2010年2月20日土曜日

「肥大化し続けた改革幻想」 芹沢一也

論考 2010「肥大化し続けた改革幻想」 芹沢一也
 ショーより政策論議 政党政治見つめ直せ
 政権交代が実現した暁には、政官業癒着などの腐敗を生みだし、機能不全を起こしていた自民党政治は刷新されるはずだ。つての期待はいま、「政治とカネ」の問題に政権が揺れるなか、大きく失望へと変わってしまった。
 しかし、たとえ政権が倒れようとも、議会制民主主義は終わらない。また、グローバル化と民営化の波にさらされ、国家に期待される役割は少なくなったといえ、私たちの社会生活の根幹を支えるために、金融・財政政策や再分配政策、セーフティーネットの整備など、国家にしかできないこともなくならない。
 そして、国家をハンドリングするためのもっとも重要な回路は、今後も国家と社会(国民の要望)とを媒介する政党でありつづける。
 ▽至上命令
 それゆえ、私たちは政党政治に失望するわけにはいかない。とはいえ、政治に対する私たちのスタンスについては、ここで冷静に見つめなおす必要がある。政権交代をひとつの「終わり」としなくてはならないからだ。
 何の終わりか?「改革」幻想の終わりである。
 そもそもなぜ、先の総選挙で政権交代などという、政策的内容のまったくないメッセージが争点となりえたのか?それは先立つ20年間に改革幻想が肥大化し続け、それを引き受けることのできる最後のよりどころが政権交代だったからである。
 はじまりは1988年のリクルート事件。この汚職事件の発覚によって、政治改革の時代が幕を開けた。改革の中心におかれたのは、カネのかからない政策本位の選挙の実現、すなわち選挙制度改革(小選挙区制の導入)である。
 さらにこの時期は、冷戦崩壊を受けて55年体制が動揺していた。そうしたなか、古い自民党政治を保守しようとする勢力が守旧派、政治改革を断行しようとするのが改革派と、政治勢力がふたつのレッテルに色分けされた。以来、改革派のポジションを占めること(のみ)が、至上命令と化していく。
 ▽危機意識
 ところが、94年に選挙制度改革が実現しても、期待したような政治は実現しない。しかも、さらなる悪事情が重なった。90年代後半は、バブル崩壊後の一時的なものだとされていた不況が長期化するなかで、経済も根本的な問題を抱えているという危機意識がまん延したのだ。
 いまや日本というシステムそのものが、トータルな改革を必要としているのではないか?そこに現れたのが小泉純一郎だ。「自民党をぶっ壊す!」と守旧派を抵抗勢力に仕立て上げた小泉は、90年代初頭以来の改革のロジックに忠実にしたがっていた。そして、政治腐敗と経済の停滞に倦(う)む国風を前にして、「構造改革なくして景気回復なし」と叫び、2000年代前半を改革への熱狂に巻き込んだのだ。
 ▽民主党の演出
 ところが、00年代後半になり格差や貧困が問題化すると、今度は小泉政治が葬り去られるべき敵に仕立て上げられる。改革のフラッグは民主党の手に渡った。
 政治改革(脱官僚)を本当に望むならば「政権交代」しかなく、またそれは弱者を切り捨てた小泉政治を是正するものだと「国民の生活が第一」とうたわれた。そして、両者を同時に達成するための手段が、「税金のムダつかい」を徹底的に見直すこと(「コンクリートから人へ」)だとされたのだ。事業仕分けがクライマックスとして演出されたのは、こうした理由からである。
 民主党もまた、徹頭徹尾、改革のロジックのもとにある。それゆえ、私たちは事業仕分けのようなショーは与えられても、いまだ政策を媒介にした政治とのかかわりをもてないでいる。
 おそらく、1990年代半ば以降の不幸とは、何よりも重要な不況からの脱出の模索が、先行していた改革論議にのみ込まれてしまったことだ。だが、経済政策がリードすべき不況の克服は、政治改革とはまったく別次元の事柄なのだ。
 プラグマティズム(実用主義)のもとにあるべき政策論議を、改革というヒロイズムに、そしてそれがもたらす陶酔に委ねてしまってはならない。わたしたちは、ここ20年間続いてきた改革依存症から、そろそろ解放されねばならない。(社会学者)
(静新平成22年2月20日「文化・芸術」)

