2020年1月29日水曜日

悲しいまでの政治劣化


国会代表質問
 ジャーナリスト 江川紹子氏
 
えがわ・しょうこ1958年東京都生まれ。神奈川新聞記者を経てフリーに。「『オウム真理教』追跡2200日」など著書多数。

 悲しいまでの政治劣化
 この人は、自身の非や責任と向き合い、それを認める勇気と度量がないのだ。国会での野党代表質問に対する安倍晋三首相の答弁を聞いて、改めてそう思った。
 「桜を見る会」など、問題が指摘された直後に首相が誠実に事実に向き合い、公私混同状態を謝罪していれば、とっくに終わっていた話だろう。
 ところが、そういう大人の政治家としての対応ができない彼は「僕(だけ)のせいじゃない」と言わんばかりに、事実解明に背を向けた。そのために延々と時間をとり、官僚が国会に提出する文書に"加工"を施すまでになったのは、森友学園問題とよく似た構図だ。そんな中で迎えた通常国会。安倍首相は「ホテル側が」「個人の惰報で」「(文書は)廃棄しており」など、あらかじめ用意された決まり文句を盾に何も答えなかった。
 とりわけがっかりしたのは、カジノを含む統合型リゾート施設(IR)を巡る汚職事件
や閣僚2人が辞任に追い込まれた問題についての答弁だ。
 特に河井克行衆院議員のケースは、前法相が検察の捜査対象になる前代未聞の事態。しかも問題の妻、案里参院議員の選挙には、自民党が15千万円という巨額の金を注ぎ込み、安倍首相ら党幹部が相次いで応援に駆け付けた。個人の不祥事ですむ話ではない。にもかかわらず、「捜査に影響する」として、門前払いの答弁だった。
 河井氏といい、「メロン・香典疑惑」の菅原一秀・前経済産業相といい、辞任した後は、何の説明もせずに雲隠れ。臨時国会は欠席したままで、ちゃっかり歳費やボーナスは受け取っていた。
 自らが大臣に任命した者のこうした態度について首相が語ったところで、捜査に影響を及ぼすとは思えない。
 ところが、首相はその話を避けるばかりか、疑惑議員の説明責任について「与党野党を問わず、一人一人の政治家が襟を正すべき」と一般化。「可能な限り説明を尽くしていくものと考えます」と、まるでひとごとだ。
 果たして、これが「事態を重く受け止めている」人の態度だろうか。
 "親分"がこれだから、子分たる疑惑議員らも説明責任を果たさず、議席にしがみついて恥じるところを知らない。
 河井夫妻も「捜査中」を隠れみのに説明を避け、「捜査には協力を惜しまない」などと、何かいいことでもしているような言い草である。
 一連の天皇の代替わり行事で、安倍首相は「国民代表」としてあいさつした。政権に批判的な人も含め「全国民」を代表する立場だろう。だが彼の目には、批判的な野党議員は「敵」でしかなく、その後ろにいる国民は見えていないのだろう。
 「国民代表」が国民分断の一因になっている。「国権の最高機関」たる国会での安倍首相の対応から見えてくるのは、悲しいまでの政治の劣化にほかならない。
【静新令和2129日(水)「指標」】

2020年1月27日月曜日

旧道坂隧道特別清掃隊令和2年1月25日奉仕活動の記録







旧道坂隧道特別清掃隊 私たちの活動について
旧三津坂燧道は明治29年に完成し、昭和36年に現在のトンネルができるまで伊豆半島の中央部と駿河の海とを結ぶ最短のルートとして重要な役目を果たしてきました。国の指定重要文化財である旧天城トンネルより8年古い伊豆最古の石巻トンネルであり、開化期の土木遺産にふさわしい立派な建造物です。また井上靖の小説「しろばんば」にも登場する文化財でもあります。そんな先人の遺産が打ち捨てられて60年近く経ち、あるときはごみ捨て場と化し、いまや草木、土石に埋もれようとしています。
私(枯野剛)はとにかく何かできることから始めよう、それをテコに行政に訴えかけられるかもしれない、そんな気持ちで行動を起こしました。無謀といえば無謀です。とりあえず坑内の溜り水を排水してどろんこ状態をなくそう、それには長瀬側の坑口を塞いでいる土砂を除けばよいと考え、ひとりスコップを持って長瀬側の坑口に立ちました。2019年2月2日のことです。
私たちは旧三津坂隧道を保存し、国の重要文化財に指定されることを目指しています。また、歩行者・自転車専用のトンネルとして活用しようと考えています。トンネルのみならず取り付け道路など周辺を整備すれば観光資源として十分に活用できると考えています。
この活動の参加者はツイッターを見て集まった者たちばかりです。お互い本名も職業も知りません。沼津市在住者より遠方からの参加者が多いくらいです。自由意思で集まり、きつい作業もむしろ楽しんでやっております。
私たちは奥駿河燦燦会の下にあって、旧三津坂隧道の清掃に特化した、いわば別動隊のようなグループとして活動を続けて行きたいと思っております。
(仮称)旧三津坂隧道特別清掃隊
発起人 枯野剛

