2009年7月30日木曜日

「静岡選挙区の攻防⑧完」


「静岡選挙区の攻防⑧完」8区
 実績対「どぶ板」の戦い

 衆院解散から2日後の23日夕。JR浜松駅前のホテルの大部屋に、企業や業界団体の幹部が次々と吸い込まれていった。文部科学相として今回の選挙を迎える自民前職塩谷立氏の第1回企業・業界・団体代表者選対会議があった。
 自民党への"逆風"の中、室内は緊張感が漂う。「厳しい状況を乗り越えなければならない。景気対策や担当の教育改革を進める機会を、どうか与えてください」。塩谷氏は約500人に深々と頭を下げた。
 2003年、05年と民主候補に連勝の塩谷氏。昨年9月の大臣就任で知名度がアップし、一時は楽観ムードもあったが、状況は一変。知事選での浜松市中、東、南区の民主推薦候補と自公推薦候補の差は約3万票と「思いもよらない結果」(有力支援者)に陣営は凍りついた。
 親子2代にわたり多くの企業の支援を受けてきた塩谷氏だが、世界同時不況で、浜松のほとんどの企業は厳しい経営環境に置かれている。「社業優先。前回ほどは動けない」(部品製造業者)と困惑の声も聞こえてくる。支援企業のヤマハの伊藤修二特別顧問は「それぞれに組織を引き締め全力で動く。地道に活動するしかない」と経営者に協力を呼び掛ける。
 「民主党の斉藤進です」。民主新人の斉藤氏は連日、のぼり旗を立てた自転車で選挙区内を回り、浸透を図る。立ち止まる人がいれば、駆け寄って握手。「どんな風、状況にも耐えうる選挙戦をしていく」と後援会名簿を頼りに1日100軒程度を訪ねている。
 衆院解散目前の16日。斉藤氏は報道陣を前に「相手は非常に強力。確かに知事選や都議選で(民主党が有権者から)多くの票をいただいたが、一寸先は闇。風は1週間で変わることもある」と現職大臣に立ち向かう心境を語った。全国の選挙で民主党が連勝しているが、勝算を問われても厳しい表情は崩さない。
 東京都小平市議から8区総支部長に就いて2年。浜松市生まれとはいっても住んでいたのは幼少のころまで。「今も無名の新人みたいなもの」(支援者の一人)。07年の統一地方選で浜松市長に転身した鈴木康友氏の後任候補として、スズキの鈴木修会長兼社長を中心とした経済人や連合静岡の支援を受け、「どぶ板選挙」(斉藤氏)で名前の売り込みに全力を傾ける。
 比例と重複立候補する共産元職平賀古同成氏。全県を回った手応えを「派遣切りの問題などで、街頭で若い人が共産党の訴えを聞いてくれるようになった。これまでとは明らかに違う」と強調する。自民・民主の対決に関心が集まる中、「有権者はただ政権交代すればいいとは思っていない」と民主党への"風"を分析。「政権交代後の政治の中身について大いに論戦したい」と意欲を燃やす。(衆院選取材班)
(静新平成21年7月30日「09選ぶ夏・激動しずおか」)

2009年7月29日水曜日

本年度普通交付税


 本年度普通交付税
 熱海が初の交付団体に

 普通交付税大綱の閣議決定を受け、県が28日に発表した県と市町の普通交付税の決定額では、市町ごとの増減率が法人税の落ち込みに伴う影響によって大きな差が出た。
 増加率が大きいのは富士宮市の109・3%、袋井市78・9%など。1954年の交付税制度開始以来、初めて交付団体となった熱海市をはじめ、4市1町が不交付団体から交付団体になった。合併した沼津と富士、御前崎の3市は、新市は不交付団体だが、合併前の旧市町村ごとの交付税額を合算して交付される特例措置を受ける。
 一方、減少したのは新居町と御前崎市、伊豆市の3市町で、「法人の割合が少なく、景気の影響が受けにくい地域と言える」(県自治財政室)という。
 交付税の本県への配分は1466億2660万円(前年度比28%増)、市町分は735億1954万円(同13・4%増)となった。
(静新平成21年7月29日(水)朝刊)

「静岡選挙区の攻防⑦」


「静岡選挙区の攻防⑦」7区
 因縁対決三つどもえに

 自民、民主による政権選択が争点となる中、7区は「刺客」と「造反」で保守が分裂し、激戦を極めた4年前の郵政選挙の対決構図が依然、色濃く残る。全国の注目を集める自民前職の片山さつき氏、無所属元職の城内実氏による因縁の対決。ここに割って入った民主新人の斉木武志氏も追い風を受け、「(選挙戦)終盤は三つどもえの様相になる」(地元県議)との分析もささやかれる。
 「このままでは浜松地域は(自動車産業が世界同時不況の影響を受けた)デトロイトになってしまう。雇用、景気対策をきっちりできる人を国会に送ってほしい」
 衆院が解散した翌日の22日、湖西市古見で行われた片山氏を支援する集会。片山氏は"小泉旋風"に乗って城内氏を748票の小差で破った前回選を振り返りながら、今回は緊急経済対策の成果を"武器"に政策で戦う姿勢を強調した。
 東名浜松西インター近くに設けた事務所の開所式で、約1000人の支援者を前に「土下座」をして自民逆風に"助け"を求めるなど悲壮感が漂う片山氏。8月15日には小泉純一郎元首相が選挙区入りする予定だ。
 「民営化による分社化でサービスは低下するばかり。城内さんは郵政民営化の問題点を熟知し、命がけで反対してくれた。苦労をかけてしまった分、応援は当然だ」。解散を受け、今も城内氏に熱烈なエールを送る全国特定郵便局長会長を務めた元芳川郵便局長は複雑な表情で胸の内を語った。
 全国の郵便局長やOBでつくる「郵政政策研究会」は今回、民主支援に転換。ただ、郵政選挙で反対の姿勢を貫いた候補は最優先する。同じ浜松市内の7区、8区でも民主候補への対応は異なる格好だ。
 後援会組織では群を抜く城内氏。ともに郵政民営化法案に反対した平沼赴夫元経産相が率いる「平沼グループ」の看板候補として政界再編の必要性を訴え、二大政党による政権選択選挙の流れに危機感を募らす。ボランティアによる草の根選挙に徹する姿勢を崩していない。
 23日夜、斉木陣営は浜名湖花博を契機に都市整備が急速に進み、農家や漁業者も多い浜松市西区で初めて「民主党演説会」を開いた。斉木氏は党公認が2月にずれ込み、地区別の後援会づくりが遅れていた。
 「片山さんは財務省、城内さんは外務省出身。いまこそ政党主導の政治に変える時」。斉木氏は官僚政治の打破と天下り改革を強く訴えた。党がマニフェスト(政権公約)に打ち出した農漁業の戸別所得補償制度の説明にも熱がこもった。
 斉木陣営は知事選で民主党などの推薦候補の西部事務所を併設。頼みの連合静岡の各労組と連携を強める好機となった。選対幹部は「片山さんが自民党なら、(保守層の支持が多い)城内さんは第2自民党。政権交代の流れを鮮明にする戦略で追い上げる」と意気込む。(衆院選取材班)
(静新平成21年7月29日「09選ぶ夏・激動しずおか」)

2009年7月28日火曜日

「静岡選挙区の攻防⑥」


「静岡選挙区の攻防⑥」6区
 知事選の票に思惑交錯

 伊豆・東部の振興に向け、待望久しい東駿河湾環状道路が27日、一部開通した。沼津岡宮インターチェンジで行われた開通式で民主前職渡辺周、自民前職倉田雅年の両氏が衆院解散後、初めて顔を合わせた。
 来賓あいさつで倉田氏は「できるなら、このまま、この道路完成に向け頑張っていきたい」と政権維持を訴えれば、渡辺氏も「一日も早い下田までの開通に向けて全力を傾けていく」と選挙後を見据えて応酬。火花が早くも散った。
 解散直後の21日午後、渡辺氏は熱海、伊東市内で続けざまにマイクを握った。伊東市は午後6時から。「ほんの1時間前に連絡を受けた」と中田次城県議が慌てるほど突然の街頭演説。渡辺氏は「熱海、伊東は前回、相手候補の後じんを拝した。1分でも惜しい」と声を張り上げた。
 「いくら自民の推薦候補が東部出身でも、票を取られすぎ。選挙態勢の立て直しが必要だ」。今月6日、渡辺陣営の後援会幹部は知事選の市町別得票一覧を手に、こう秘書にげきを飛ばした。
 6区13市町で民主など推薦の候補がトップをとったのは長泉町だけ。伊豆の強い保守地盤を見せつけられた上、沼津市では前回衆院選で奪った2万3千の票差が、元民主候補の票を合わせても1万票差にまで縮まった。
 民主に追い風が吹いているものの、「相手は確実に浸透している。(解散から投票まで)長い戦いの中、風もどう変わるか分からない」と陣営は緩みを警戒。渡辺氏は「お盆中は動きがとれない。8月第1週までが勝負」とあいさつ回り、つじ立ちに拍車を掛ける。
 「補正で伊豆縦貫道は今年、予算を40億円増やしました」「今後も毎年、だいたい150億円必要」ー。倉田氏は知事選さなかの賀茂地区での演説で、地域振興に向けた保守政権の実績と必要性を強調した。
 伊豆の保守地盤の強さは、インフラ整備と直結してきた。西伊豆のバス事業者は「道路の整備や災害対応などは、自民系議員が頑張ってくれた印象が強い」と指摘。伊豆市の市議は「政権交代したら、陳情を誰に持って行ったらいいのか」と不安を隠さない。
 26日午後、沼津市のマンション展示場跡を使った倉田氏の後援会事務所。第1回選対会議に集まった東部選出の自民県議、市議ら約50人の幹部に、倉田氏は「比例上位だった前回選とは違う。1対1の戦いに勝たせてもらいたい」と深々と頭を下げた。
 倉田氏は落下傘として戦った前回選でも伊豆は渡辺氏と拮抗(きっこう)した。「沼津で差を縮めれば」との皮算用に、多家一彦県議は「郵政選挙の前回選、地元候補を擁した知事選と同じように伊豆の票を考えるのは甘い」と引き締め、倉田氏も「今が自民にとって最悪の時」と、「まったくの逆風」を覚悟する。(衆院選取材班)
(静新平成21年7月28日「09選ぶ夏 激動しずおか」)