2010年2月18日木曜日

沼津市議会2月定例会一般質問

 市議会2月定例会一般質問
 十二日に開会した市議会二月定例会は、議案研究などのため、現在休会しているが、二十二日に再開し、同日から三日間にわたり、一般質問(代表質問、個人質問)を行う。質問者と通告内容は次の通り。
 【代表質問】
 渡辺教二議員 (共産党市議団)
1、鉄道高架事業(1)川勝知事の「沼津貨物駅不要論」と本市の対応(2)今後の方向性 2、財政見通し 3、「エコのまち沼津」 4、「人を大切にするまちづくり」 5、「合併問題」 6、「『夢ある人づくり』の推進」
 千野慎一郎議員 (新政会)
1、基本的な考え方(1)エコのまち沼津の発信(2)市政への市民参加(3)沼津の宝探しと情報発信(4)合併問題 2、沼津駅付近鉄道高架事業(1)鉄道高架事業に対する市長の姿勢①松蔭寺での意見交換会の評価②松蔭寺での意見交換会における発言③都市計画決定時の貨物駅移転先の議論④県とJR貨物との交渉経過とその見直し⑤土地収用法適用の凍結による影響⑥都市計画決定の変更等により新たに発生する課題 3、人にやさしいまちづくり(1)エコのまち沼津の推進①環境基本計画の策定②ぬまづの森づくり(2)夢ある人づくりの推進①静浦地区の小中一貫校②沼津市スポーツ施設整備計画③本市関係文学者の文化的遺産の保護(3)快適な生活環境の基盤整備 4、安全安心のまちづくり(1)災害・危機対策の推進①小中学校及び公共施設の耐震化②治水対策(2)子育て支援の推進(3)高齢者・障害者支援の推進(4)保健・医療の充実 5、活力と魅力あるまちづくり(1)中心市街地の整備の推進とにぎわいの創出①沼津市中心市街地活性化基本計画②中心市街地の回遊性(2)地域経済の活性化の推進①経済支援対策②富士山麓ビジネスマッチング促進事業(3)地域資源の活用 6、行財政運営(1)組織改正(2)事業仕分け(3)第四次沼津市総合計画
 浅原和美議員(志政会)
 1、市長の施政方針(1)基本的な考え方①合併問題②事業仕分け(2)人にやさしいまちづくり①「エコのまち沼津の推進」ア、二十一世紀環境立国戦略との整合性の認識 イ、「環境基本計画」「一般廃棄物処理基本計画」作成に当たっての基本的な考え方 ウ、現行計画の目標達成度とその方策工、森づくり事業 オ、エコ運動の成果の評価と情報発信の必要性②夢ある人づくりの推進 ア、新たな総合体育館の考え方③快適な生活環境の基盤整備 ア、白隠のみち整備事業 (3)安全安心のまちづくり①子育て支援の充実 ア、子ども図書室 イ、子育て支援策の市民への周知②子ども手当③「高齢者・障害者支援の推進」(4)活力と魅力あるまちづくり①中心市街地の整備の推進とにぎわいの創出②貨物駅移転事業 ア、地元への説明、法的な手続き イ、貨物駅の移転に関連した基盤整備 ウ、この事業に協力してきた地権者への説明工、今後の用地買収(5)行財政運営①部課の連携などに対する考え方
 山下富美子議員(未来の風)
 1、新年度予算案に至る編成方針等 2、新年度予算案の特徴及び留意されるべき点 3、沼津駅周辺総合整備事業と新年度予算案 4、事業仕分け 5、沼津市立病院改革プラン
 土屋春夫議員(公明党)
 1、市長の政治姿勢(1)基本的な考え方①市長と市民との公聴活動(2)新年度の主な取組①人にやさしいまちづくりア、LED防犯灯 イ、「エコのまち沼津」の全国への発信 ウ、使用済み食用油工、公共交通 オ、芹沢光治良記念館②安全安心のまちづくり ア、ブックスタート イ、子ども医療費助成事業 ウ、ヒブワクチン予防接種の公費助成③活力と魅力あるまちづくり ア、沼津の宝
 伊藤正彦議員(自由民主党NUMAZU)