幕尻徳勝龍初V 、涙と笑顔初賜杯






幕尻徳勝龍初V
20年ぶり快挙、33歳 大相撲初場所

 大相撲初場所千秋楽は26日、東京都墨田区の両国国技館で行われ、西前頭17枚目徳勝龍(33)=本名青木誠、奈良市出身、木瀬部屋=が結びの一番で大関貴景勝を力強く寄り切って141敗とし、初優勝した。幕内最下位の幕尻力士の優勝は、2000年春場所の貴闘力以来2人目の快挙。千秋楽の結びで幕尻力士が相撲を取るのは、昭和以降で初めてだった。=「時の人」2面、関連記事1023面へ
 奈良県出身力士の優勝は1922年春場所の鶴ケ浜以来、98年ぶり2人目。33歳5力月での初優勝は、年6場所制となった58年以降で3番目の年長で、日本出身では最年長。平幕優勝は昨年夏場所の朝乃山以来31度目となった。
 白鵬、鶴竜がともに序盤戦で途中休場して横綱不在の中、近畿大出身の徳勝龍は突き落としなどを武器に白星を重ね、14日目に1敗同士の平幕対決で正代に勝って単独首位に立った。千秋楽は出場力士で最高位の貴景勝と異例の対戦が組まれたが勝利し、逃げ切った。
 自分なんかが…
 徳勝龍の話 自分なんかが優勝していいんでしょうか。(ファンらに)喜んでもらえて良かった。(番付が)一番下なので、怖いものはないと、思い切っていくだけだった。来場所も自分らしく気合の入った相撲でやっていきたい。
【静新令和2127日(月)1面】

「時の人」
大相撲初場所で初優勝した
 徳勝龍誠(とくしょうりゅう まこと)さん

 長い歴史を誇る大相撲でも、ここまで人々を驚かせた優勝は少ないだろう。徐々に騒がしくなった周囲をよそに「自分は一番下だから、何もないですよ」と話していた。西前頭17枚目の幕尻で賜杯を抱く下克上を果たし、181㌢、188㌔の色白の体がいつもより大きく見えた。
 奈良市出身。高知・明徳義塾高時代はプロ入りは考えておらず、実業団で相撲を続けるつもりだった。人生の転機は近畿大相撲部の監督だった伊東勝人さんに勧誘を受けたことだ。思い切り良く攻めることを説かれ、4年生時に西日本学生選手権個人を制するなど徐々に頭角を現す。2OO9年初場所で初土俵を踏んだ。
 「勝ち越したら、いつも最初に報告していた」という恩人は18日に急逝。勝ち越しをはるかに上回る吉報を天国に届けることができた。
 元横綱稀勢の里の荒磯親方、大関豪栄道と同じ1986年生まれ。華やかな同学年とは対照的に地味な土俵人生を送ってきた。巡業の合間に談笑をしていた力士に握手の列ができると「さあ、邪魔者は退きましょう」と笑みを見せていた。33歳にして主役となり笑顔が輝いた。
 若手力士を食事や治療に連れて行き、悩みを存分に聞くことを心掛ける。師匠の木瀬親方(元幕内肥後ノ海)は「みんながあいつを慕っている。部屋にとっては福の神だよ」と評す面倒見のいい兄貴分だ。本名青木誠。16年に結婚した千恵夫人の手料理が癒やしになっている。
【静新令和2127日(月)2面】