2009年7月27日月曜日

「静岡選挙区の攻防⑤」


「静岡選挙区の攻防⑤」5区
 対決3度目共に危機感

 民主党など推薦の候補が勝利した知事選から10日後の今月15日。富士市吉原の自民前職斉藤斗志二氏の事務所に、地元の保守系市議、県議がひそかに集った。「重大な決意をお聴きいただく」。斉藤氏の物々しい招集文に応じたのは約20人。会議中、プレハブの窓越しに険しい表情がのぞいた。
 民主前職細野豪志氏に過去2回、小選挙区で敗れている斉藤氏だが、富士市では無敗。「富士の斉藤」は揺るがず、比例復活の礎になってきた。しかし、知事選では党県連会長として支えた候補は「地元」「女性」の上積み要素に反して、同市で細野氏が推した候補に敗退。小差だが「本丸での敗戦」に大きな衝撃が走った。
 非公開の会議は約1時間半。一部楽観論や相手批判の繰り返しに苦言が続いたという。「選対(船体)は泥船の酷評もあるが、団結して突き進む。確認はできた」。閉会後取材に答えた富士選対本部長・植田徹県議の声は、周囲にも言い聞かせるように大きかった。
 「三つの改革を行います」。解散日21日の夕。斉藤氏はJR三島駅に続き新富士駅でもハンドマイクを握った。つじ立ちの"はしご"は7期の議員生活で初。演説から相手批判や予算取りのアピールは消え、「逆風」「必死」の言葉が並んだ。「陣営の危機意識はそろった。あとは総合力で突破口を探すだけ。それが難しい」(選対関係者)と模索は続く。
 ほぼ同時刻の三島駅前。「選択肢は明確。自民を良しとするか。民主中心の新しい政権をつくるか」。細野氏自身の音頭で「豪志、頑張れ」のコールも上がった。
 追い風が吹き込む陣営だが、報道マイクに向かった細野氏の言葉は「手ごわい」「生やさしくない」「愚直に」。楽観ムードを戒めるようだった。「冷静にみれば5区全体で知事選は負け。40日間、地道な訴えが欠かせない」。選対事務局長の桜町宏毅県議も決して表情を緩めない。
 確かな支持の獲得へ、「政権前夜」を意識して陣営がさらに気を配るのが「地元対応」だ。
 行楽期の渋滞対策に昨年、念願の国の調査費が付いた御殿場市内の国道138号。主に与党へ根強い陳情を続けた地元からは、政権交代で流れが途切れないか早くも不安が漏れる。
 「必要な建設事業は推進すると信じているが、党は『削る』イメージ先行。不安に応える丁寧な言葉もほしい」。支援市議からも注文が口をつく。
 「いろいろ政策はあるが、やらねばならない問題は党派に関係なく地元の皆さんとしっかり考えていきたい」。今月19日、富士市南部の祭りで斉藤氏に続いてマイクを取った細野氏は、あいさつにこう織り込んだ。発言の趣旨を問うと「与党になっても、地元に不安は与えないということ」。「政権」を見据えながら答えた。(衆院選取材班)
(静新平成21年7月27日「09選ぶ夏・激動しずおか」)

2009年7月26日日曜日

「静岡選挙区の攻防④」


「静岡選挙区の攻防④」4区
 鍵握る富士宮の戦い

 朝霧高原に向かって北上する国道139号バイパス沿いに自民前職の望月義夫氏の富士宮事務所が開かれたのは衆院解散翌日の22日。「今や富士宮には欠かせない政治家。われわれのために動き回ってくれる」。古くからの自民党支援者が、次々と望月氏が差し出す手を固く握りしめた。
 衆議院選挙区の区割り変更で分断された岳南地区。西よりの富士宮市と芝川町が清水地区と一緒になって3回目の選挙を迎える。かつて「斉藤斗志二のために動いてきた。違和感がある」と不快感を隠さなかった県議や市議、後援会幹部らが顔を紅潮させ、「必勝」を叫んだ。
 民主前職の田村謙治氏は6月30日深夜、約200人に交じって富士山の伏流水がわき出る富士宮浅間大社の湧玉池にふんどし姿で入り、富士山山開きの安全を祈願した。
 「選挙に初めて出馬した時から続けている。わたしの出発点、心のふるさと」。お山開きの神事に欠かさず参加している田村氏の陣営は、これまで支援組織が一枚岩とはいえなかった望月陣営を尻目に「しがらみのない、地域を大切にする候補」を演出してきた。
 富士宮地区の事務所開きは8月早々になる見通しで、支援拡大の狙い目はこれから始まる各地の夏祭り。「堅い集会や会合にはなかなか招待されないが、祭りだと飛び込みでも歓迎される」と選対幹部は説明する。
 清水、富士宮両地区は富士川を境に生活圏が異なり、住民の交流も少ない。清水地区は望月氏の市議、県議時代からの地盤に田村氏が食い込む構図だが、富士宮地区では"新顔"だった両氏が票を奪い合う戦いで、両氏の得票差は前々回、前回ともわずか500票前後。過去2回は大票田の清水区の票が勝敗を決したが、逆風の中で自民の結束が高まってきたことで、富士宮地区の戦いぶりが一層注目を集める。
 知事選、都議選と吹き荒れる民主の風を望月氏の陣営は真正面から受け止める。ある選対幹部は「週刊誌に田村有利と出ても『まさか』と信じない人も多かった。いまは違う」と危機感の高まりに期待した。富士宮駅周辺の鉄道高架事業など「口に出しにくかった公共事業への貢献も分かってくれる人が増えてきた」と過去の実績も前面に出して戦う方針に切り替えた。
 一方、前々回は比例の東海ブロックで同僚議員の辞職に伴う繰り上げ当選、前回はぎりぎりでの比例復活の田村氏の陣営は、「農家から『話を聞きたい』と連絡があった。民主党に対する期待は高まっている」と手応えを感じている。ただ、港湾地域を中心に清水の伝統の保守地盤は強固で、選対幹部は自らに言い聞かせるようにつぶやいた。「何としても、富士宮で大きく勝たねばならない」(衆院選取材班)
(静新平成21年7月26日「09選ぶ夏・激動しずおか」)

2009年7月25日土曜日

議員定数削減検討

 議員定数の削減検討へ
 沼津市議会運営委 協議会設置を決定
 
沼津市議会は21日、議会運営委員会を開き、議員定数の削減を協議する組織として、「市議会議員定数等検討協議会」を設置することを決めた。現在の定数は34人で、早ければ8月中にも、削減するか否かについての協議を始める。
 委員は各会派から1人ずつと無所属クラブから1人の計9人で構成する。山崎篤議長は「2011年には次の市議選があるため、できるだけ早い段階で市民に結論を示したい」として、12月定例会をめどに意見をまとめるよう求めた。この日の協議では、協議の場を設けることに各委員がおおむね同意した上で、「市民の代弁者である議員の数を考える場なので、公開を原則としてほしい」などの要望が挙がった。
 定数をめぐっては2月、市連合自治会が21に減らすよう市議会に要望書を提出した。同市議会は2002年6月に条例を改正し、定数を36人から34人としている。
(静新平成21年7月22日(水)朝刊)


 定数削減で検討 委員会 設置へ
 市自治連の要望受けた市議会
 公開する特別委でなく協議会の位置付け決まる
 市議会議会運営委員会(真野彰一委員長)が二十一日に開かれ、「議員定数」などについて協議した。「議員定数」については二月五日、市自治会連合会が杉山功一議長(当時)に「議員定数削減に関する要望書」を提出。この時、杉山議長は「六月議会で新議長が決定次第、速やかに検討委員会を立ち上げ議論する」としており、これを受けての協議。
 はじめに六月議会で就任した山崎篤議長が、他市町における議員定数削減の流れ、杉山前議長が六月議会終了後の検討を約束していたことを報告して協議を求めた。
 これに対して検討委員会設置に賛成が大勢を占める中、山崎勝子委員(共産党市議団)は、「定数の検討は市民全員の問題なので検討委員会は公開すべきもの」だとし、特別委員会としての設置を要望。
 山崎議長が「会の名称については『沼津市議会定数等検討協議会』にしたい」と提案したのに対して、山崎勝子委員は「議会だけではなく全市民の問題だから市民に公開する特別委員会にすべき」だと主張。大場豊重委員(未来の風)も賛意を示した。
 一方、城内務委員(公明党)は「公開、非公開は別問題。特別委とすると費用弁償(通勤手当)等、いろいろな問題が生じる。公開、非公開は、その組織で検討すればいい」と発言し、山崎勝子、大場両委員を除く委員は「協議会」を主張。
 真野委員長は「協議会、特別委員会とも公開することには問題ない。協議会でもいい」との考えを示した。
 さらに山崎勝子委員が、「(特別委員会だと)費用が掛かる、という問題よりも、市民にとって議員定数とはどういうものなのか考えなければならない」としたのに対して、浅原和美委員(志政会)は「山崎委員は削減ノーで意見を言っている。きれいごとを言うな」と発言。
 このほかにも委員の発言が続いた後、山崎議長は「少なくとも次の(市議会議員)選挙一年前までには結論を出し、市民に周知しなければならない」として、遅くとも今年十二月議会には結論を出したいとの考えを示した。
 大場委員が「市民に公開する委員会にすべき。公開を担保する特別委員会がいい」と、重ねて特別委としての設置を主張すると、真野委員長は「協議会でも山崎(勝子)さんが(協議会に加わり)委員として公開を要求すればいい」とした。
 しかし、山崎勝子委員は「協議会は(議会の)内部的なもの。市民に公開するのが委員会。議員定数問題は全市民の問題だから市民に開かれた場で協議することが重要」だとして、委員として加わり協議会の公開を要求しても多数決で反対される可能性があるだけに、公開が前提の特別委員会を改めて要求。
 また、公開することに担保を求めた大場委員に対して真野委員長は、「全部が全部、公開できるかどうか分からないが、きょうの協議内容は議事録として残る」と公開へも含みを持たせた。
 大場委員は、城内委員が特別委員会だと費用弁償等いろいろな問題が生じる、と協議会を主張した点に対しても反論。「(いろいろな問題を考慮しても、なお)公開は重要な問題。協議会にしたのでは全面公開の担保がない。どのような経緯で話し合われたのか市民は知る権利がある」と主張。
 山崎勝子委員が真野委員長に「『全員一致で協議会となった』とはしないでほしい」と求めたが、真野委員長は「議運(議会運営委員会)なので採決はしたくない」と応じた。
 山崎勝子委員が「議運では、なるべく全員一致で決めたいのは分かるが、全体をまとめるにあたり反対意見があったことも忘れないでほしい」としたのに対して、真野委員長は「議事録には反対意見があったことを示す」と答え、組織としては協議会とすることに決定。
 「沼津市議員定数等検討協議会」の名称決定後、組織については各会派(八会派)代表者一人に無会派からの一人を加えた九委員で構成することを決めた。
(沼朝平成21年7月25日(土)号)