1、基本的な考え方(1)地域資源の活用①「沼津の宝」約六二㌔に及ぶ海岸線②映画・テレビのロケ誘致「さあ来い、ハリウッド!大作戦」(2)合併①「県並みの権限を持つ政令指定都市」の実現に向けた一定の方向性 2、新年度の主な取り組み(1)「人にやさしいまちづくり」①住宅用太陽光発電システムや効率の良い給湯器の設置に対する支援(2)「『夢ある人づくり』の推進」①市民体育館等の老朽化への対応及び駐車場対策(3)地域経済の活性化の推進①緊急雇用創出事業等の継続と合わせた本市の雇用創出
 二村祥一議員(市民クラブ)
1、新年度の主な取り組み(1)人にやさしいまちづくり①「エコのまち沼津」の推進 ア、「森づくり」の進め方 イ、教室へのエアコンの設置②「夢ある人づくり」の推進 ア、小中一貫教育の考え方 イ、小中一貫教育の普及ウ、言語教育・中高一貫教育の評価工、総合体育館の今後の計画③快適な生活環境の基盤整備 ア、身近な公園等の整備 イ、下水道の普及の現状と今後 (2)安心安全のまちづくり①災害・危機対策の推進 ア、対策の推進における費用 イ、小中学校の耐震化率の現状と予定②子育て支援の充実③高齢者・障害者支援の推進 ア、高齢者介護施設の増設④保健・医療の充実 ア、市立病院の経営 イ、医科系大学の誘致 (3)活力と魅力あるまちづくり①中心市街地の整備の推進とにぎわいの創出 ア、駐車場の確保 イ、公共交通 ウ、沼津駅付近鉄道高架事業②地域経済の活性化の推進 ア、(仮称)ものづくり体験館の開設 イ、水産業の育成③地域資源の活用 ア、辻畑古墳と道路整備④道路交通網の整備 ア、国道四一四号バイパスの整備 2、基本的な考え方と行財政運営(1)人を大切にするまちづくり(2)合併問題に対する考え方(3)市役所内部の連携
 【個人質問】
 水ロ淳議員(自由民主党NUMAZU)
1、観光行政 (1)東駿河湾環状道路開通による本市への影響 2、道路行政(1)国道四一四号整備促進(2)県道一七号線(主要地方道沼津土肥線)整備促進
 梅沢弘議員(未来の風)
 1、中心市街地と南北自由通路 2、鉄道高架事業と市民世論
 殿岡修議員(同)
1、沼津駅南地域の活性化(1)商店街の駐車場のあり方(2)商店街の活性化の進め方
 斉藤孝一議員(共産党市議団)
1、市営駐車場及び公共交通施設の駐車場整備(1)市営駐車場の問題点と解決策①香陵駐車場②香貫駐車場(2)公共施設駐車場の問題点と解決策①市民体育館の駐車場②明治史料館の駐車場 ③保健センターの駐車場④水道庁舎跡地の活用
 山崎勝子議員(同)
 1、人を大切にする、住みたいまち沼津にするための施策(1)暮らしと命を守るセーフティーネット①生活困窮者の緊急支援の拡充②緊急避難施設の設置(2)安心して医療を受けられるまちづくり①中学校卒業までの通院医療費無料化②窓口負担の軽減策(3)市民ニーズに合った高齢者支援 2、「住宅リフォーム助成制度」
渡部一二実議員(市民クラブ)
 1、三人乗り自転車(幼児二人同乗自転車)の普及(1)三人乗り自転車に対する認識(2)三人乗り自転車の普及を阻害している要因(3)三人乗り自転車の助成制度及びレンタル制度の実施 2、共栄町交差点を中心とする交通渋滞の解消策 (1)現状認識とこれまでの取り組み(2)交通渋滞解消に向けた今後の取り組み(3)都市計画道路沼津南一色線の本格供用に向けた交通渋滞対策の必要性
 曳田卓議員(新政会)
 1、本市の観光政策(1)富士山ビューポイントの企画 2、本市の文化振興(1)第十二世本因坊丈和の顕彰
 高橋達也議員(志政会)
 1、本市の野外体験施設等(1)それぞれの施設の運営方針(2)今後の少年自然の家のあり方 2、黄瀬川、狩野川周辺の整備(1)黄瀬川、狩野川の護岸整備(2)黄瀬川運動公園整備
 野田久雄議員(無所属)
 1、第三次沼津市総合計画(1)後期推進計画のうちセントラルパーク構想推進事業における執行状況
(沼朝平成22年2月18日(木)号)