【静新令和2127日(月)10面


徳勝龍、涙と笑顔初賜杯
 十両転落危機はねのけ

 土俵で見せたポーカーフェースが笑いと涙で彩られた。26日、東京都墨田区の両国国技館で行われた大相撲初場所の千秋楽で、平幕徳勝龍が初優勝を飾った。33歳にして賜杯を抱き「自分なんかが優勝していいんでしょうか」と、おどけながら喜びを口にした。
 今場所の番付は幕内で最も低い西17枚目。優勝など夢のまた夢で、むしろ十両転落と背中合わせだった。春場所は故郷の奈良に近い大阪で行われるため、母えみ子さん(57)は「絶対一つ勝ち越して帰ってきてね」と場所前に励ましたという。
 ふたを開ければ破竹の快進撃。えみ子さんは千秋楽の朝に奈良を出発して駆け付けた。歓喜の瞬間を2階席で見守り「あるわけないと思っていたけど、現実になった」と感無量の様子だった。
 えみ子さんによると、徳勝龍は体重38609で生まれ、6カ月で10㌔にまで成長した。小学校時代は柔道と野球も掛け持ちし「4番捕手」を担っていた。
 妻千恵さん(33)によると、明るく穏やかな性格で、家庭では相撲の話をしない。千恵さんは「昨日もいびきをかいて寝ていた。私の方が緊張して(この日の取組も)見られず(国技館の)廊下にいた」と笑った。
 今月18日には近畿大時代の恩師、伊東勝人さんが急逝。奇跡の優勝は最高の弔いとな,り、徳勝龍は「ずっといい報告がしたいと思って、それだけで頑張れた」と大粒の涙を流した。
 出身力士98年ぶり喜びに沸く奈良
幕内最下位ながら、奈良県出身力士として98年ぶりに優勝を果たした徳勝龍の奮闘に、地元は沸いた。出身地の奈良市は26日、大相撲初場所千秋楽のパブリックビューイング会場を市庁舎に設けた。相手を寄り切った瞬間、集まった市民やファンら約200人は立ち上がり、歓声を上げた。
 会場では、同市在住で父親の青木順次さん(73)と姉の井上千夏さん(35)も、大一番を見届けた。順次さんは「徳勝龍」と書かれたタオルで涙を拭い「感無量。歴史に残ることだ」と、初の賜杯をつかんだ息子子をたたえた。千夏さんは「相撲がうまくいっていない時は、見ていて私も苦しかった。弟はよく頑張った」と目を潤ませた。
 順次さんによると、徳勝龍は子ども時代からスポーツ好きで活発だった。小学4年の時に県内の「わんぱく相撲」大会で優勝。その後の全国大会で敗れてから、稽古にのめり込むようになったという。「弱音は吐かなかった。ほんまに頑張った」と回想しながら、余韻に浸った。
【静新令和2127日(月)23面】


加藤学園 男子 3連覇


加藤学園 男子 3連覇
 野球部に続く全国
 大接戦副将小田が窮地救う

 加藤学園は苦しみながら3年連続の選手権出場を決めた。準決勝までは他会場に先んじて早々と勝負を決めていたが、静岡学園との決勝は中堅まで連続引き分けの緊迫した展開。4人目の小田が11分けして何とか覇権を守った。
 昨年の総体8強メンバーの小田は副将戦で技ありを奪って優勢勝ち。続く相手の大将加藤とは、幼稚園の頃から同じ柔道クラブで対戦を繰り返してきた。自身が約50㌔上回る体重差をもってしても「やりづらかった」(小田)が、激しい技の応酬を経て引き分けに持ち込んだ。
 24日に野球部が選抜高校野球大会出場を決め、主将の加古は「自分たちも(全国を)決めなければと思っていた」と安堵(あんど)した。勝ち抜き試合に欠かせないのは体力強化。チームには学校近くの100段階段を30往復するメニューがあるという。岡本監督は「やり込みます」と猛練習を宣言した。
【静新令和2127日(月)朝刊】

