2021年8月24日火曜日

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高輪築堤一部史跡指定へ 明治の鉄道遺構、文化審が答申

 

高輪築堤一部史跡指定へ

明治の鉄道遺構、文化審が答申

 JR駅再開発で出土

 文化審議会は23日、1872(明治5)年に東京・新橋と横浜を結ぶ日本初の鉄道が開業した際に造られ、東京都港区の高輪ゲートウェイ駅周辺の再開発で出土した「高輪築堤」の遺構の一部を史跡にするよう萩生田光一文部科学相に答申した。近く答申通り指定される。史跡にする手続きには数年かかるのが通常だが、遺構の存在は昨年12月にJR東日本が公表したばかりで、異例の早さでの指定となる。

 


遺構について文化審は今年3月、再開発を念頭に「保存に緊急的に取り組む必要がある」と意見表明。文化庁が史跡指定の作業を急いでいた。

 日本考古学協会などは現地での全面保存を求めたが、JR東は史跡となる部分以外は移築や記録として残すための調査を行った後、埋め戻すか取り壊して再開発を進める。

 遺構は駅西側で約800㍍にわたって断続的に見つかった。陸側には当時軍用地などがあり、用地取得や測量が難しく、浅瀬の海上に盛り土をして線路を敷いた。線路の下に船を通す水路があった「第7橋梁」を含む約80㍍と、その北側の約40㍍が、良好な状態で残っているとして史跡になる。

 築堤は、往時の姿が錦絵にも描かれた。答申は「わが国の交通の近代化や、用いられた土木技術の歴史を知る上で重要」と評価した。

 既に指定されている「旧新橋停車場跡に追加し、名称を肩新橋停章場跡および高輪築堤跡にする。

 史跡指定部分についてJR東は4月、計画を変更し現地保存すると発表。再開発は当初の予定通り2024年度を目指して進めるとした。


※高輪築堤1870年に着工し、72年に完成した。当時は海だった現在の田町駅付近から品川駅付近までの約27㌔を埋め立てて盛り土し、その上に線路を敷設。浮世絵の一種の錦絵に土手を走る蒸気機関車が描かれ、以前から存在は知られていた。その後の一帯の埋め立てで壌されて残っていないとされていたが、盛り土を囲う石垣や線路
に敷かれた石、信号機の土台が見つかった。

【静新令和3823日(月)夕刊】

沼津駅周辺整備計画 県が変更許可 事業完了13年後ろ倒し

 

沼津駅周辺整備計画 県が変更許可 

事業完了13年後ろ倒し

 県は23日までに、JR沼津駅何近の鉄道高架化に関連する駅周辺土地区画整理事業のうち、沼津市による「静岡東部拠点第二地区」の事業計画変更を認可した。事業完了の時期を2024年度から37年度に13年繰り下げる。

 事業の対象は同駅東側のJR東海道線と御殿場線に挟まれた車両基地を含む「拠点エリア」と、車両基地が移転する片浜地区の東海道線北側の「新車両基地エリア」。測量で境界を画定させ、面積も当初の185㌶から183㌶に変更する。

 また、拠点工リアの区画を大幅に変更した。住居の移転を円滑に進めるため、工期の遅い車両基地を除く部分に移転できるようにするほか、公共施設の立地を想定した規模の大きな街区も確保する。

(政治部・大橋弘典)

【静新令和3824日(火)朝刊】

クーデター未遂30年 ゴルバチョフ氏「民主主義こそロシア発展唯一の道」

閉店セレモニーに多くの人 ヨーカドー・イシバシプラザ

 

閉店セレモニーに多くの人

ヨーカドー・イシバシプラザ

 イトーヨーカドー沼津店をキーテナントとする高島本町のショッピングセンター・イシバシプラザが22日に閉館した。閉館時刻の午後7時過ぎには、1階正面入り口前のレンガ広場を埋め尽くすほどの人が集まり、閉館セレモニーが開かれて43年の歴史に幕を下ろした。



 同プラザは、同所で操業していた石橋製糸沼津工場が1973(昭和48)に廃業したのを受け、78(53)713日に開館。当初は沼津駅南地区の商店により進出に対する反対運動も起きたが、その後、関係を調整して沈静化。工場跡の31492平方㍍に、延べ床面積56765平方㍍の鉄筋コンクリート造地下1階、地上5階建ての建物が建設され、イトーヨーカドーを核に60の専門店によりオープンした。



 当時、中心市街地には大型店が軒を連ね、十字屋、西武百貨店、長崎屋、ニチイ、富士急百貨店、丸井、ヤオハンで沼津市大型店会が組織されるなど、県東部地域の商都として一時代を築いたが、商業環境の変化や厳しい経済情勢にさらされ、現在、残った大型店はない。

 駅北地区随一の集客施設として活況を呈したイシバシプラザも、時代の変化や郊外への大型ショッピングセンター進出等の影響、さらに新型コロナウイルス感染拡大や建物の老朽化が追い打ちをかける形で、「これ以上の営業継続は不可能」との判断に至った。

 閉館当日の22日、閉店売り尽くしセールで品薄となったイトーヨーカドー、既に閉店したテナントも増えたイシバシプラザ専門店街は、最盛期を彷彿とさせるにぎわいとなった。

 1階セントラルコートには、「動く彫刻」の第一人者として知られる東京芸術大学名誉教授、伊藤隆道氏が制作した鏡面ステンレスパイプによるモーター駆動のモニュメント「一本の糸・舞う」が設置されているが、東日本大震災が発生した2011311日以来、停止していた。

 これを約10年ぶりに駆動させ、来店者からは「モニュメントが動いている」と一斉に感動の声。スマートフォンで動画を撮影していた40代の男性は「子どもの頃、ここでモニュメントが動いているのを見ているのが好きだった。最後に見られてうれしい」と話した。

 また、3階あおそらひろばにはオープン以来、アスレチックの遊具が設置されているが、親子連れが記念撮影を楽しんでいた。

 30代の母親は「私も子どもの頃に遊んだのでなくなるのは寂しい。親子二代が同じ遊具で遊んだ記念」と話していた。

 閉店時刻が近付き、「ホタルの光」が流れ始めてからも続々と来店者があり、レジは長蛇の列。買い物の後、来店者の多くが閉館セレモニーを見ようとレンガ広場に移動し、人波であふれた=写真=が、感染防止のため、会話する人もなく、静かに始まるのを待った。

 


セレモニーでは、従業員が入り口前に並び、はじめにイシバシプラザの石橋昭彦社長が「多くの商業施設が撤退する中、きょうまで営業してきたが、閉館して沼津の歴史になる。皆様の思い出として残してほしい」と願った。

 続いて、イトーヨーカドーの地引正美店長が「たくさんの思い出と歴史が詰まった店を閉店させてしまい、申し訳ない。従業員の8割が地元採用のパートで、多くの従業員がヨーカドーを去ることになる」と涙を浮かべ、声を詰まらせながら、「43年間、ご愛顧いただき、本当にありがとうございます」と感謝した。 花束贈呈に続き、従業員一同が店舗内に入って頭を下げ、徐々にシャッターが下りていくのを集まった人達は静かに見守った。

 セレモニーの様子をスマホで撮影していた近くに住む70代の女性は「オープン以来、毎日のように利用して生活を支えてもらい、知人も働いていた。閉館は寂しく、涙が出てくるが、動画は沼津の歴史として残し、家族や知り合いにも見せたい。跡地には、今までのように買い物できる商業施設が出

来てほしい」と話していた。

【沼朝221年(令和3年)824日(火曜日)】