2010年2月13日土曜日

 険しい自民再生への道

「応える」が問われる
 険しい自民再生への道
 「自民党はすでに死んでいる」ー。週刊誌ではない。自民党の機関紙「自由民主」の見出しに驚いた。漫画家やくみつるさんの寄稿文だ。
 「しっかりしろ自民党」と題するコーナー。やくさんは「長年の失政のツケを払わされて汲々(きゅうきゅう)としている民主党を自民党に攻める資格はない」と手厳しく、「もはや野党としても蘇生(そせい)の見込みがない」と容赦ない。
 1月の党大会では「運動会にスーツ姿、魚市場に革靴」という女性党員の言葉に「その通り」とうなずいた。「そんな格好で出向くようでは国民の共感は得られません」と続く。子どもの運動会にスーツ姿で現れる政治家は「場違い感」を振りまいている。
 野党に転落した自民党の谷垣禎一総裁は「歩く。聞く。応える。」を掲げる。地域を歩き、住民の声を聞き、党再生のヒントを探す。名付けて「なまごえプロジェクト」。
 政権を持っていれば企業も業界団体も寄ってきた。「支持基盤は固い」という思い込みに安住し、街で暮らし、働く人たちの悩みや要望、批判に耳を傾けてこなかったのではないか。その揚げ句に「共感」を失った。足元を見つめ直そうー。「誠実さ」で知られる谷垣氏らしい発想だ。
 やくさんに寄稿を依頼した担当者も「辛口は予想していたが、どんな批判も聞く姿勢を示した」と説明する。政治の「原点」に立ち返る姿勢は間違っていないと思う。
 ただ課題はその先にある。「歩く。聞く」と「応える」は次元の違うものだ。政策決定権のない野党が国民にどう「応える」のか。そこが見えないと共感は取り戻せない。
「一部の人間が利益を分配し、内輪の権力闘争に明け暮れる、そんな党とは決別する」。谷垣氏は党大会で宣言したが、その先は「未来を信じ、正論を語りましよう」と呼び掛けただけだった。国会で鳩山政権の資金問題を追及しても「自民党にその資格はあるのか」と問い返される。「実は内心、相当気にしている」と谷垣氏が正直に認める通り、党の支持率は低調なままだ。
 自民党結党前に長い野党暮らしを経験している中曽根康弘元首相に心得を聞いた。「着実に政策を錬磨して現政権に対抗すべき政策を国会論戦を通じて明確にするしかない」と「王道」を説き、「野党には初期・中期・後期があり、今は初期の初年度」とも指摘した。
 国民の声をすくい上げ、今の政権よりも魅力ある政策を打ち出す。それが「応える」だ。だが「後期」までには時間がかかるし、党内対立が深刻になることもあるだろう。試練を乗り越えて生き返れるのか。道は険しい。
(静新平成22年2月13日「政考政読」)