2020年1月26日日曜日

加藤学園選抜高校野球初出場 第92回選抜高校野球 【静新令和2年1月25日(土)】記事


 加藤学園選抜高校野球初出場


 第92回選抜高校野球大会(319日開幕、甲子園球場)の出場校を決める選考委員会は24日、大阪市内で開かれ、加藤学園(沼津市)など32校が選ばれた。同校の甲子園出場は1996年の創部以来、春夏通じて初。東部勢の甲子園は95年夏の韮山以来、選抜は92年の御殿場西以来。吉報を受けたナインは歓喜に沸いた。=関連記事1531面へ
 加藤学園は、バッテリーを中心とした堅守と機動力を武器に、昨秋の東海大会で4強入り。東海地区の従来の出場枠は2枠だが、東海大会を制した中京大中京(愛知)が明治神宮大会で優勝したため、「神宮枠」が加わり3校が選出された。
【静新令和2125日(土)一面】


 出場32校決定
 第92回選抜高校野球

大会(319日から13日間・甲子園)の出場32校を決める選考委員会が24日、大阪市の毎日新聞大阪本社で開催され、加藤学園の春夏通じて初めての出場が決まった。昨秋の明治神宮大会を制した中京大中京(愛知)、史上5校目の夏春連覇が懸かる履正社(大阪)も選ばれた。
 戦力以外の要素を加味する21世紀枠は帯広農(北海道)磐城(福島)平田(島根)3校が選出された。春夏通じて初の甲子園は加藤学園のほか、平田、鹿児島城西の3校。春初出場は白樺学園(北海道)と帯広農。
 2018年に春夏連覇した大阪桐蔭は3季ぶり、昨夏準優勝の星稜(石川)3年連続14度目の出場となった。磐城は46年ぶり、鶴岡東(山形)41年ぶり、大分商は23年ぶりの出場となった。中京大中京は31度目、県岐阜商は29度目の出場。
 今大会から「1人の1週間の総投球数を500球以内」とする投球数制限が実施される。
 組み合わせ抽選会は313日に行われる。

 加藤学園夢舞台へ闘志
敗戦糧 接戦の強さ培う
 グラウンドに歓喜の雄たけびが響き渡った。加藤瑠美子校長が選手に歩み寄り、「おめでとう。選抜決まりました」と告げた。「夢のようなことで涙が出た。皆さんの努力のたまもの。強豪校の胸を借りて堂々戦って」と続けると、選手も感極まった。就任7年目の米山監督は「ホッとしている。チームカで思い切って暴れてきたい」と意気込んだ。
 前評判は決して高くなかった。昨秋は地区大会準決勝で沼津東に敗れて東部3位。敗戦を機に「当たり前のことを当たり前にやる」と、基本に立ち返った。1球ノックなど一つの球に全員の意識を集中させる練習を通じて1球へのこだわりを磨き、接戦での強さを培った。「負けたことで収穫を得られた秋だった」と勝又主将は振り返る。
 県大会では常葉大菊川、静岡などの甲子園常連校がひしめく激戦プロツクで、挑戦者としての思い切りの良さを強みにした。遊撃大村は「強いチームとできるのがうれしかったし、倒せたら楽しいと思った」と攻めの気持ちを貫いた。
 東海大会でも指揮官は「受けて立つ立場ではない。思い切ってやれ」と選手に言い聞かせた。その日の調子で先発、打順を組み替え総カ戦で挑む意識も高まった。「まだ甲子園の実感が湧かないけれど、試合になれば団結力を持って戦える」と三塁杉山。仲間とともに夢の舞台へ、気持ちを高ぶらせた。
(結城啓子)
 主戦肥沼「粘り強く」
 女房役と試合重ね成熟

 抜群の制球力とマウンド度胸を武器に県、東海大会で粘り強くピンチを切り抜けた主戦肥沼。「小さいころからの夢がかなって、とてもうれしい」。普段は喜怒哀楽を表に出さないエースが、満面に笑みを浮かべた。
 新チーム発足当初の肥沼は、前主将の林口(3)という頼れる女房役の不在を痛感していた。新パートナーは1年の雨宮。地区大会では雨宮のサインに首を振り、「投球のリズムが悪い」と、マウンドでの表情もさえなかった。
 投球練習の後、2人で納得するまで話し合った。「その日に良かったところや課題を見つけて直すようにした」と雨宮。試合を重ねるごとにバッテリーとして成熟していき、肥沼も「お互いを信じ合えるような関係になった」と話す。
 甲子園では「肥沼さんが最大限の力を出せるようにリードしたい」と雨宮が言えば、肥沼は「強気に、粘り強い投球をする」と決意を新たにした。

