、ペリーに遅れること四カ月、日本との通商を求め、二〇〇〇トンのディアナ号で来航、地震津波により乗船が下田で大破し、回航中、富士海岸沖で沈没。乗員約五百人を救出するために三津、我入道、千本浜の漁師達を中心に男女千人が協力し合ったという。
 この間のことはロシア側の資料にも残り、日本人の勇気と優しさを称賛し、感謝する言葉に溢れ、帰国したプチャーチンは後に、自分の死後、現在の日本円にして数百万円を戸田に遺贈するよう言い残し、感謝を伝えているほどである。
 ロシア人達は海岸伝いに徒歩で戸田へ向かった。当時の戸田の人口は約三千人だそうで、そこへに五百人が同居したのだから大変だったろう。韮山の江川代官も、この人達の世話をする指揮にあたったという。
 また、ロシア人達が帰還するのにあたって戸田の船大工達が活躍したのだが、これが後の日本の近代造船技術習得に大いに役立つことにもなった。彼らの帰国に使われたヘダ号の建造には千本松原の松が用いられたそうだ。
 ディアナ号沈没からヘダ号による帰国まで一年弱の間は想像するに、幕末における一つの叙事詩と言ってよいものだったろう。今でも在日ロシア大使館との間で友好行事が行われているという話を以前聞いたことがあるが最新の状況は分からない。
 しかし、これだけ具体的な材料の揃った歴史的にも実証されている出来事が市内に存在したというのは大変貴重なことだと思う。市レベルの行事に格上げし、歴史・友好行事を市の大きな観光要素・資源にしてほしいと願う。
 戸田には東大の寮があり、地元の人達と共同で毎年、マラソン大会を実施していると聞く。「沼津・ロシア歴史友好マラソン大会」と銘を打ち直してもよいのでは。
 ウラジオストク市は函館、新潟、秋田と姉妹都市になっているが、太平洋岸の温暖な沼津市、それもプチャーチンゆかりの地であれば喜んで姉妹都市に賛同するのでは、と思う。沼津市民でも詳しいことの顛禾はご存じないだろう。おそらくロシアの人達もそうであろう。
 沼津ロシア歴史友好のプロジェクト簡略
 ①沼津ロシア歴史友好週間の制定、姉妹都市の選定締結。再来年はデイアナ号海難一六〇周年である。ここに向けて計画を立てていく。
 最初は沼津が勝手に行うくらいの心でもよい。徐々にマスコミに流れていく。
 ②年一回、記念マラソンあるいはウォークラリーの実施。戸田をスタートし、大瀬岬を通って沼津駅前をゴールに。
 ③在日ロシア人、ロシア大使館、東大生などに広報PR。ノーボスチ通信、イズベスチャなどロシア通信機関に広報する。日本国内より、むしろロシア国内から話題になるような戦略で。
 ④プロジェクト・リーダーは新卒で入った市役所職員と市内ボランティアが担当。広告代理店などには依頼しない。
 ⑤いずれ沼津産品を輸出。寿太郎みかんは、ひょっとすると大うけする。
 ところで、トルコは大変な親日国であるが、それは、ディァナ号の海難事故から三十年後の明治二十三年、トルコ軍艦エルトゥール号が和歌山県串本沖で海難事故にあった際、約六百人の人命が失われたが、六十九人は地元の漁師達に救助されたことによる。この日本人の誠心誠意にトルコの人達は感謝し、今でも教科害にそのことを記述し、日本に感謝するというお国柄である。
 ディアナ号のことは、その出来事の重大さの割に語られないし評価が低い。大河ドラマや映画になってもよいと思うほどである。沼津にだけ存在する大変貴重な歴史なので、超党派で観光、町おこしに使っていただきたいと思う。日露関係にも大きな一石を投じることにもなり、間違いなく沼津は有名になるのでは、と思っている。(おわり)(沼津市出身、埼玉県在住)
《沼朝平成24126()号寄稿》