【自由民主平成22年2月9日号(しっかりしろ自民党・下)】
「自民党はすでに死んでいる」
野党としても蘇生の見込みなし
漫画家 やくみつる
 正月気分も抜け切らぬ、まだ松の取れる前であったか、自民党の機関紙編集御担当氏より電話が入った。なんでも「自民党、シッカリしろ」といったエールの一文を願いたい由。
 「あのー、書かせていただくに吝(やぶさか)かではないんですが、あのー、私、赤旗日曜版にも連載を持っているんですが…:」
 だが、むしろ日頃自民党を支持されている方々以外からも広く言葉をいただきたいと編集氏。繰り返し「自民党、シッカリしろ!」と、あたかも自らを鼓舞させるかのように仰(おつしゃ)る。
 「あのー、そういうことであれば、あのー……」とお引き受けすることにした。ちなみに「あのー」が多いのは、吝かでないと言ったものの、やはり幾許(いくばく)かの心の迷いがある表れで、これは谷垣禎一総裁の先の予算委員会質問と同じ現象ですね。現在の自民党に民主党を追及する資格があるのだろうか、というそもそも論的逡巡(しゅんじゅん)が「あのー」の多用につながっていると見ましたがね。
 で、そもそもと申した手前言ってしまうと、「シッカリしろ」という言葉は、はたして今の自民党にかけるべき文言であろうか。かなりバテている登山隊員とか、意識を失いかけている傷病者に呼びかける言葉であって、もう息がないかもしれない相手に対しては、まず脈があるのか、心臓に耳を押し当てて確認を急がねばならない。言わば自民党はそんな容体なのではないかと察しますがね。
 もちろん、大きく減らしたとはいってもまだ大勢の国会議員を有しているし、その中には幾多の有用な人材がおられることは承知している。人が亡くなっても、同時にすべての臓器が死んでしまうわけではありませんから。ならば一刻も早く、それらまだ使える臓器を摘出し、然(しか)るべき先へ移植しなければならない。だからといって、今の民主党を臓器移植を待っている患者さんに例えるつもりはありませんよ。あちらはあちらで部分的な臓器の移植でどうなるとも思えませんしね。
 例えが些(いささ)か不適当な方向へ向かったかもしれません。要はもう、大変お気の毒ですが、お亡くなりになってるんじゃないでしょうか。平成21年8月30日、午後8時00分。先の総選挙の投票終了時点で、波瀾(はらん)の生涯を閉じられた。享年55(満54歳)の、本来ならばまだじゅうぶん働ける年齢での臨終でした。
 ところが、こんなこと言うと「何を失敬な!」と気色ばむ方がおられるでしょうね。まだ死んでしまったことに気付いていない彷復(さまよ)える霊魂でしょうか。ならばさらに言葉を継ぎます。
 「亡くなった」とあえて宣告したのは、与党としては勿論(もちろん)、もはや野党としても蘇生の見込みがないと診断したからです。先日の前原誠司国交大臣じゃないですが、長年の失政のツケを払わされて汲々としている民主党を自民党に攻める資格はないと。これに対し町村信孝元官房長官は、「その論理は拙劣」と返しましたが、はたしてそうでしょうか。では今後もこのまま現与党を追及し続け、風向きが変わりでもすれば、再び自民党政権をとでもお考えか?あえてまた失政の時代に戻れというのはずいぶんと都合のよい要求というもんです。たまさか民主党に政権担当能力がなく(実際、現状そんな気がしてきた)、それを返上せざるを得ない日がきても、そんなことを二大政党による健全な政権交代とは言わないでしょうし、誰も望んじゃいない。
 ですが、幸いなことにというべきか、シブトいことにというべきか、政党は単体の生命体ではありません。そんな特性を意識してかせずか、谷垣総裁が良いことを仰いました。曰(いわ)く「みんなでやろうぜ」ー。これは自民党内部にではなく、むしろ民主党に向けて発するべき言葉ではないか。有用な臓器を活用すべく、合体して双方の病巣を切除。民主自民党(民民党?)として蘇生してくれた方が、ナンボましなことかと思いますが、如何ー。

