ロ一マ教皇死去 貧者のために尽くした
ローマ教皇フランシスコが亡くなった。
前日にギリスト教の主要行事「復活祭に姿を見せて代読の形で信者にメッセージを発したばかりで、世界に驚きが広がった。戦争や貧困、人権などについて絶えず発信し、寛容を説き続けた。力トリヅクの枠組みを超えて、人々が耳を傾ける言葉と存在感を持っていただけに、その死が惜しまれる。
南米アルゼンチンに生まれ、イエズス会で聖職の道に。貧冨格差の激しい同国で困窮者を救済する社会活動に取り組んだ。
2013年、中南米出身で初の教皇に選出されると、13世紀のイタリアで清貧を貫いた聖人から取った「フランシスコ」を名乗る。「私は貧者のために尽くす貧しい教会を求める」と語った。
権威に寄りかかることを嫌った。「教会は自らの殻を破り、辺境に向かうべきだ」との言葉通り、在任中に47回の海外訪問を果たす。訪問先ではスラムや刑務所を訪れて人々の間に分け入り、貧しい者と抱擁を交わした。その姿は、欲得と効率ばかりに傾く世界へのアンチテーゼに見えだ。
19年にはローマ教皇著して38年ぶりに訪日して広島、長崎を訪れ、核兵器のない世界の実現。は「不可欠」と訴える。会見では東京電力福島第1原発事故に触れ、人的見解としつつ「完全に安全が保証されるまでは(原発を)利用すべきでない」とも踏み込んだ。
死の前日のメッセージで、教皇が和平を呼びかけたのはロシアに侵攻されたウグライナの戦争やパレスチナ自治区ガザの紛争だはではない。レバノン、シリア、イエメン、アルメニ一ア、アゼルバイジャン、スーダン、ミャンマー・・・。世界中の紛争地を名指しした言葉からののぞくのは、最期まで「辺境」とそこで苦しむ人々への目配りだった。
(静新令和7年4月24日「核心・核論」)
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