2023年12月24日日曜日

城岡神社創建二百年祭奉祝だより 発行 城岡神社創建二百年奉祝記念事業実行委員会 発行日 令和5年12月15日

 


城岡神社創建二百年祭奉祝だより

発行 城岡神社創建二百年奉祝記念事業実行委員会

発行日 令和5年12月15日

 


 この度令和六年九月に城岡神社創建二百年奉祝記念事業を開催する運びとなりました。その一環として創建200周年の記念誌を作成しようという事になりこれを機会に大手町、城岡神社の事を皆様にもっと知っていただき、親しみを持って頂けるようにこれから何回か情報を発信していきたいと思っています。



 沼津市大手町に鎮座する城岡神社は一八二四年(文政七年)沼津城二代目城主水野忠成(ただあきら)公の時代に社殿を造営した折、時の徳川十一代将軍徳川家斉(いえなり)公より伏見稲荷のご神体を拝受し沼津城の守護神として奉祀(ほうし神仏、祖霊などを祭ること)されました。沼津城が廃城になった後も稲荷神社は住民の守護神として広く信仰を集めました。

 ご存知のように当地は徳川幕府との強いかかわりが有り短い間ながら沼津兵学校が設立され、其の後も多くの幕臣が今の大手町、添地、西条に明治中頃まで住んでおり、その旧幕臣達の心のよりどころとなるよう一八七四年(明治7年〉東照大権現様を相殿(あいどの)にお祀りし「権現様」の愛称をもって崇敬される様になりました。それから三十年ほどの間は権現さん、お稲荷さんと呼ばれ親しまれてざました。

 一九〇三年(明治三六年)六月仁城岡神社と改称され現在は毎年五月の最終土、日曜日に例大祭を行っています。一九六四年(昭和三九年)に出雲大社より御分霊を頂き大国主命を相殿に奉祀しました。

 沼津は元々風が強く大正二年、十五年の沼津大火により城岡神社は焼失しました。また昭和五年の伊豆大震災により神社全壊、終戦の年の空襲で焼失しましたがその度氏子が力を合わせて再建してまいりました。

 色々神社の事、町内の事調べていますがなかなか昔の資料が少なく困っています。もし資料や古い写真等お持ちの方がいらっしゃれば提供して頂きたいと思います。もちろん資料等はコピー等して直ぐにお返しいたします。なお城岡神社では毎月一日.十五日十八時より月次祭(つきなみさい)と言う祭典を行い、町内安全、家内繁栄等を祈願しております。興昧のある方は町内関係者であればどなたでも参加できますので(町内関係青=城岡神社の氏子)どのようなものか見学して下さい。

 赤井國彦

 

 城周神社御由緒

 往古ら召禅城の丑寅(東北)老松鬱蒼として森巌を極めたる一丘に小祠あり(縁起不詳) 沼津城第2代の城圭水野忠成(ミズノタダアキラ)公文政7525(1824629)社殿を造営し時の第11代徳川家齊(トクガワイエナリ)公より山城国伏見稲荷の御神体を拝受し城の守護神として泰斎した(稲荷神社と称す)以後毎年1回大祭を斎行し庶民の参拝を許した明治維新の際廃藩せられ城内区民の守議神として祀られることになる明治7年(1874)東照宮(東照大槽現)を相殿に迎え籍現様の愛称を以って崇敬を蒐む 爾来省社は稲荷様とも権現様とも称えられていたが明治36(1903)6月城岡神社と改称し社号を統一した 昭和39(1964)出雲大社の御分霊(」大国主之命)を奉斉:した

 平成3(1991)11月大手町町制創立100周年の記禽事葉により社殿を新築し境内整備を行った。


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