2010年2月11日木曜日

鉄道高架事業は、これからどうなるのか(下)長谷川徳之輔

 沼津駅周辺総合整備事業、鉄道高架事業は、これからどうなるのか(下)長谷川徳之輔

 これからどんな問題が出るか、どうして解決するか
 さて、このような事情にある沼津駅周辺総合整備事業はどう進むかである。
 第一に、六つの事業のうち、推進派の希望通り、原地区の貨物駅は中止されるだけで、残りの事業は、そのまま進むのであろうか。
 第二に、鉄道高架事業は中止されて、南北横断道路、屋上駅、屋上広場などの新規の事業に都市計画が円滑に変更されるだろうか。
 第三に、すでに沼津市が買収している鉄道高架事業予定地は、どう処理されるのか。
 第四に約三百億円の鉄道高架事業のための基金をどう経理処理するのか。
 第五に、貨物駅として都市計画事業の認可を受けている土地には、建築物の建築規制、土地利用の規制、土地の買い取り請求などの制限が付いており、いつまでも制限を続けるのか、また土地の買い取り請求に、どう対応するかである。
 第六に、ここまで事業を進めてしまった行政、議会の責任をどう間うのか、などなど。いろいろな問題を解決しなければならない。
 一番大切なことは、沼津駅周辺総合整備事業を考えた時点と今の時点では大きく経済社会環境が変わってしまったこと、これまでの考え方や仕組みが通用しなくなっていることを、市民も行政もしっかり認識しておくことであり、過去の失敗、不業績を今になってあげっらっても何にもならないことを認識すべきである。過去は過去として処理し、これからどうすべきなのかを考えなければならない。
 明確な決着が必要
 第一の問題は、それでは、都市計画は変更されず、なし崩し的に先延ばしされることである。
 事業は止まっても、計画をそのままにして、いつか復活するとして処理を先延ばしすることであり、行政の責任の先延ばしに過ぎず、従来は、このような対応がされることが通例であった。
 しかし、貨物駅の計画を止めては、残りの事業が進まないことは前述のとおりであり、先延ばしすることは問題の解決にはならない。表向き事業がストップして、鉄道高架事業は棚ざらしになるだけである。貨物駅の移転が消えるからには、全体の計画の見直しをしなければならない。
 第二に新しい計画を決めること、南北自由通路や屋上駅などに円滑に変更することができるかである。
 計画案、財源、費用負担などJRとの交渉、国、県、沼津市との調整を考えると、すぐに転換することは難しく、相当長期の時間を余儀なくされよう。まずは、小田原駅、清水駅などの事例を徹底的に調査して、情報資料を集めて、その功罪を市民に公開する。計画作成には、市民、商店街、専門家の参加を求めて、市民運動を高めることだろう。世論の力で市民意識を高めることしかなかろう。
 第三は、買収した用地を無駄にしないことである。
 富士見町地区、原地区には沼津市が買収した用地が散在している。土地の買収には利権が付きまとい、沼津市は、その実態を公表したがらない。しかし、どう利用するか考え、円滑に資産処理を進めるには、実態を隠すことなく、どのくらいの量があるのか、現在価値はどのくらいかなど、しっかりした情報資料を整備して、新しい利用方法を考えなくてはならない。
 原地区の貨物用地はまとまった土地であり、教育施設、医療施設や市民公園などに利用できよう。富士見町の土地は、鉄道高架事業用地を生み出すのではなく、良好な居住環境を整備するための区画整理事業を進めていくことであり、有効利用の道を探ることである。災い転じて福となし得るかどうかである。
 都市計画の事業制限、土地の買い取り請求 第四は、速やかに都市計画事業の認可を取り消すことである。
 都市計画法、土地収用法は、事業を推進するために、土地所有権の強制収用、土地利用の制限などを義務付け、逆に制限を受ける土地所有者の立場から、土地を時価で施行者が買い取ることを請求する権利が認められている。
 都市計画事業の認可の効果が続く限り、土地所有者の権利は不安定であり、また、事業を中止するにもかかわらず、施行者、沼津市は買収予算を計上し、要らない土地を買い続けなければならない。貨物駅の移転を中止するのであれば、早急に貨物駅移転の都市計画の事業認可を変更しなければならない。先延ばしして、放置しておく訳にはいかないのだ。
 使ってしまった基金の問題
 第五は、市民が営々として積み立てたはずの三百億円の鉄道高架事業を進める資金、基金がどうなっているか、しっかり経理できるかである。
 これまで鉄道高架事業の沼津市の負担は、三百億円の基金が積み立てられているから大丈夫だと説明されてきた。確かに現金であればそういう話も成り立つが、今果たして、この資金がどのくらいあるのか。
 積み立てた資金は現金であるわけでなく、土地の買収、他の事業への流用などで大半は使われてしまっている。基金の財務状況は必ずしも明確に示されている訳ではない。
 そもそも、鉄道高架事業のために積み立てたという基金が、もし鉄道高架事業をやらないとした時に、どう経理処理したらいいのか対応策は明確ではあるまい。貸付金だといわれる流用先の資金が返済される見込みもなかろう。使ってしまったものを取り戻すことはできないし、地価の変動で下がってしまった土地価格を取り戻すこともできはしない。
 真のリーダーの責任、出番だ
 第六は、究極の問題であるが、ここまできてしまったことの政治、行政の責任問題である。
 これまで二十年近く、無意味に、だらだらと進められてきたのは、中止することによって、それまでの事業に誰が責任を取るかが、はっきりすることを避けたい心理も、当事者には正直あったものと思われる。
 国、県、沼津市、それにJRが、それぞれの思惑でかかわってきたが、時代の転換により、これまで適切だと思ってきたことが変質してしまい、計画への疑問を持ちつつも、正直、転換を言いかねて、みんな、だんまりを決め込むか、責任を他に転嫁してきたのではなかろうか。
 折から中央政権も自民党から民主党に政権交代し、新政権はコンクリートから人へのスローガンで無駄な公共事業はやれない、やらないという方向を示している。新政権の中枢に位置する選良がこの沼津市から選出されている。
 今こそ、そのスローガンを実行するために、国土交通省、静岡県、沼津市、さらにJR当局を調整し、円滑に事態が解決されるように、舵取りする責任がある。川勝平太静岡県知事、栗原裕康沼津市長、いずれもこれまでの政策からは自由な立場にあり、県民、市民全体のために冷静、客観的に判断することができる立場にあると思う。まさに、これらのリーダーたちの出番だ。
 究極の責任は沼津市民にある
 究極の責任問題は、ここまで来たら、本来は鉄道高架事業の施行主体でもない沼津市、沼津市民が負わなければならなくなったことである。
 これまでの努力が無駄になったという思いもあるだろうが、さらなる負担を避けるために、方向転換は仕方がないと思うしかないと思わざるを得ない。
 この二十年の政治や行政の責任を問うたところで、市長や市議会は何回も替わっており、議会も市民も当時は鉄道高架事業を認めていたのだから、責任は市民全体にあると思うしかない。そう思うことが事態の解決を進めることになるのではなかろうか。今、問われるのは、沼津市民の冷静な判断、英知である。(おわり)(元大学教授、東京都)
(沼朝平成22年2月11日(木)号)