静岡選挙区の攻防③


「静岡選挙区の攻防③」静岡3区
 無風急転緊迫の最前線

 袋井市役所近くで20日行われた事務所開き。閣僚や党要職を歴任した自民前職の柳沢伯夫氏は、「く」の字より深く腰を折って支持を訴えた。
 「わが党がどうなっても、私はお役に立てる。どうかお願い申し上げます」柳沢氏は時に顔を紅潮させ、声を張り上げた。地元党員は「別人のよう。隔世の感がする」と、昨秋に比べ格段に強まった逆風を実感した。「地元にはり付き、支援者回り。いま、一番必死に動いているのは、柳沢さん本人だろう」(自民県議)
 柳沢氏を8期国政に送り出してきた中東遠の強固な自民組織。だが、磐田市長選など4月のミニ統一地方選、今月の知事選と県議補選(掛川市)で、自民系候補は苦杯を喫した。党支部員は「合併で地方議員が減り、組織が弱体化した。党員の高齢化による運動量低下も否定できない」と分析する。
 小泉改革を推進し、前回は民主の落下傘候補を大差で退けた。今回は「後ろを走っていた相手の息遣いまで聞こえてきた」(陣営)ため、初めて公明党に推薦を依頼。周囲では「背水の陣」「がけっぷち」という声が現実味を帯びて飛び交う。
 一昨年9月、地元出身とはいえ「無名」からのスタートだった民主新人小山展弘氏は勢いづく。磐田市長選では、自民地区支部推薦の候補者を退け当選した渡部修氏を自主的に支援。バンザイの渦の中、祝辞を述べた小山氏は「当選者本人より高揚していた」と渡部氏周辺は振り返る。
 小山氏は全国各地の選挙で「民主勝利」が報じられるたび、党広報車を走らせている。「地元の民主候補、小山です」。1年近い解散先送りは、連合系労組などへの浸透に時間を与えた。市街地の保守層にも知名度は高まってきた。
 麻生太郎首相の"解散宣言"3日後の16日夜には、タイミング良く磐田市民文化会館で決起集会を開いた。8月2日の投開票を見越し、大票田に会場を押さえていた。「たった2年でここまで来るとは。勢いだけでなく、運も持ち合わせているようだ」と参加した支援者。
 小山氏は「民主は到底勝てないと言われてきた選挙区で勝たなければ政権交代はない。それが静岡3区。ここが総選挙の最前線」と力を込めた。長く無風が続いた3区。自民元大臣に民主新人が迫る政権選択の象徴的選挙区になった。
 選挙区の西の外れにあたる磐田市竜洋地区で23日、再編された中東遠地区商工会連絡協の初総会が開かれた。選挙区回りの密度を高めている柳沢氏は「人脈を生かし」、開会前にあいさつの時間を確保した。小山氏の選対本部長を務める三ツ谷金秋県議が磐田市商工会副会長として関係者席に座り、柳沢氏の"熱弁"に耳を傾けていた。じりじりとした神経戦が始まっていた。
(衆院選取材班)
(静新平成21年7月25日「09選ぶ夏 激動しずおか」)

2009年7月24日金曜日

衆議院が解散されました

日本の命運を決する選挙です-衆議院が解散されました-

                     衆議院議員 斉藤 斗志二

 7月21日に衆議院が解散され、8月18日公示、30日投開票の選挙日程が決まりました。今度の衆議院選挙は、政権の選択を行う選挙です。日本の命運が決せられることになります。
 本会議の前に行われた自民党両院議員懇談会で、麻生総理は冒頭、「反省とお詫びを申し上げなければならない。私の発言や「ぶれた」と言われる言葉が国民に政治への不安、不信を与え、結果として自民党の支持低下につながった。深く反省している」と陳謝しました。
 そして最後に、「とてつもない自民党の底力を発揮して、この国難に先頭に立って立ち向かい戦う」と決意を述べ、出席議員の賛同を得ました。
 私は、両院議員総会の開催を求めていましたが、麻生総理の決意を聞くことが目的でした。麻生総理の涙ながらの決意を聞いて、これで自民党はまとまったと思いました。
 確かに、自民党内の混乱が、国民の信頼を失うことになったと思います。
しかしながら、自由・闊達な議論を行うことが自民党の伝統であり、良さであります。
そして、一旦結論が出れば、一致団結して戦ってきたのです。今回も、一致団結して戦います。
 違法献金問題による小沢代表辞任と鳩山幹事長の代表選出の際に、誰も何も異論を唱えられなかった民主党とは、大きな違いです。どちらが健全な政党であるかは、自ずと明らかです。
 その上、政権交代だけを唱え、具体的な政権構想も示さずに、政権交代をすれば全ての問題が解決されるとうそぶく民主党の戦略は、国民の幻想を煽るずるいやり方です。
 今度の選挙は、国家安全保障と教育という、国の根幹の問題についての基本方針を選択する選挙でもあります。自民党は、日本の領土と国民を守り、日本を愛する心を育てる教育を行います。民主党は、それらを危うくする政策を打ち出しているのです。
 私は、「日本の新路」を実現し、日本を安全に安心して暮らせる、明るい未来を持つ国にすることに全力を尽くします。日本の未来を民主党に託すわけにはいきません。
 

「静岡選挙区の攻防②」静岡2区


「静岡選挙区の攻防②」静岡2区
 揺れる伝統の保守地盤

 「原田先生にも、今回は負けがあることを前提に戦わなければならない、と申し上げてある」
 焼津旧港に面した自民前職原田令嗣氏の後援会事務所。今月16日、自民党2区支部の選対会議で、幹事長を務める大石哲司県議はこう切り出した。党を取り巻く情勢の厳しさを挙げ、「逆風を克服し、最後に1票でも相手を上回ることを目指す戦いになる」。出席した党支部、後援会分会の役員約80人の表情は一様に硬かった。
 静岡2区の志太榛原地域は県内でも有数の保守地盤。中選挙区時代、古くは第3次佐藤改造内閣で文部相を務めた高見三郎氏を輩出し、第1次海部内閣に大石千八、原田昇左右の両氏が郵政相、建設相として入閣した。小選挙区制に移行後も自民が4連勝。その保守の牙城が揺れている。
 「自民党一丸でも勝てない状況が続いている。今まで通りの動きではだめ」。大石県議に続いてマイクを握った牧野京夫参院議員は知事選、都議選の結果に触れ、市議選、町議選並みのドブ板選挙の必要性を説いた。
 衆院解散前の両院議員懇談会で熱弁を振るった原田氏は「政策実行力で判断いただけるよう丹念に訴える。ムードだけの選挙にはさせない」と、議席死守を誓う。地区別に作成した「ふるさとマニフェスト」を手に、小まめに支持を求め歩いている。
 同じ16日、藤枝市内で民主元職の津川祥吾氏も選対会議を持った。幹事長の岡村好男同市議は「ずうずうしく、攻めの姿勢でやってほしい」と出席者に要請。上げ潮の勢いで小選挙区を奪取する決意をにじませた。
 津川氏は公募で2区に降り立ち10年が過ぎた。原田氏との自民・民主対決は今回が3度目。2003年は原田氏の約12万9千票に対し、津川氏は約10万7千票。自民に風が吹いた05年郵政選挙では差が3万6千票余まで広がった。初陣の00年を含め、小選挙区は3連敗。比例復活と繰り上げで2回の当選歴があるが、党内規でも今回小選挙区を落とせば後はなく、まさに背水の陣だ。
 過去3回の選挙は無党派層、浮動票の獲得を優先し、自民支持が明らかな個人や企業・団体へは接触を図らなかった。「ずうずうしく」の今回はこれを改めた。
 呼応するかのように、建設業者の一部や若手経営者らに支持を公言する動きが生まれた。「一次産業関係でも個々には話を聴いてもらえるようになった。完全逆風だった前回とは違う」と陣営は手応えを語る。同時に「慢心したら自民と同じ」と、順風下で組織の引き締めに躍起だ。
 拠点の藤枝には来春の市議選と絡めた動きもある。市議会民主系会派は総選挙後の津川氏の足元を支えることも視野に、空白地区への候補者擁立を進めている。
(衆院選取材班)
(静新平成21年7月24日「09選ぶ夏 激動しずおか」)

