2020年8月21日金曜日

渡辺周氏新党参加へ


渡辺周氏新党参加へ
 国民民主党の渡辺周氏(衆院静岡6)20日、静岡新聞社の取材に応じ、同党が立憲民主党と結成する方針を決めた合流新党に参加する意向を明らかにした。参加する理由については「安倍政権に緊張感をもたらす大きな野党勢力をつくらなければならない」と説明した。
 ただ一方で「(国民が次期衆院選での公認を決めていた)支部長を含む地方組織の取り扱いや、政策のすり合わせなど条件面の調整が必要だ」と指摘。「みんながまとまって新党に加われるよう、自分が中心となって(調整に)汗をかきたい」との意向を示した。
 渡辺氏は当選8回のベテランで党副代表を務める。19日に開かれた党両院議員総会では、解党した上で立民と合流新覚を結成するとした執行部案に、国民県連所属の国会議員4氏の中で唯一反対し、新党参加に対する態度を保留していた。
 国民県連所属の国会議員ではほかに日吉雄太(衆院比例東海)、源馬謙太郎()両氏が合流新党に加わる方針を示し、県連会長の榛葉賀津也氏(参院静岡選挙区)は態度を明らかにしていない。
【静新令和2年8月21日(金)朝刊】


藤井棋聖が最年少二冠 王位奪取、八段に昇段


藤井棋聖が最年少二冠
 王位奪取、八段に昇段
 将棋の藤井聡太棋聖(18)20日、福岡市で指された第61期王位戦7番勝負第4局で木村一基王位(47)を破り、4連勝で奪取、最年少の181カ月で二冠となった。タイトル通算2期の規定により、最も若く八段に昇段した。八つのタイトルのうち二つを制し、高校生棋士が棋界の頂点へ向けさらに前進した。
 棋聖戦に続いて再び、馬タイトル戦を制した藤井新王位は「(記録は)意識していなかったが、結果を残すことができたのは収穫だった」と話した。
 対局は藤井新王位が強手を放ち、80手までで押し切った。2020年度は残る王将を奪取すれば、三冠となる。
 これまでで最も若い二冠の記録は1992年、羽生善治九段(49)が作った2111カ月。最高の九段に次ぐ八段昇段は58年の加藤一二三・九段(80)183カ月で、62年ぶりの更新となった。
【静新令和2年8月21日(金)朝刊一面】

JR三島駅の「不二家」閉店


JR三島駅の「不二家」閉店
利用客見守り37
 メッセージ「ペコ、忘れないで」
 JR三島駅構内で37年前から営業を続けていたレストラン「不二家三島ステーション店」が20日、閉店した。来店客や駅の利用者を見守り続ける不二家のマスコットキャラクター「ペコちゃん」人形も役目を終え、店先から姿を消した。「頑張るみんなを応援しているよ」とのメッセージとともにー。

 同店がオープンしたのは198311月。不二家のフランチャイズ4号店として、オーナーの原田重利さん(72)=三島市=が新幹線と在来線の改札をつなぐ通路で営業を始めた。乗り換えの時間を利用するお客も多いため、「おいしく、早く、きれいに」をこだわって続けてきた。
 常連客も増え、幾多の困難も乗り越えてきたが「新型コロナウイルスには勝てなかった」。駅の利用客が大幅に減り、店の売り上げは一気に落ち込んだ。長男の利光さん(45)が継ぐ話もあったが、収束も見通せない状況で閉店を決めた。
 営業最終日、店先に立ち続けたペコちゃんの横にはメッセージが添えられた。「子供だったみんなも立派な大人になって、ペコの身長を追い抜いていったね」「ペコはおうちに帰ります。でも、ペコが三島駅にいたこと忘れないでほしいな」。原田さんの思いを利光さんがつづり、感謝の気持ちを伝えた。
 沼津市から県立三島北高に電車で通う村木照太朗さん(17)、萩本大翔さん(18)は最後に店を訪れ、「ペコちゃんがいる店の風景が当たり前だった。さみしい」と名残を惜しんだ。原田さんは「お客のおかげで続けられた。頑張ってきて良かった」と話した。
(三島支局・金野真仁)
【静新令和2年8月21日(金)朝刊】