2010年2月10日水曜日

鉄道高架事業は、これからどうなるのか長谷川徳之輔

 沼津駅周辺総合整備事業、鉄道高架事業は、これからどうなるのか(上)
 長谷川徳之輔

 川勝知事の発言
 川勝平太静岡県知事が、長年の問題となっている沼津駅周辺総合整備事業、その中で土地収用をめぐって紛糾してきた原地区への貨物駅移転について、施行主体としての静岡県の立場から、貨物駅の移転、増設の必要性を否定する発言を繰り返している。
 推進を目指す栗原裕康沼津市長とも話し合ったが、貨物駅移転不要の知事の鉄道高架化事業への見解は、新たな問題を生んでいるようだ。
 では、どんな問題が起こるのか。先行きどうなるのか。いったん決めた公共事業をストップすることなど経験のなかったことであり、どう事態が進むのか、当事者にも、市民にも、戸惑いと混乱が起きている。
 究極は沼津市民の判断
 川勝知事の見解は、JR貨物の輸送量の全貨物輸送量の中で占めるウエートは極めて低く、さらに沼津駅での貨物取扱量も微々たるもので、今後も増加することはありえず、そもそも貨物駅の移転は無意味であり、現在の貨物駅の存在意義さえ問われるという見方である。学者らしく数字を挙げて説明しており、常識的には誰もが理解できる話である。
 知事は静岡県が施行主体で責任があるが、最終的には、事業を進めるかどうかを決めるのは沼津市民だと沼津市民に下駄を預けている。知事にして他人事としか見ていないようである。
 この知事の発言について、長い間、鉄道高架事業の反対運動を続けてきた市民にとっては当然であり、鉄道高架化事業は中止されるものと評価しており、推進派は落胆しながらも、鉄道高架事業自体が否定されたわけではなく、事業は進められると受け取っている。果たしてどうなるのか、不透明であり、そのために市民に戸惑いが広がっている。
 複雑な沼津駅周辺総合整備事業
 もう一度、この事業の仕組みをおさらいしてみよう。
 沼津駅周辺総合整備事業は六つの事業が一体となって機能するものであり、貨物駅の移転がなければ、そもそも鉄道高架事業は成立しないはずである。
 沼津市の旧市街地の衰退は市街地が東海道線と御殿場線で分断されているからであり沼津駅周辺の二つの鉄道線路を高架化して南北の交通を円滑化させれば南北問題は解決する、という考えから計画がスタートしている。
 鉄道の分断が沼津市の衰退の原因なのか疑問はあるが、事業は、まず、鉄道線路の高架化のために、現在の平面の沼津駅の西側にある貨物駅と東側にある車両基地を高架化線路の外に移転させる。
 その上で、跡地の車両基地用地と貨物駅用地その周辺を区画整理して鉄道高架事業の線路用地を生み出すとともに、市街地を整備し、高架下の土地の有効利用を進める。
 これに関連する、いくつかの道路整備などが加わる。さらに駅南の土地の有効利用のために駅南の再開発事業を行う。話題のイーラdeはその一環である。
 割の合わない沼津市、隠れたJR貨物
 六つの事業の事業システムは、別々の都市計画事業であり、施行主体も費用負担も異なる。鉄道高架事業と貨物駅移転事業は、静岡県が施行主体、現貨物駅の土地区画整理は沼津市が施行主体、駅北と車両基地の土地区画整理は民間都市開発推進機構が施行主体、駅南の都市再開発事業は沼津市が施行主体となっている。
 都市計画も制度的にはそれぞれ個別に決められており、沼津駅周辺総合整備事業は、これらを一体としての名称であり、鉄道高架事業がその中心に位置付けられている。鉄道高架事業がなければ、残りの五つの事業は形式的には別事業でも、実質的には存在しない事業なのだ。不思議なことに肝心のJR貨物は事業主体としての姿を現さない。
 貨物駅中止は全体の中止
 確かに貨物駅移転をやめても、都市計画としての鉄道高架事業は形式的には存続し得る。しかし、それには現在の貨物駅と車両基地の機能を維持するために、平面の線路をそのまま、存続しなければならないし、それでは鉄道を高架化しても意味のないことになってしまう。
 貨物駅を移転しないで現在の貨物駅を撤去する選択もあり得るが、JR貨物が受け入れないであろう。
 鉄道高架事業が消えれば、御殿場線の高架事業の用地を生み出すために行われる車両基地用地、富士見町地区の区画整理は必要なくなってしまう。もちろん、鉄道高架事業に関連する道路整備事業も意味がなくなる。現在三つ目ガードの北側で行われている道路拡幅、かさ上げの工事は全く役に立たない事業になってしまう。
 JR救済の国策事業
 そもそも、沼津駅周辺総合整備事業は旧国鉄、JRの救済なくしてはありえなかった事業である。
 当時、旧国鉄は巨額の債務超過、経営不振が極まり、国を挙げての救済を迫られていた。旧国鉄の三十七兆円に上る膨大な債務を棚上げして、その債務を処理する国鉄清算事業団を作り、二十五・五兆円の債務を承継させた。
 本体は、JR東海など六つの株式会社に分割して新生のJR株式会社にして再出発させた。JR貨物もその一環である。
 国鉄清算事業団は旧国鉄の資産を売却して債務に充て、不足する分を国が税金で面倒をみることになり、全国各地で旧国鉄の資産、土地が売却された。新橋、汐留駅貨物用地はその目玉だったが、虎の子の用地の処分も大した収入にはならず、債務は国の一般会計に引き継がれて大量の税金が投入されることになり、今でも年間一兆円近い税金が投入されている。
 JRの利益優先の事業、負担するだけの沼津市民
 鉄道高架事業は、もちろん鉄道と道路の平面交差が自動車交通の円滑な機能を阻害しており、とりわけ大都市においては都市計画の視点からも必要性は高かったが、その底流には当時の旧国鉄救済の要請から、鉄道高架事業の資金については極力、道路側、自治体が持つことが求められていた。
 運輸省と建設省の協定は、それを具体化したものであり、旧国鉄救済が重要な国策であったのである。
 高架化しても線路の利用効率が上がるわけでもなく、鉄道高架事業にJR側のメリットが少ない"地方都市では、その費用の九五%を、自治体、道路側が持つことで事業が進められてきた。
 沼津駅鉄道高架事業もその通りで、JRとしても当時、新規の投資先がなくなり、有能な技術者、土木建築の専門家が働く場所をなくしていた。彼らに働き場所を用意することもJR当局の経営上必要であったのであろう。鉄道高架事業は絶好の働き場所になる。
 その費用の大部分を道路、自治体が負担するのであり、JRは自らの負担なしで職員の雇用を続けることができる。さらに、貨物駅や車両基地のような資産の有効活用が自治体の負担で進められる。原地区の貨物駅が貨物取扱量を現状の一四万㌧から四〇万㌧へ拡大して資産の効率化が自治体の負担で進むなど経営上は絶好のチャンスだったと言わざるをえない。
 このような流れにある鉄道高架事業について、その費用は道路、自治体が負担する計画が、極力JRのメリットを拡大する方向で進められてきた。今になっては計画に乗ったことに内心忸怩(じくじ)たるものがあるJR当局は前面に出て、その必要性を説明したがらない。
 JRは、一私企業としての損得しか考えていないと言わざるを得ない。都市計画を決定し、運用方法を定めた国土交通省(旧建設省)、静岡県当局も明確な説明を避けざるを得ない。(元大学教授、東京都)
(沼朝平成22年2月10日(水)号)