2009年7月23日木曜日

「09選ぶ夏・激動しずおか」:選挙区の攻防・静岡一区


「選挙区の攻防①」静岡一区
 県都決戦"風"探り合い
 自民前職の上川陽子氏と民主元職の牧野聖修氏が当落と比例復活を繰り返してきた激戦区。共産新人の池野元章氏を加えた3人が前回選に続いて顔をそろえる県都の戦いは、全国の県庁所在地で、無党派層の風を受けて組織力に勝る与党候補が劣勢を強いられる「1区現象」の行方が再び焦点となっている。
 「"風"に対抗できるのは"人垣"だけ。草の根の選挙で、地道に戦うしかない」。上川氏の後援会事務所で支援者は、この言葉を繰り返す。
 上川氏は2期目に挑んだ2003年、1区現象の波にのまれて牧野氏に敗れ、比例復活だった。05年の郵政選挙は小泉旋風の追い風で10万票近くを獲得。「都市の風の怖さが身にしみた」と陣営幹部は話す。
 前回選で競った元自民県議が昨年9月、立候補を見送り、保守層は一本化。10月の事務所開きで支持母体のJA静岡市の幹部が選対本部長に就任し、「過去、脇役として参加してきた。今回は総力で取り組む」と万全の支援を約束した。
 激震が走ったのは知事選の結果。自民推薦候補の得票は1区で3位ー。自ら汗をかき、手応えを感じていた上川氏は「都市で自民に吹く風は暴風雨…」と言葉を詰まらせた。解散となった21日夜には市内の繁華街に立った。「大変厳しい逆風の中の戦い。支持率は低く、課題は大きい」解散が迫った20日。牧野氏は静岡市駿河区での茶生産者グループの会合で、茶業農家と向き合っていた。
 「農家に直接届く補助金の制度を必ず実現させる」。党が重点政策に掲げる農家の所得補償制度を説明し、政権交代の必要性を熱弁した。
 4年前の落選。支援者訪問やミニ集会、1400回を超える街頭演説を重ね、解散を待ち望んだ。「自民党ではもう駄目ーという声が日に日に多くなっている」断絶していた連合静岡との関係も修復して推薦を得た。ただ、前回選で連合は牧野氏の対立候補を推薦。冷え込んだ関係の修復は途上ともいえ、ある民主系県議は「陣営に危機感が足りない。都市部の風は、新顔に吹くもの」と表情を曇らせる。
 「民主の鳩山(由紀夫党代表)派。政権交代の一翼を果たす」と存在感をアピールする牧野氏が、再度「1区現象」の受け皿に成り得るのかは不透明だ。
 池野氏は衆院解散を受け、早々に同市の繁華街に飛び出した。「行き詰まった自公政治を退場させる。新しい政治は何を実行できるのかが問われる」。政権と政策の両方の"交代"を掲げ、党の存在感を示すのに躍起だ。二大政党間に埋没しかねない現実に「力の集中」(山村糸子党県委員会委員長代理)を図る。

 衆院が21日に解散され、8月18日公示、30日投票に向け事実上の選挙戦が始まった。県内小選挙区すべてで激突する自民と民主の対立を軸に、有力候補者の攻防を追った。(衆院選取材班)
(静新平成21年7月23日「09選ぶ夏・激動しずおか」)

2009年7月21日火曜日

衆院は21日午後、解散された。


衆院は21日午後、解散された。

 これを受け、政府は臨時閣議を開き、第45回総選挙を「8月18日公示―30日投開票」の日程とすることを正式決定する。

 解散から投開票日までの期間は40日間で、現憲法下で最長となる。解散に先立ち、麻生首相(自民党総裁)は21日午前、自民党両院議員懇談会に出席し、党の結束を訴えた。自民、公明両党の連立政権を維持するのか、それとも民主党を中心とする新政権が誕生するのかを最大の焦点に、与野党が攻防を繰り広げる。
 政府は21日午前8時の定例閣議で、憲法7条(天皇の国事行為)に基づく衆院解散を閣議決定した。皇居で天皇陛下から解散詔書への署名を得た後、午後1時からの衆院本会議で、河野衆院議長が詔書を朗読して、衆院は解散された。


 首相は21日午前10時半過ぎ、首相官邸で、連立を組む公明党の太田代表と与党党首会談を行い、選挙戦への協力を要請した。太田氏は、「具体的な政策を出して、(野党との)論争を国民に見てもらうことが大事だ」と応じた。
 解散決定の閣議は、26分間の短時間で終了し、全閣僚が解散の閣議書に署名した。閣議の中で、首相は、「未来に向かい安心で活力ある社会を責任を持って実現しなければならない。国民のさらなる理解と協力が必要だ。解散を断行して、国民の信を問うことを決断した」と表明した。
 閣議書への署名を拒否することに一時、含みを持たせていた与謝野財務相は21日の閣議後の記者会見で、「皆が気持ちよく選挙が出来るように、スタート時点で混乱がないようにした」と説明した。

 首相は21日午後6時から、首相官邸で記者会見し、選挙戦への決意を表明する。政権発足後の経済対策の実績や、日米同盟を基軸とする外交の成果などを強調する。同時に、民主党は政策の裏付けとなる財源が明確でなく、外交・安全保障もあいまいだ、などと指摘する方針だ。

 衆院の定数は480(小選挙区300、比例代表180)。
 総選挙は、小泉政権下で自民党が圧勝した2005年9月以来、4年ぶりの実施となる。8月の衆院選は戦後初めてだ。
(2009年7月21日13時32分 読売新聞)

衆院解散を閣議決定

衆院解散を閣議決定…全閣僚が署名

 政府は21日午前の閣議で、衆院解散を決定した。


 与謝野財務・金融相らが一時、解散の閣議書への署名を拒否することに含みを持たせていたが、全閣僚が署名した。

 麻生首相は同日午後1時からの衆院本会議で衆院を解散する。政府は解散後の臨時閣議で、「8月18日公示―30日投開票」の衆院選日程を決定する方針だ。

(2009年7月21日08時39分 読売新聞)

自民:両院議員懇公開で開催 退陣要求は出ず
2009年7月21日 11時12分 更新:7月21日 13時6分
 自民党は21日午前、衆院解散を前に、党本部で両院議員懇談会を開いた。麻生太郎首相は冒頭、地方選挙の敗北などによる党内の混乱を謝罪したうえで、「景気回復が確かなものになるまで、総理・総裁の職務を投げ出すわけにはいかない」と述べ、自らが先頭に立って次期衆院選に臨む決意を表明した。出席議員からは首相の退陣要求など表立った批判はなく、予定の1時間を待たずに終了した。

 議員懇は21日午前11時半過ぎに開始。自民党は当初、会合を非公開とする方針だったが、首相が閣議後の閣僚懇談会で「自分もいろいろ熟慮に熟慮を重ねてきた。正面から話をし、みなさんの意見をしっかり聞きたい。公開で結構だ」と公開を決め、細田博之幹事長に指示した。

 議員懇で首相は「私の発言や『ぶれた』と言われる言葉が国民に政治への不安や不信を与え、自民党の支持率低下につながったと深く反省している」と陳謝。東京都議選など地方選の連敗についても「残念ながら所期の目的を果たせず、多大のご迷惑をかけた」と反省の弁を述べた。細田氏は「麻生首相を先頭にこれからも頑張っていかなければならない」と呼びかけた。

 これに対し、「なぜ堂々と両院議員総会を開かないのか」(原田令嗣衆院議員)との指摘は出たものの、首相への直接の退陣要求はなく、石原伸晃幹事長代理が約30分で質疑を打ち切った。首相批判を強めていた中川秀直、加藤紘一、武部勤の3元幹事長は発言しなかった。

 首相は最後に「私の願いは一つ、立候補予定者に(衆院選後に)全員帰ってきてもらうことだ。そのためにわれわれは一致結束して戦う以外にない」と締めくくった。会合後、菅義偉選対副委員長は党本部で記者団に「敵は民主党で、自民が団結して戦う意思統一ができた。ようやく戦う態勢ができた」と評価した。

 一方、中川氏は記者団に「首相のあいさつは、今までになく比較的よかった。潔く支持する」と表明。加藤氏も「かなりの犠牲が出るかもしれない戦いに行くわけだから、(首相のあいさつで)不安が解消できたかどうか分からない」と述べるにとどめた。衆院選前の党内の「麻生降ろし」はこれで完全に収束した。

 首相と細田氏、保利耕輔政調会長ら党幹部は20日夜、党本部で会談し、「議員懇での発言をみたうえで、公認問題に毅然(きぜん)とした態度を取るべきだ」との見解で一致した。公認権をたてに「反麻生」の動きを事前にけん制する構えをみせたことも、議員懇が波乱なく終わる一因になった。【近藤大介】

 ◇両院議員懇談会の発言要旨
 21日午前、自民党が開いた両院議員懇談会の発言要旨は次の通り。

 <麻生太郎首相>

 本日衆院を解散し、総選挙に臨むにあたって決意と覚悟を申し述べる。まずおわびを申し上げる。私の発言や、ぶれたと言われる言葉が国民の方々に政治への不安、不信を与え、結果として自民党の支持率の低下につながった。深く反省をしている。都議選をはじめ主要選挙において支援者の方々にお力添えをいただきながら所期の目的を果たせなかった。多大のご迷惑を掛けた。

 私は政局より政策、解散よりは景気対策、そう確信してこの半年ほどの間に4度の予算編成を行った。まだ道半ばであります。まだまだ解決しなければならない問題が残っている。経済対策一本でこれまでやってきた私としては景気回復がたしかなものになるまでは総裁の職を投げ出すわけにはいかない。

 雇用、医療、年金、子育て。(国民は)多くの不安に囲まれている。子供に夢を若者に希望を、高齢者には安心を。雇用に不安のない社会、老後に安心できる社会を実現する。行き過ぎた市場原理主義からは決別する。

 <原田令嗣衆院議員>

 ただいまの麻生首相の発言はまことに心強い。しかし、ではなぜ堂々と両院議員総会を開かないのか。納得できない。開かれた自民党。自由な議論をすべきであります。断固として民主党に勝たないといけない。そのためには開かれた自民党として、開かれた議論をやっていかないといけない。

 <西川京子衆院議員>

 十分に開かれている。今回この議員懇談会は麻生総理の決断で公開にしてくれと、これは麻生総理の覚悟、決断だ。公開の場できっちりこれだけの議論が行われている。

 先ほど、麻生首相が大事な自民党と民主党の違いを言った。安全保障の問題が一番大事だ。あの全英オープンに最年少で出場した石川遼君に「今一番印象に残っていることは何ですか」と聞いたら、「北朝鮮のミサイル発射です」と言った。17歳の少年でさえ、国家意識を持っている。安全保障の問題で日本の国を守るということを党内一致してやっている政党はどちらか。一致団結して戦わないでどうするのか。ナンセンスだ。