西山助蔵


 西山助蔵
ハリスに仕えた 助蔵の生きざま紹介
 横浜・杉本さんら 幕末期の下田漫画に
 江戸時代末期、下田市の玉泉寺に置かれた国内初の米国総領事館で、初代総領事タウンゼント・ハリスに仕えた下田出身の西山助蔵(18421921)の生涯を描いた漫画「助蔵物語」が21日、伊豆市の長倉書店から出版される。原作は「幕末お吉研究会」(下田市)代表の杉本武さん(58)=横浜市=、絵は熊本県在住の漫画家荒木浩之さんが担当した、杉本さんは「激動の幕末に少年時代を過ごした助蔵の生き方を多くの人に知ってもらいたい」と熱っぽく語る。
 下田の名主の子として生まれ、後に足軽に取り立てられた助蔵は1856(安政3)年、14歳で玉泉寺に住み込み、近所の村山滝蔵と共にハリスと通訳のヘンリー・ヒュースケンの小間使いになった。領事館が東京・麻布の善福寺に移転した際も同行した。70(明治3)年まで勤務し、下田に戻った。その後は山仕事をしながら、78歳で生涯を終えた。
 杉本さんは開国史の悲劇のヒロインとして知られる「唐人お吉」こと、斎藤きちの生涯を研究する中で、助蔵の存在を知った。漫画にはお吉の他、助蔵の上司として後に「商業写真の祖」として知られる下田出身の写真家下岡蓮杖も登場する。
 本は販売開始に先立ち、下田市内の全小中学校に寄贈された。杉本さんは「助蔵は何かを成し遂げた"偉人"ではないが、少年時代から多くの人と接し、開国の時代を人間臭く、たくましく生きた。コロナ禍で世界が変化する今の子どもたちにも何か感じてもらえたら」と願う。

「助蔵物語」はA5判、1800(税別)。下田市内など県内書店の他、同市の下田開国博物館などで販売する。問い合わせは長倉書店〈電0558(72)0713〉へ。(下田支局・尾藤旭)
【静新令和2年8月20日(木)夕刊】

2020年8月16日日曜日

戦没同窓生慰霊の献花 平和祈念の碑に佐野さん夫妻


戦没同窓生慰霊の献花
 平和祈念の碑に佐野さん夫妻

 東高第2回卒業生の佐野利夫さん(89)と同窓生で妻の忠子さん(82)=下一丁田=は、戦没同窓生を慰霊する献花を15日、市民文化センター玄関脇にある「平和祈念の碑」に行った=写真。
 同校同窓会は、太平洋戦争で亡くなった同窓生を慰霊するため2007年、同所に祈念碑を建立。以来、毎年43日に関係者が集まり、平和祈念式典を開いてきたが、今年は新型コロナウイルス感染症の影響で中止となった。
 その代わりとして、戦没者の年代に近い佐野さん夫妻が、終戦記念日に献花することにしたという。
【沼朝令和2年8月16日(日)号】

2020年8月10日月曜日

杉原千畝夫妻 沼津に顕彰碑 幸子夫人出生地で有志建立へ


杉原千畝夫妻 沼津に顕彰碑
幸子夫人出生地で有志建立へ
 第2次世界大戦中、ドイツ軍の侵攻から逃れるユダヤ人にビザを発給して命を救った外交官杉原千畝(190086)と活動を支えた幸子夫人(19142008)の功績をたたえる顕彰碑の建立計画が、幸子の出生地の沼津市で「命のビザ・杉原千畝夫妻顕彰会」によって進められている。同市の港口公園に建立し、除幕式を11月に行うという。
命のビザ発給80
 企画したのは顕彰会の代表で長興寺(同市大塚)の松下宗柏住職。幸子夫人は同市末広町生まれで、戦後には杉原一家が沼津の上香貫にある幸子夫人の親戚宅で約4カ月間生活したこともあり、沼津に縁がある杉原夫妻の功績をたたえようと計画した。千畝がリトアニアでユダヤ難民にビザを発給した1940年から今年で80年となる節目に合わせて呼び掛けたという。
 顕彰碑は幅13㍍、高さ15㍍の石碑で、夫妻の肖像立体レリーフを設置する。ビザ発給について記した千畝の手記の一節と幸子夫人の短歌も刻む。制作費はクラウドファンディングで約220万円を集めた。
 松下住職はビザを発給した千畝本人だけではなく、その決断を支えた妻の幸子夫人の功績をたたえるべきと考え、今年4月に顕彰会を設立。顕彰碑の設置に向けた準備を進めた。碑の御影石を市内の真島石材工業が提供したり、千畝の母校早稲田大の地元同窓会の支援を受けたり、多くの助けがあったという。
 松下住職は「多くの人命を助けた夫妻に縁があることは沼津市の誇り。子どもらに人道について知ってもらう機会になれば」と意気込んだ。(マコーリー碧水)
【静新令和2810日(月)朝刊】