2010年2月6日土曜日

「表紙替えても」の重み

「表紙替えても」の重み
 政治とカネに終止符を
 「本の表紙だけ替えて、中身が変わっていないということでは駄目だ」
 「政治とカネ」の問題が起こるたびに、結局は21年前の「言葉」に戻ることになる。1989年、リクルート事件で竹下登首相が退陣を表明。後継首相への就任要請を固辞した伊東正義自民党総務会長の名セリフだ。
 出身地・福島県会津若松市の「伊東正義文庫」で先日「総理のイスを蹴った男」というビデオを見せていただいた。記者会見での伊東氏はひょうひょうとした口調ながら、ぐっと腕組みした姿から怒りが伝わってくる。
 当時は「自民党が変わらなければ駄目」という意味だったが、「政権交代」という本当の「表紙替え」を経た今、この言葉は一層の重みを持つ。深刻な現実だ。
 「政治にカネが掛かりすぎる。100万、200万は『はした金』というのは国民感覚からずれている」とも伊東氏は語っていたという。鳩山由紀夫首相や小沢一郎民主党幹事長の資金問題は、捜査上は一区切りかもしれない。だが飛び交う「億」単位の話に「大金が動く政治」「責任は秘書」は変わっていない、とがっかりする。
 英国の政界も去年から経費不正請求問題で揺れている。住宅手当の二重請求や家の掃除代などを経費に入れ、引退表明に追い込まれる議員が相次いだ。だがその額は多くても100万円単位だ。英国は「1883年腐敗防止法」で選挙費用を厳しく制限した。その伝統がカネに対する厳しい感覚の根底にあるのだろう。
 ビデオの中で伊東氏は「国、地方のために働く前提は清潔、誠実、実行力」とも力説している。1989年の自民党「政治改革大綱」は「国民の信託によって国政をまかされる政治家は、かりそめにも国民の信頼にもとることのないよう努めなければならない」と明記した。
 伊東氏は党政治改革推進本部長に就任するが、執念を傾けた政治改革法案は海部、宮沢政権で頓挫。93年引退し、翌年亡くなった。戒名は「正義一徹居士」である。
 政治改革関連法は94年、細川政権で成立する。小選挙区比例代表並立制や政党助成制度の導入は「カネが掛からない選挙」「企業・団体献金の制限」をうたった。だが事件はその後も絶えない。
 国会は「政治とカネ」に多くの時間が費やされ、経済や外交など重要課題の議論は脇に追いやられている。政権交代という節目の今こそ、悪循環に終止符を打ってほしい。必要なのは、事件のたびに関係法を繕う対症療法ではなく、政治のコストを見直し、腐敗防止策を徹底する抜本的な制度改革だ。「一徹」に取り組む政治家はいないのか。
(静新平成22年2月6日「政考政読」)

「合法強調 巧みな錬金術」


「合法強調 巧みな錬金術」
 小沢氏関連団体の原資
 政党解散時の23億


 巨額資金と不動産の保有が疑惑を招いた小沢一郎民主党幹事長。政治資金規正法違反事件の舞台となった資金管理団体「陸山会」とは別に、小沢氏の関連政治団体は、創設した政党の解散時に約23億円の寄付を受け、同氏の私塾運営費にも充てる。側近は、万一に備えた「プール金もある」と証言した。一連の資金処理を「合法」と強調するが、分かりにくさはなお漂う。
 信仰
 政界で異彩を放つ「小沢流錬金術」。「知恵袋」として仕えた平野貞夫・元参院議員は、原点は田中角栄元首相にあるとみる。ロッキード事件で失脚した「政治の師」。「田中さんの様子を見ているからカネについては合法的に、でないと触れない、という信仰のようなものが(小沢氏に)ある」と解説する。
 集金の論理については「合法的なものは、もらう」と端的だ。使い道についても「法律の範囲内なら、いっぱい法律を活用する。批判されている不動産だって、反道徳的だという、ばかなことはない」とする。
 陸山会は1994年以降、10億円を超す資金で計12件の不動産を購入。「マンションを担保にすればいざというときに金を借りられ、政治献金が入ってきたら返せる。家のローンと一緒で、浄財を政治活動に有効に使える」と話す。
 こうした仕組みを立案したのは、自由党で事務局長を務めた元職員(2006年に死去)と推測。「小沢に天下を取らせようと本当に熱心だった金庫番」と形容した。
 公金
 平野氏は今も、小沢氏の関連団体「改革国民会議」の会計責任者。同じく「改革フォーラム21」でも昨年まで責任者だった。国会近くの事務所には2団体のほか小沢氏主宰の「小沢一郎政治塾」も同居する。
 08年末時点で、2団体の残高は計約17億4千万円。原資の大半は、小沢氏が代表幹事だった新生党と、党首だった自由党の解散時の資金だ。
 国民会議には自由党から約13億6千万円、フォーラムには新生党から約9億2千万円が寄付された。議員数に応じて国が配る政党交付金や、立法事務費という「公金」が億単位で含まれる。
 「交付金は、党首一人でもらっているカネではない」と、自由党にいた渡辺秀央参院議員(改革クラブ)。解散時に500万円が一部議員側に配られたが、受け取っていないと主張する。
 2団体の資金の使途について平野氏は「国民会議は塾への助成や、小沢氏が進める日中交流事業の事務費、小沢氏支持の衆院議員でつくる『一新会』の研修経費を出している」と説明。
 フォーラムの資金は「いざという時のためプールしている」。政変に備えたものともみられる。
 抜け道
 政治活動の自由という観点から政党交付金の使い道に制限はなく、立法事務費は使途報告の必要がない。平野氏は「違法じゃない。自由党の理念を小沢塾で勉強するのだから、国民会議から出すのは合理的」とする。
 こうした資金処理について、福岡政行・白鴎大教授は「政党が終わった時点で、交付金の残りは国に返納するのが当然。法を作る政治家が法の抜け道を使ってはいけない」とし、交付金の在り方も議論となりそうだ。
(静新平成22年2月6日(土)朝刊)