 <高市早苗衆院議員>

 政治を国家経営と考えると麻生首相は日本国株式会社の経営には成功している。しかし、自民党株式会社となると、しばらく経営に手を抜かれていた感があるのではないか。次の選挙、すべての自民党候補者が自民党候補であることを堂々と打ちだして、未来へのビジョンを打ちだしていく姿勢でみんなで戦いたい。

 今はライバル社が粗悪品を弁舌たくみに消費者に売りつけてまわっている。私たちは今売っている商品はかなり品質はいいが、ちょっと時代遅れ、これから夏の商戦に向けてそれなりにみなさんに喜んでもらえる商品を持って回りたい。自民党経営者として、有権者に示せるマニフェストをできるだけ早く、良いものを打ち出してほしい。

 <古賀誠選対委員長>

 主要選挙について、選対委員長としても足らざるところをお許しいただきたい。戦後史の中で自民党だから平和を確立できた。民主党が平和を約束するということを言えるか。

 <麻生首相の総括>

 自民党の結束が乱れたままである状態は残念だが、断固避けなければならぬと選挙のために強く思っていた。異論は当然あるだろうが、開かれた形でここに一致結束ができあがった。私の願いは一つ。ここにいる衆院選候補予定者は全員帰ってもらうことだ。我々は一致結束して戦う以外にない。

2009年7月19日日曜日

蓮池章平県議(公明、沼津市)

 ◇蓮池章平県議(公明、沼津市)
 川勝平太知事から党県議団が就任あいさつを受けた。「思ったより背が高かった。学者という印象。講義を聴いている感じだった」。約1時間にわたった会談は
 「民間の発想で見ている部分があり、一部共感できる」としながらも、「現実的に政策が実現できるかは疑問点が多い」と指摘する。6月定例会では代表質問に立つ。「これまでは知事与党として政策実現に向けたスタンスを聞いた。今回は知事としての考え方をきちっとただす」と準備に余念がない。
(静新平成21年7月18日「政経プラザ」)

衆院選公認候補:公明の推薦要請

自民県連会長
 衆院選公認候補:公明の推薦要請
 自民党県連の斉藤斗志二会長と小楠和男幹事長は17日、公明党県本部に阿部時久代表代行と蓮池章平幹事長を訪ね、次期衆院選で県内8小選挙区の自民公認候補者全員の公明推薦を要請した。
 斉藤会長は「県連会長の責務として訪れた。(自民と公明は)衆院選で共闘する立場であり、協力を求めた」と述べた。これに対し、阿部代表代行は「自民が一枚岩で選挙に取り組み、その上で勝てる選挙をやらなければならない」と答えた。
(静新平成21年7月18日朝刊)

2009年7月17日金曜日

21日に懇談会、午後に衆院解散へ

21日に懇談会、午後に衆院解散へ
総選挙

 自民党内で対立が続いていた地方選連敗を総括する場について21日午前に両院議員懇談会を開催することで決着したためだ。これにより「8月18日公示―同30日投開票」の日程で衆院選が行われることが確実になった。

 首相は21日午前、閣議で解散詔書を決定し、同日午後の衆院本会議で河野衆院議長が解散詔書を朗読し、衆院は解散される。

 自民党の細田幹事長は17日昼に党本部で記者会見し、21日午前11時半から党本部で、麻生首相も参加して両院議員懇談会を開く方針を表明した。細田氏は「首相が先頭に立って衆院選に臨む決意を表明し、党の結束を確認する」と説明したが、懇談会は非公開で行うとしている。

 記者会見に同席した若林正俊・両院議員総会長は、中川秀直・元幹事長らが提出した両院議員総会開催を求める署名について、「精査した結果、総会開催に必要な数にかなり届いていない」と述べ、両院議員総会の開催に必要な党所属国会議員の3分の1(128人)に達しなかったとの見解を示した。

 中川氏や加藤紘一・元幹事長らは17日午前、小坂憲次・衆院議院運営委員長(自民)と国会内で会い、東京都議選などを総括する総会が開かれるまでは、衆院本会議を開かないように要請した。小坂氏は「中立的に判断する」と答えるにとどめた。同日昼、与野党は衆院議員運営委員会理事会で、本会議を21日に開催することで合意した。

 中川氏らは、党本部で細田氏にも同様の申し入れを行った。細田氏は21日に懇談会を1時間程度開く考えを伝えたが、加藤氏らは「短すぎる」と反発した。

(2009年7月17日13時53分 読売新聞)

2009年7月16日木曜日

両院総会求め署名した自民党議員の全氏名

両院総会求め署名した自民党議員の全氏名
総選挙
 自民党両院議員総会の開催を求める呼びかけ人、賛同者は次の通り(敬称略)。

 【呼びかけ人】加藤紘一、伊藤公介、中川秀直、船田元、衛藤征士郎、川崎二郎、武部勤、村上誠一郎、杉浦正健、中谷元、稲葉大和、塩崎恭久、田中和徳、谷畑孝、奥野信亮、谷川弥一、西村明宏

 【賛同者】鳩山邦夫、保岡興治、与謝野馨、尾身幸次、小杉隆、額賀福志郎、逢沢一郎、石破茂、斉藤斗志二、仲村正治、二田孝治、谷津義男、遠藤武彦、小坂憲次、佐田玄一郎、渡海紀三朗、萩山教厳、伊藤達也、小野晋也、鴨下一郎、小池百合子、三原朝彦、茂木敏充、遠藤利明、大村秀章、木村隆秀、河野太郎、桜田義孝、下村博文、新藤義孝、高市早苗、棚橋泰文、田村憲久、西川公也、林田彪、森山真弓、山本拓、渡辺博道、江崎洋一郎、小野寺五典、河井克行、木村勉、倉田雅年、後藤茂之、後藤田正純、近藤基彦、谷本龍哉、平井卓也、福井照、吉川貴盛、秋葉賢也、大前繁雄、加藤勝信、菅原一秀、戸井田徹、中山泰秀、並木正芳、葉梨康弘、早川忠孝、原田令嗣、松浪健太、三ツ矢憲生、山際大志郎、赤沢亮正、飯島夕雁、石原宏高、上野賢一郎、近江屋信宏、大塚高司、小里泰弘、越智隆雄、小野次郎、片山さつき、亀岡偉民、木原誠二、木原稔、木挽司、佐藤ゆかり、篠田陽介、清水鴻一郎、清水清一朗、平将明、高鳥修一、田中良生、土井真樹、渡嘉敷奈緒美、徳田毅、富岡勉、中川泰宏、萩原誠司、原田憲治、平口洋、広津素子、福岡資麿、福田峰之、藤井勇治、藤田幹雄、牧原秀樹、松本文明、馬渡龍治、盛山正仁、安井潤一郎、山内康一(以上、衆院議員)

 岩永浩美、世耕弘成、川口順子、田村耕太郎、山内俊夫、礒崎陽輔、岸信夫、島尻安伊子、野村哲郎、古川俊治、丸山和也、山田俊男、義家弘介(以上、参院議員)

(2009年7月16日10時29分 読売新聞)

2009年7月14日火曜日

09選ぶ夏・激動しずおか

09選ぶ夏・激動しずおか
「県内議員“天王山”に決意」
 逆風自民「個人選」連勝民主「突っ走る」複雑公明「友党の結束」訴え
 いざ決戦の夏ヘー。政権発足の昨秋以来、焦点であり続けた衆院解散、総選挙の日程がほぼ固まった13日、県内衆院議員にはさまざまな思いが交錯した。知事選や東京都議選で敗れた自民党は猛烈な逆風の中での選挙戦突入が避けられず、民主党は政権交代を目指し意気上がる。向かい風をどうはねのけるか、追い風にどう乗るかー。それぞれの決意を胸に、"真夏の天王山"に臨む。
 「陣営を立て直す時間ができた」。自民党県連会長として知事選ショックの直撃を受けた斉藤斗志二氏(比例東海)は、8月30日投開票との見通しに胸をなで下ろした。当初検討された14日解散18月上旬投開票ではダメージが払しょくできないとの思いがあった。先送りが局面の打開につながるかは不透明だが、「もう割り切ってやるしかない」と腹をくくる。
 同党の望月義夫氏(静岡4区)は「政治家個々の力が試される」と"個人戦"の意識で立ち向かう決意。「有権者の期待にどこまで応えてきたか(が問われる)」と実績を訴え、逆風に挑む構えだ。
 公明党の大口善徳氏(比例東海)は、自民党内にくすぶる「麻生降ろし」の動きを危惧(きぐ)する。ここまで友党の混迷に振り回されてきただけに、「目標が明確になったのだから結束してほしい」との言葉に実感がこもる。
 一方の民主党。「即時解散」を求めながらも、ようやくめどが立った日程を、率直に歓迎する。「支援者回りやミニ集会のスケジュールを急いで詰めたい」。
田村謙治氏(比例東海)は一報を受けて早速、地元事務所で後援会幹部との打ち合わせに入った。地方選挙で連勝を続ける追い風を受け、「このまま突っ走るだけ」と息巻く。
 民主党は13日、追い打ちをかけるように衆院に内閣不信任案を提出した。細野豪志氏(静岡5区)は「機能不全に陥っている麻生首相は即時解散すべきだ」と強調。今後は地元での活動に集中する考えで、「党の政策、政権交代の必要性をきっちりと伝えていく」と闘志を燃やした。
(静新平成21年7月14日(火)朝刊)

2009年7月13日月曜日

総選挙8月30日投開票

首相「解散を決断」8月30日投開票へ
2009.7.13 12:32(msn産経ニュース)

