2016年12月1日木曜日

国鉄沼津機関区創立百三十年 山梨孝夫(沼朝:言いたいほうだい)




 国鉄沼津機関区創立百三十年 山梨孝夫
 年輩の方はご存知と思いますが、今から三十年前の昭和六十二年まで、沼津駅北口の、現在プラサヴェルデがある場所に国鉄沼津機関区がありました。
 沼津機関区の前身である沼津機関庫は、東海道鉄道の建設拠点として明治十九年十二月一日に創設されましたので、きょう十二月一日は創立百三十年の記念日になります。
 建設工事は驚異的な速度で進展し、明治二十二年二月一日に国府津~静岡間が開業、続いて七月一日に新橋~神戸間が全通しました。
 全線開通後の沼津機関庫には、急勾配が連続する箱根越え区間の補助機関車の基地としての任務が与えられ、昭和九年十二月に丹那トンネルが開通するまでの四十五年間、東海道本線の最難関区間を運転する蒸気機関車の運転と検修の基地として、重要な役目を果たしてきました。
 昭和五年から運転された超特急「燕」の運転と機関車の整備を任されたことは、当時の沼津機関区が第一級の機関区として認められていたことを物語っています。
 丹那トンネルが開通し沼津まで電化されると、最重要幹線である東海道本線で首都東京の入り口に位置する、電気機関車の運転拠点としての役割が与えられました。
 戦後、電化が西進するとともに、その役割も変化してきましたが、後にディーゼル動車や電車も配置され、引き続き東海道本線の主要な運転基地として位置付けられてきました。
 しかし、モータリゼーションの変化に伴い、国鉄貨物輸送のシェアが減少し、国鉄の果たす役割が変化する中で、昭和六十年代になると、国鉄の分割・民営化が論議されるようになりました。
 そして、民営化を前にした昭和六十一年十一月一日のダイヤ改正で機関車の配置が無くなり、機関区の名称も変更されることになりましたが、「九十九年九カ月で沼津機関区の名前が消えてしまうことは避けたい」との関係者の思いを各方面へ訴えた結果、辛うじて沼津機関区のままで昭和六十一年十二月一日の創立百年の記念日を迎えることができました。
 その後、分割・民営化直前の昭和六十二年三月一日に、沼津運転区と名称変更したことにより百年と三カ月の沼津機関区の歴史に幕を降ろしました。
 昭和六十一年の夏には創立百周年記念行事として、「ロコモティブフェアーイン沼津」として機関車展示会を開催、沼津機関区百年史を刊行し、百周年を祝いました。
 キラメッセぬまづの北側歩道に、「この場所に国鉄沼津機関区があった」ということを示すモニュメントが沼津市により設置されています。また、先月二十八日からプラサヴェルデ一階と二階の廊下に、沼津機関区に関係する写真を展示しています。
 沼津駅北口へおいでの際にモニュメントや写真をご覧いただき、三十年前までこの地に国鉄沼津機関区があったことを、市民の皆様の記憶の片隅に残していただけたら幸いです。(元沼津機関区職員、西添町)

【沼朝平成28121()「言いたいほうだい」】




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