 強豪連破し勢い
 加藤学園は昨秋、東部地区準決勝で沼津東に15で敗れ、地区3位からのスタートだった。県大会は強豪を連破して勢いに乗った。けん引したのが1年秋からエースナンバーを背負う肥沼。初戦は島田商に完封勝ち。2回戦常葉大菊川、準々決勝で静岡、準決勝で静岡商にいずれも1点差で竸り勝った。
 東海大会も粘り強く接戦をものにした。大垣西(岐阜3)との1回戦は肥沼が1失点完投。近大高専(三重1)との2回戦は機動力で決勝点をもぎ取り、準決勝は県岐阜商(岐阜1)に延長戦の末、惜敗した。
東海4強の最終成績では藤枝明誠と同列。県決勝の直接対決は明誠に軍配が上がっている。ただ、加藤学園が接戦を通じて示した、バッテリーを中心とした堅守が選考で優位に働いたとみられる。

加藤学園の横顔
 1926年、沼津淑徳女学院として開設された。77年に加藤学園高等学校となり、83年に男女共学に。野球部創設は96年。主な卒業生にはプロ野球西武の高橋朋己、陸上の下田裕入(GMOアスリーツ)らがいる。生徒数は男子696人、女子674人。沼津市大岡自由ケ丘1979。加藤瑠美子校長。
【静新令和2125日(土)15面】


加藤学園96年に創部、苦労重ね初切符

「甲子園行くそ」。24日、第92回選抜高校野球大会の出場校に初選出された加藤学園高。沼津市の同校にはOBや保護者らが駆け付け、歓声を上げる部員らと喜びを味わった。
待ちに待った甲子園
OBや家族歓喜、感慨
1996年創部。春と秋の県大会は準優勝、夏の選手権は2003年の4強が最高だった。過去に監督や部長を務めた同校事務長の新田紀之さん(55)は準決勝で敗れた03年選手権の記憶を「セミの鳴き声まで鮮明に覚えている」。「四半世紀の間、苦労してきた先輩たちを思い返した。生徒には感謝しかない」と初の甲子園切符に感激した。畑祐助OB会長(38)は「今のチームはまとまりがある。ひたむきに野球に向かう姿を多くの人に見てほしい」話した。
エースの肥沼竣投手(2)の父圭一さん(46)、母京子さん(44)と弟の弦汰君(8)は埼玉県所沢市から駆け付けた。圭一さんは「本当は埼玉県内の高校に行ってほしかつたか、本人の意思を尊重して『頑張ってこい』と送り出した」と感慨深げ。「夢の舞台で一つでも多く勝ってほしい」と期待を込めた。
杉山尊三塁手(2)の母薫さん(49)=三島市=は「発表前のきのうから緊張していた」と息子の自宅での様子を明かし、「甲子園では恥ずかしくないプレーを」と願った。
昨夏で引退した3年生もユニホーム姿で集まり、後輩たちと握手を交わした。林口泰地前主将は「素直にうれしい。攻めの野球を見せてほしい」とエールを送った。
(運動部・木村祐太)

スポーツ界OBもエール
■下田裕太選手(陸上)
「とてもうれしい」
全国高校駅伝や箱根駅伝などで活躍した陸上長距離選手の下田裕太さん(23)=GMOアスリーツ=は「初出場というのは本当に大変。自分たちも都大路(全国高校駅伝)に行くまではとても苦労した」と話し、「活躍を大舞台で見られるのはとてもうれしい」と語った。
 
■高橋朋巳(野球)
「気負わずプレーを」
プロスポーツ界などで活躍する加藤学園高OBも吉報を喜んだ。
プロ野球西武ライオンズの高橋朋己投手(31)は昨秋の東海大会の結果も確認していたといい、「今年はいけるんじゃないかと思っていました。初出場なので気負わず精いっぱいプレーしてほしい」とエールを送った。

優勝を目指して
川勝平太知事の踊
本年はオリンピックィヤーとなり、本県はさまざまなスポーツで躍進するスポーツ大国を目指している。加藤学園高には「令和」最初の選抜優勝を目指して頑張ってほしい。

全員野球で臨んで
賴重秀一沼津市長の話
市民に夢や誇り抱かせるニュース。大会では支えてくれた家族や仲間の思いや、甲子園を夢見ていた気持ちを胸に刻み、全員野球で臨んでほしい。
【静新令和2125日(土)31面】