このニュースのトピックス:国会
 麻生太郎首相は13日、早期の衆院解散・総選挙の断行に向けて公明党の太田昭宏代表らと会談し、「今月21日の週に解散、8月30日投開票」とすることで合意した。首相は当初、14日にも解散を断行する意向だったが、公明党が東京都議選直後の解散に慎重だったことや、自民党内にも北朝鮮貨物検査特別措置法案など残された法案を十分審議すべきだとの声や民主党の鳩山由紀夫代表の政治資金に絡む虚偽記載問題を追及すべきだとの声があったことに配慮したもようだ。
 首相は13日午前、自民党の細田博之幹事長と大島理森国対委員長を呼び、今後の対応を協議、続いて臨時の党役員会を開いた。その後も太田氏との会談や政府与党連絡会議を行った。
 一連の場で首相は、東京都議選での自民党の敗北に「残念な結果になった。都議選はあくまで地方選挙で国政に直接関連するものではないと言ってきたが、党内のゴタゴタが悪い影響を与えたことは否定できない。党総裁として大変申し訳なく思う」と謝罪した。
 その上で、「重要法案の成立に全力を挙げた上で、21日の週の早々に解散して信を問いたい。投票日は8月30日にしたい」と述べた。
 河村氏は13日午前の記者会見で、東京都議選での自民党敗北に「地方選挙ではあるが厳粛に受け止めなければならない。都民から自民党と麻生政権に叱責が発せられたと受け止めるべきだ。衆院選に向け自民党は猛省し、改めるべきは改めなければならない」と述べた。ただ、首相の責任は「直ちに問われることではない」と強調した。
 衆院東京1区選出の与謝野馨財務相は、都内で記者団に「国の政治と地方の政治が違うとはたぶん言えない。地方の選挙でも国民は政治全体への意思表示をしたと考えなければいけない時代になっている」と、首相が「国政と地方は別」と強調してきたことに疑問を呈した。さらに「首相には地方選挙でこれだけ党に対する批判があるから、澄み切った気持ちで日本の将来を考えいただきたい」と、解散を急ぐべきではないとの考えを示した。
 一方民主党は、13日午後の参院本会議での臓器移植法改正案の可決、成立を受けて衆院に内閣不信任決議案、参院に首相問責決議案の提出を検討している。参院本会議後に午後に幹部会を開き対応を決める。

2009年7月9日木曜日

「県知事選の衝撃」

「県知事選の衝撃」
前山亮吉 県立大学国際関係学部准教授 ◇まえやま・りょうきち氏 学習院大大学院修了。博士(政治学)。立教大助手、県立大講師・助教授を経て現職。著書に本欄「時評」をまとめた「静岡の政治日本の政治」(静新新書)など。
 票の構造変化が到来
 激戦の結末は、本県初の非政治家・非官僚川勝平太知事の誕生であった。しかも自民党支持候補は初めて知事選挙で敗れた。こうした衝撃の余韻はなお大きいが、それ以上に特筆すべき事は、本県における知事選挙の常識が次の2点につき、崩れたという事実である。
 第1に自民党が支持する知事候補は自民党内部での分裂選挙ではない限り、余裕の勝利をおさめるのが普通であった。しかも今回は民主党系候補が割れ、これまでの国政選挙等の実績から見ると、自民党支持候補の票は頭一つ抜けていて当然であった。しかし坂本候補はこの有利な条件を生かせなかった。総力を挙げた選挙運動にもかかわらず、敗北したことは中央政界における自民党一党優位の危機がついに保守王国・静岡まで波及した歴史的な事態と言わざるを得ない。組織固めを軸とする守りの選挙では逃げきれない時代に入った。
 逆に民主党にとっては、一本化失敗という不利な条件にもかかわらず勝利したことは、間近に迫る総選挙を戦う上で勢いを増すデータであろう。こうした底流は2年前の参議院選挙静岡県選挙区で民主党が過去最高の82万票(自民党は54万票)を獲得した事に始まるが、知事選の結果はそうした流れを更に定着させるものである。
 第2に首都圏に見られるような非自民系首長の誕生は保守王国・静岡県には、波及しないという常識が崩れた。この常識は、たとえ都市部で非自民票増加という流動化が見られたとしても、郡部(町)の自民票は不動であり、合計すれば自民党が上回るという「勝利の方程式」に支えられていた。しかし市町村合併は自民党の牙城である郡部を削減し、今回の郡部有権者はそもそも全有権者の7%である21万人に縮小していた。今回の知事選は減少した郡部票が自民党を支えきれるかを見る上で重要な選挙であったが、1万票しか差がつかない(坂本6万票・川勝5万票)結果であり、「勝利の方程式」は消えた。
 川勝知事を実現したのは、政令市静岡・浜松の投票行動であった(川勝29万票・坂本24万票)。すでに4年前の知事選から、石川前知事の票は静岡市葵・駿河区で対立候補を下回ったが、今回の坂本候補の票は両区で3位に沈んだ。しかも川勝知事の拠点とも言える浜松市では投票率61・9%
が県平均を上回る成績であったため、激戦の中で決定的な票差がついた。首都圏のように大都市部が選挙戦の死命を決する票の構造変化が、静岡県にもやってきた。
 もとより以上の変化が目前に控えた総選挙にも、影響を与えることは間違いない。非自公票の合計が112万票と自公票の1・5倍に拡大した事態にあらためて驚かされる。
(静新平成21年7月9日「時評」)

2009年7月8日水曜日

検証知事選:上中下

「検証知事選:上」
自民、衝撃の敗戦 "変革の風"読み切れず
 衆院選の前哨戦として全国的な注目を集めた知事選は、民主党などが推薦する川勝平太氏(60)が初当選を果たし、政権交代の波が静岡に押し寄せた。知事選を検証した。
 ◇
 「知事選敗北の責任をとって三役の職を辞することに決めた」。知事選の投開票から一夜明けた6日、自民党県連の小楠和男幹事長は静岡市内で開いた役員会で辞意を切り出した。
 「選挙はやる以上は勝たなければならない。負けたら誰かが責任を負わなければいけない」。自民、公明の与党が推薦した坂本由紀子氏(60)の落選決定直後から、三役間で連絡を取り合った末の決断だったが、目前に迫る次期衆院選と、坂本氏の知事選出馬に伴う10月下旬の参院補選への対応を理由に思いとどまった。
 一方、敗戦を受けて坂本氏陣営の選対幹部を務めた複数の県選出自民党議員も同日、国会内で与党幹部の元を訪れた。
 「力不足で申し訳ありませんでした」とわびた県選出議員に、自民党幹部は「よくやってくれた。地元のせいではない」とねぎらった。
 幹部との会談を終えた県内議員の一人は「政局の混乱を(敗因に)認めてくれたが…」と肩を落としたが、別の党関係者は敗因として「石川(嘉延)前知事の"後継指名"もマイナスに働いたのでは…」と声を潜めた。
 党の役員人事や閣僚の補充人事をめぐって内閣支持率が低迷し、民主党が提唱する「政権交代」という「変革」を求める風は、県政という「足元」にもあったという"解説"だ。
 坂本氏は、4期16年に及ぶ石川前知事の下で務めた3年間の副知事という経験と実績をアピール。石川前知事も6月18日の告示以降、自らマイクを握って坂本氏を「信頼のおける人」と、事実上、後継候補に指名した。
 静岡新聞社・静岡放送が5日に県内投票所で行った出口調査によると、現県政に対する満足度について「やや不満がある」と答えた人が31・4%と最も多く、「かなり不満がある」(19・4%)を加えると、ちょうど半数に達した。川勝氏はこうした層のうち、約半数の票を取り込んでいた。
 次期衆院選後の政権の枠組みについても「民主中心」を求める声は40・8%だったのに対し、「自民中心」はわずかに24%。民主党が政権交代をかけた衆院選の前哨戦に位置づけたのに対し、坂本氏は与党に対する逆風をかわそうと「一党一派に偏らない県民党」と党派色を薄める戦いで臨んだが及ばなかった。
 投票結果にも県民の「変革」を求める思いは表れている。川勝氏と、「脱官僚」「県民主義」を掲げた無所属の海野徹氏(60)とのいわゆる「非自民」票は112万票。投票者の6割以上が自民候補に「ノー」を突き付けた。
 「国政と県政は別」と選挙戦を繰り広げた坂本氏陣営だったが、県民は明らかに県政にも「変革」を求めた。ある自民党県議はこう皮肉った。「変えたいという『風』を何も分かっていなかった」
(静新平成21年7月7日「検証知事選」)

「検証知事選:中」
民主劇的勝利 党を前面に出遅れ克服
 東京都内の民主党本部で7日開かれた党の常任幹事会。「川勝候補が見事な戦いで勝利し、名古屋市、さいたま市、千葉市、静岡県とバトンが渡された。このバトンをさらにつなげる必要がある」。鳩山由紀夫代表は川勝平太氏(60)の知事選当選を弾みに都議選に勝利し、次期衆院選での政権交代を実現するようげきを飛ばした。
 川勝氏陣営は政権交代に向けた風を、最大限に生かして選挙戦略を展開した。鳩山代表ら幹部が続々応援に入り、川勝氏自身も演説で「静岡が変われば、日本が変わる」と繰り返した。候補者決定の遅れ、知名度の低さ、民主党を離党した元参院議員海野徹氏(60)との候補者一本化断念などマイナス要素を克服し、72万票余を獲得しての「劇的勝利」(岡本護同党県連幹事長)を収めた。
 ただ、民主側もそろばん通りに選挙戦が運んだわけではない。当初は「投票率63%、得票80万票」と高い目標を掲げたが、陣営内には「65万票前後の争い。投票率が55%に届けば勝利が見えてくる」と冷静な見方が強かった。
 海野氏の得票は最後まで不透明な要素だった。陣営幹部は投票日直前、「これまで参院選などでの民主票はせいぜい80数万票。(海野氏票が)20万票を大きく超えるようだと危ない」と不安を口にした。
 しかし、ふたを開けてみると、川勝氏が当選し、海野氏も33万票を獲得。出口調査の結果からも、「純粋無所属」を掲げた海野氏が、民主支持層の一部だけでなく、自民、共産支持層の一部や支持政党なしの層から一定の得票をし、既存政党の批判票の受け皿となったことがうかがえる。
 川勝氏の選対本部長を務めた民主党の藤本祐司参院議員は7日の党常任幹事会で、政権交代に向けた風が吹いているとする一方、「(川勝氏と海野氏の票を)足してわれわれ(民主)の票と思うのはちょっと甘いかもしれない」と指摘した。
 川勝氏の勝利で民主党県連や県議会平成21の関係者の意気は上がる。川勝氏は投票日翌日の6日、平成21の議員総会を訪れ、「選挙中は皆さんに鍛えていただいた。恩義は忘れない。これから県民のために尽くすには、何といっても最初の教師が頼り」と述べた。ただ、県議会では過半数の40議席を占める自民党に対し、川勝氏を推薦した平成21と民主党・無所属クラブは、合わせても25議席の少数与党だ。
 平成21の幹部の一人は「自民県議の一部が川勝氏に出馬要請した経緯もある。円滑なスタートが切れるよう彼らとも話し合っていく」と楽観視する。しかし、会派議員の一人は「まれに見る激戦だっただけに、しばらく対立の構図が続くのはやむを得ない」と厳しい表情を見せた。
(静新平成21年7月8日(水)朝刊)

「検証知事選:下」
与野党交代の議会対応
 波乱含み問われる手腕
 「多くの支持者の思いを背負った戦いは終わった。ノーサイドです」 当選が確実となった5日深夜、川勝平太知事(60)は歓喜に包まれる事務所で慎重に言葉を選び、こう強調した。
 6日のインタビューでも川勝知事は「他候補にも100万票以上が流れた。政策の良いところを取り入れ、マニフェストに肉付けする」と発言。穏やかな口調の端々に、選挙戦で対峙(たいじ)した自民党が過半数を占める県議会への配慮をうかがわせた。
 県議会(定数74)の構成は、選挙で川勝知事を支えた"与党"となる民主系が平成21の21人と民主党・無所属クラブの4人のうち3人、無所属2人で計26議席。
 一方、坂本由紀子氏(60)を支持した自民、公明が計46議席を占め、遠く及ばない。
 川勝知事が発した「ノーサイド」の言葉を、自民県連は「われわれの仲間は誰一人、知事野党の経験はない。民主に対抗する政党政治をやる。根本から対応を考えなければならない」(小楠和男幹事長)と慎重に受け止める。
 一方で、県連幹部の中には対抗意識をむき出しにする声が少なくない。「是々非々ではなく非々非々の可能性だってある。4年間でマニフェストを実現すると言った以上、やってもらう。絵に描いたもちを食べさせられた県民はたまらない」
 対する平成21には「これから衆院選、参院補選と(自民対民主の構図の選挙が)続く。自民側の対決姿勢はやむを得ないが、問題はどこまで"いじわる"をされるかだ」と、厳しい見方がある。別の幹部は「知事が一党派に偏った県政運営はできない。(川勝知事が自民側に配慮の姿勢でも)われわれがとやかく言うことではない」と融和重視の姿勢をにじませた。
 休会中の6月定例会。石川嘉延前知事が提出した議案を審議する24日の再開日に、川勝知事の所信表明と代表質問を連続して行う予定だった。しかし、"与野党"の双方から「所信表明を吟味し、質問戦に臨みたい」との意見が出た。定例会の再開日を前倒しし、所信表明を受けた代表質問まで準備期間を設けることで、論戦を充実させる案が検討されている。
 公明党県議団の阿部時久代表は「(新知事が)県政のどの部分をいじるのか。県民に対してどうなのかという視点が大切。衝突ありきではない」と基本姿勢を説明する。
 知事選の候補者擁立過程で発足した超党派の「夢あるしずおか創造会議」に参加した自民県議の動向はじめ、県議会が新知事にどのように向き合うかは不透明な状況だ。
 ある自民のベテラン県議はこうつぶやいた。
 「地域の要望をこまめに聞く"どぶ板選挙"をやる自民党に『知事野党で頑張ってます』なんて言葉は1票にもならない。次の選挙(県議選)までに、知事をこちらに取り込まないと、大変なことになる」
(静新平成21年7月9日(木)朝刊)

2009年7月7日火曜日

知事選分析(毎日新聞)

転機:’09知事選 川勝氏、都市部で勢い 得票数、坂本氏27市区町トップ /静岡(毎日新聞)

 16年ぶりに新たな知事誕生となった5日の知事選は、民主、社民、国民新3党推薦の静岡文化芸術大前学長、川勝平太氏(60)が初当選し、政権交代をアピールする民主党への世論の追い風を印象づけた。毎日新聞が行った出口調査と、出馬した4氏の得票状況から今回の知事選を分析した。【松久英子】

 県選挙管理委員会がまとめた45市区町ごとの得票数を見てみると、坂本由紀子氏が落選はしたものの、4候補の中で最も多い27市区町で最多得票していた。次いで多かったのが初当選した川勝氏で、17市区町でトップ。政党の支援を受けずに戦った海野徹氏は静岡市葵区で最多の票を得ていた。

 県内を地域割りすると、東部については三島市出身の坂本氏が支持を広げ、西部では浜松市中区にある静岡文化芸術大学長だった川勝氏がそれぞれ支持を広げる傾向が見え、それぞれ関係の深い地域で確実に得票していたことが分かる。海野氏の最多得票だった静岡市葵区も出身地で、前回の静岡市長選に出馬するなどこれまでの活動が深く浸透していたことがうかがえる。

 川勝氏の勝因は大票田の都市部での勢い。浜松市で2位の坂本氏に約4万票差をつけたほか、静岡市も約1万票差をつけた。逆に、坂本氏は富士、富士宮両市で川勝氏に競り負けるなど東部で川勝氏に大きな票差をつけることができず、及ばなかったといえそうだ。

 ◇川勝氏、幅広い世代が支持
 毎日新聞がSBS静岡放送などと5日、県内35カ所の投票所で実施した出口調査では、男性の44・4%が川勝氏、34・1%が坂本氏にそれぞれ投票したと答えた。一方、女性は43・3%が坂本氏、37・3%が川勝氏と回答し、男女で違いが表れた。

 年代別では、30~60代で「川勝氏に投票した」と答えた割合が最も高く、「坂本氏に投票した」との回答が最も多かったのは20代と70代以上にとどまり、川勝氏が幅広い支持を得ていたことをうかがわせた。

 「候補者を選ぶ際に重視したことは」と尋ねたところ、「マニフェスト、政策を比較」との回答が32・4%で最も高かった。次いで「経歴や実績など候補者の人柄」が26・8%、「景気、経済対策への考え方」が18・2%で続いた。

 現在の県政に対する満足度としては、「やや不満」が31・4%で、「かなり不満」が19・4%を占めており、過半数が不満を持っていることが浮かび上がった。反対に、「かなり満足」は2・6%にとどまり、「ほぼ満足」は16・5%だった。「かなり満足」「やや満足」と回答した層のうち約60%が「坂本氏に投票した」と回答。「やや不満」「かなり不満」と回答した47・8%は「川勝氏に投票した」と答えた。

 石川嘉延前知事が坂本氏を支援したこともあり、石川県政を評価する有権者は坂本氏に、変革を求める有権者が川勝氏に票を投じた傾向が出た

川勝氏インタビュー一問一答

川勝氏インタビュー一問一答
 地域の視点で県政運営
 知事選で初当選した川勝平太氏(60)のインタビューでの一問一答は次の通り。
 ー県が日本航空に運航支援金を支払う福岡便の搭乗率保証について、批判があります。
 「例えば9割の乗客が乗ると2割の利益はJA」にいく仕組みでおかしい。7割を超えた乗客が乗るとJALにいくようになった経緯をよく検討し、(互いが責務を負う)双務的になるように検討するか、もしくは見直すというスタンスで臨む」
 ー1期4年の短期で成果を上げると説明したマニフェストは具体的にどのように実現を図りますか。
 「7月下旬に再開する県議会6月定例会の後に、予算編成をしていくためにどの時点で、どういう形で取り組めるのか、事業の仕分けをしないと重点的な投資は難しい。早急に、走りながら行程を考えることになる。9月議会までの夏休み期間が勝負になる」
 ー静岡の潜在力を生かした政策立案について展望は。
 「文化人、経済学者など静岡県を応援したい機運が津々浦々に満ちている。多くの知恵を結集した静岡県応援団、アドバイザリーボードを結成しアジア、世界の静岡にするため、どうしたらよいのか、実現可能な政策を形作りたい。青年たちがこの地域に住んでいることを誇りに思うことが大切で、青年が、自分もそこに参加できるんだという一体感を感じられるような仕組みを作りたい」
 ー文化振興策も課題になっています。
 「浜松は音楽の都、静岡にはグランシップの演劇があり伊豆には文学がある。景色もきれい、イベントも開かれ、食文化も生きてくる。それを合わせると『感動』になる。東海道芸術街道の構想を持っている。静岡県を、自然と食と、プラス芸術的感動の街道にしていきたい」
 ー今後、政党の支持と県政運営はどの
ように考えていきますか。
 「知事選の4人の候補は県民主体の訴えで共通していた。わたしは政党の非常に力強い応援をいただきました。ですが、立脚しているのは地域。その視点で県政運営をしていきます」
(静新平成21年7月7日(火)朝刊)

2009年7月6日月曜日

知事選市区町別投票率と得票


静岡県知事選市区町別投票率と得票(静新平成21年7月7日(火)記事)

静岡県知事選結果



静岡県知事選
川勝氏が当選 坂本氏との接戦制す 
07/06 07:16 (静新webnews)


 石川嘉延前知事の辞職に伴い4新人が争った知事選は5日、投票が行われ、即日開票の結果、無所属の前静岡文化芸術大学長川勝平太氏(60)=民主、社民、国民新推薦=が終盤まで競り合った無所属の前参院議員坂本由紀子氏(60)=自民、公明推薦=を退け、初当選を果たした。無所属の元参院議員海野徹氏(60)、共産党公認の平野定義氏(59)は及ばなかった。16年ぶりに新知事を選ぶ選挙で有権者の関心は高く、投票率は61.05%と前回選を16.56ポイント上回った。
 次期衆院選の前哨戦として与野党が真っ向から対決。民主党は名古屋、さいたま、千葉の政令市長選に続く大型地方選挙4連勝となり、躍進の流れに弾みを付けた。麻生太郎政権にとって大きな打撃で、首相の退陣論が高まるのは必至。都議選直後の衆院解散を模索する首相は苦しい立場に追い込まれた。
 川勝氏は初の選挙だっが、民主は党本部と県連、民主系県議会会派、連合静岡などで組織する選対がフル稼働し、民主支持層を固めた。鳩山由紀夫代表、岡田克也幹事長ら「党の顔」が次々と静岡入りして街頭に立ち、浮動票を獲得。国政での「政権交代」のイメージと連動させる戦術で支持を集め、自民の強固な組織力で先行した坂本氏を追い抜いた。投票所の出口調査では30~60代まで幅広く支持を集めた。
 坂本氏は「女性の視点で県政を変えよう」とアピールし、投票所の出口調査では女性票の4割超を獲得したが、副知事を経験した行政手腕は集票につながらなかった。自民は衆院選をにらみ、党本部が衆院の選挙区ごと1000人規模の集会を国会議員に指示。古賀誠党選対委員長が頻繁に静岡入り。終盤では舛添要一厚生労働相ら「党の顔」が街頭に立つなど総力戦を展開したが、及ばなかった。
 海野氏は「純粋無所属」掲げ、草の根の支持拡大を狙ったものの、与野党対決のあおりを受け埋没した。平野氏は明確な争点を提示できず、支持が広がらなかった。


 県知事選 川勝平太氏が当選




 沼津市の開票結果(5日午後10時47分確定)
 三八、七一七票 坂本由紀子
 三五、四四四票 川勝平太
 二二、九八六票 海野徹
 三、三九一票 平野定義
 石川嘉延前知事の辞任を受けて五日、行われた県知事選挙は、四氏による争いを前大学学長の川勝平太氏が制し、今後四年間、県政を引っ張っていくことになった。告示翌日の十九日に始まった期日前投票は、中間発表のいずれの時点でも好調に推移する様子を示し、最終投票率向上に期待が寄せられていたが、県平均、市選管の確定数字共に前回を上回った。
 今回選挙の直前、地方分権にかかわり府県知事や市町長の動向が注目され、地方自治に対して有権者が関心を寄せる背景が生じていた。
 "物申す"知事らの出現によって、公共工事などにかかわり、地方がこれまで、考えられないような負担を国から押し付けられていたことも明らかとなった。こうした首長の動きに対して新知事は、どういう立場を取るのか注目される。
 地方分権は「地方主権」だとの指摘もあるが、その裏付けともなるのが財源。国との関係はもちろんあるが、二兆円を超えると言われる借金を抱える静岡県。新知事は財政問題に、どう対応していくのか。
 新たな赤字、税金の投入が懸念される空港も抱えてしまい、前県政以上に難しい舵取りに迫られることも否定できない。
 沼津市投票率は54・38%
 一方、投票率は沼津市が五四・三八%。前回選の三四・九六%から二〇ポイント近く上昇。前々回からも若干上回った。
 これは前回選挙が現職と新人の一騎打ちで有権者にとって選択の幅が狭かったのに対して、今回は新人四人の争いとなったこと、国レベルで政権交代の可能性が言われ、静岡県知事選挙が、この後に行われる東京都議会選挙と共に、その行方を占うものとの位置付けがされたことなどから有権者の関心を呼んだと見られている。
(沼朝平成21年7月6日(月)号)

2009年7月2日木曜日

知事選論評:外野席からの独り言

静岡県知事選挙



平野定義 59歳       共産党公認



    海野徹  60歳 無所属



    川勝平太 60歳 無所属   民主党推薦



    坂本由紀子60歳 無所属   自民党・公明党支持



(中部、西部、東部の争い)

地方選挙は支持地域、基盤が重要だが、平野定義氏は、出身地の静岡市などの中央地域が地盤、海野徹氏(静岡高校)は静岡市市会議員を務めており、静岡市などの中央地域が地盤、川勝平太氏は落下傘候補で静岡県出身ではなく、たまたま浜松にある県立大学の学長、浜松など西部が地盤、坂本由紀子氏(沼津東校)は三島市出身、静岡県県副知事も務めた静岡県人、三島など県東部が地盤、前石川知事の後継者なのか。
海野徹氏、平野定義氏も静岡市の住民、地域の根差した政治家。政治力、人口集積、経済力からいえば、県勢は、中央部、西部、東部の順であり、西へ行くほど力は増し、東部地域の政治力は相対的に弱体と思われる。



(下馬評、政権交代の前哨戦)

下馬評では、自民公明推薦の坂本由紀子と民主党推薦の川勝平太の接戦だという。中央政界の大変動の余波を受けて、衆議院選挙の前哨戦で、与野党と対立の中で、政権交代の与野党の選択の選挙だといわれている。このところ、麻生自民公明政権への評価が墜落して、支持率は20%を下回り、自民党は大揺れ、名古屋市はおろか千葉市、横須賀市までも民主党が勝利し、自民党は低落の勢いを強め、政権交代の実現が現実化している。はたして、静岡県知事選挙はどうなるのか。



(若くもなく、頼まれ仕事)

4人とも年齢は60歳、戦後生まれで若くも、年寄りでもない中堅世代だ。今様な若さを売り物にできない。中途半端な世代だが、21世紀の政治家ではあろう。4人とも、もともと県知事を目標にして政治活動していたものではなく、その経歴、時勢の動きから政党から引っ張り出された受動的な県知事候補者であり、県政において、何をしたいのか、何をするのか、自分の考えは明確とはいえない。マニュフェストも自分の考えより、地域全体の考え、時の動きの集約とものともいえるものである。受身の姿勢の頼まれ候補者である。



(落下傘候補、マスメディア売りの学者候補)

川勝平太氏は落下傘候補、静岡に地盤があるわけではなく、たまたまの県立大学の学長を務め、マスメディアにも顔の売れた学者が売り物、インテリ層には人気のある全国区の評論家風情の学者だが、そのインテリ臭さが、県民の人気を呼ぶか、嫌われるか。都会的でハンサムな男性であり、女性の人気如何が問題、支援者は全国各地に及び、ある面では学者を踏み台にした学者商売人、学者政治屋の印象が強い。



(才媛、弱さ見える官僚候補、石川前知事の後継者か)

坂本由紀子氏は、厚生労働省出身の才媛官僚であるが、政治的なパワーに欠け、ひ弱なイメージが否見えない。官僚神話、政策力が地に落ちている時、県政の政策面や政治力を発揮することが期待できるのか、官僚政治への批判に県民の危惧があろう。女性票を集められるのか、県東部の全面的な支持を受けられるのか、プラスでもマイナスでも、県会議員や県職員など県庁内に石川知事の後継者としての評価が高いのかどうかが問われる。



(上昇志向濃厚な地方政治家)

海野徹氏は、静岡市会議員、県議会議員を務めた典型的な地方政治家、民主党の参議院議員を一期務めたが、なぜ民主党を離れたのか、県知事が与野党の党派の選挙のときにあえて立候補するのはなぜか、静岡県政に大きな政策、どのような戦略があるのかがよくわからない、市会議員、県会議員、参議院議員、県知事へと上昇志向の強い地方議員のイメージが強い。



(今なぜ共産党が候補者を立てるのか)

平野定義氏は、まじめな共産党員で、県知事選挙でも、市民擁護・大企業批判の共産党の主張を掲げて党勢の拡大を図る戦略であろうが、政治姿勢は一番まじめで、マニュフェストにも共感を呼ぶものが見受けられる。政権交代が国政の重要な政治課題であり、時代の動きであるときに、なぜ、今の時期に共産党の党勢拡大のために県知事選に立候補するのか、共産党の目標がわからない。



(マニュフェストに違いなし、数値目標なし)

 4人のマニュフェストに大きな違いはない。環境、福祉、教育、治安などを重視し、安心安全な静岡県を作ろうとする姿勢に違いはなく、財政問題も取り上げて、行財政改革を進めて、無駄な仕事をやらないという点は共通している。各人のマニュフェストは、地方自治の仕事を羅列的に並べるだけで、具体的な数値目標は掲げていない。それを論じるだけの準備や作業をしたわけではないからだろう。もともと地方政治にそんなに違いがあるわけがない。



(箱モノから人へ)

箱モノ行政を主題にする候補者はいないし、あえて箱モノ行政の説明を避けているきらいもある。無駄な事業として富士山空港を取り上げてはいるが、具体的な問題点やこれからの在り方を明確に説明するものはない。具体的な名前は、坂本候補者が、新東名、中部横断道路、駿河湾3港湾、富士山空港を取り上げてはいるが適切に実施するというだけで、特に沼津市にとってもっとも重要な事業だという沼津駅周辺総合整備事業を取り上げている候補者は皆無である。



(消えゆく沼津駅周辺鉄道高架化事業)

どの候補者が県知事になろうと、静岡県の行財政の改革、箱モノ優先からから福祉、教育、環境への行財政の転換は必至であり、かっての箱モノ優先、財政力豊かな時代のプロジェクトは軒並み、再検討を迫られるであろう。静岡県が施行主体で資金、責任を持つ箱モノ、ふじさん静岡空港並みに2000億円、20年の年月を要する巨大な沼津駅周辺総合整備事業がこのまま進むことは極めて困難であり、新しい知事も、早急にその見直しをしなければなるまい。



(知事選の争点は何か)

静岡県知事選の争点は何か、なにはさておいても迫る衆議院議員選挙の前哨戦として、与野党の政権交代を迫る政党の選択の選挙でもあるが、静岡県政の改革の本質は高度経済成長に依存して健全な財政基盤だからという理由から、むやみやたらに進めてきた箱モノ行政をどう転換するか、時代に対応した行財政をどう立てるかであり、それを政党、候補者は明確に訴えるべきであるが、どの政党、候補者もあえて、避けている感がしてならない。

(郷土を愛する東京のT・H)

託す一票:東部の課題「海野俊也記者記事」

託す一票:東部の課題上中下

「海野達也取材記事」

街頭演説