2021年3月24日水曜日

ヨーカドー沼津店撤退 8月イシバシプラザも閉店

 


ヨーカドー沼津店撤退

 8月イシバシプラザも閉店

 沼津市高島本町の商業施設「イシバシプラザ」に中核テナントとして入居する総合スーパーのイトーヨーカドー沼津店が8月に撤退し、イシバシプラザも同時閉店することが5日、関係者への取材で分かった。イトーヨーカドーの親会社であるセブン&アイ・ホールディングス(HD)とイシバシプラザは近日中に発表する見込み。

 同施設はJR沼津駅北口付近の中心市街地に立地し、ショッピングモールの先駆けとして、開店当初は県内最大規模を誇った。同駅周辺では今後、鉄道高架化事業に伴って再開発が進められる予定で、同施設の跡地利用が注目されそうだ。

 複数の関係者によると、両社は施設に入居する他のテナントや従業員、関係機関などに営業終了の意向を説明したという。同施設は老朽化した建物の修繕費が多額に上ることなどから、総合的に同時閉店を判断したとみられる。

 同施設は近年、専門店街エリアに入居していた衣料品店や飲食店、書店などの撤退が相次いでいた。19年秋、同市郊外に大型商業施設が開業して以降、テナント撤退の動きが加速していた。

 同HDとイシバシプラザは静岡新聞社の取材に「現時点で決まったことはない」「取材には応じられない」としている。

 イシバシプラザは1978年、旧石橋製糸一の工場跡地に開店した。鉄筋コンクリート地下1階、地上5階建てで、駐車場も含めた敷地面積は約315一〇〇平万㍍。現在の総売り場面積約22500平万㍍のうち、ほぼ半分を占めるイトーヨーカドー沼津店が中核テナントとして開店当初から入居し、残る半分を専門店街エリアが占める。

【静新令和336日(土)朝刊一面】

ヨーカドー、イシバシプラザ閉店

822日をもって43年の歴史に幕

 イトーヨーカドー沼津店の撤退が決まった。同時にイシバシプラザも閉店となる。いずれも822日で営業を終えるが、西武百貨店以来の大型店舗撤退に市内に衝撃が走った。

 同施設は1978(昭和53)年、旧石橋製糸工場跡地に建設された。ヨーカド1を中核テナントとして、個店による専門店街で構成していたが、近年は人口減少や後発大型店の周辺への進出などを背景に、個店の撤退が相次いでいた。

 このため、この数年、沼津撤退の話は噂の範囲としては流れていたが、現実のものとなった。

 ヨーカドーでは店舗入り口に張り紙をし、「43年間のご愛顧ありがとうございました」との言葉と共に、「822日をもって閉店する」旨を案内している=写真。

 また、イシバシプラザはホームページで、次のように「閉館のお知らせ」をしている。

 「当イシバシプラザは、昭和53年の開店以来、皆様の御厚情をいただき営業を続けてまいりましたが、2021822日をもちまして閉館する運びとなりました。

 昨今の新型コロナウイルス問題、商環境の変化、開店から40年以上経過しており建物の老朽化等を総合的に検討して、誠に遺憾ながらこれ以上の営業継続は不可能とイシバシプラザ閉館の決定に至りました」

 ヨーカドー撤退について頼重秀一市長一は、次のようにコメントした。イシバシプラザは、昭和53年の開業以来、長年、本市における商業の中核施設として、また、従業員の雇用や、地域産業を支える重要な役割を担っていただいております。   

 イシバシプラザの閉店については、長年、中心市街地の活性化に寄与していただいたことに対し感謝申し上げるとともに、中心市街地における商業拠点の一つがなくなるため、大変重く受け止めております。

  この場所は、まちづくりにおいても大変重要な場所ですので、今後、関係者の動向を注視してまいります。

 また、市商店街連盟の芦川勝年会長は「とうとう、そこへ来たか、そういう所に立ったかという思いはあるが、驚いてはいない」とした上で、次のように語った。

 沼津駅周辺総合整備事業で、駅北地区の土木事業は完成している。しかし、出来上がったものが、うまく機能していないのではないか。中心市街地活性化基本計画を進める一方で郊外型再開発を行うことなど考えられない(のに、してしまった)

 さらに、その上位に鉄道高架事業があり、商業エリアの連続性とか回遊性とかを考えるなら駅南北の暫定自由通路が必要。現実に生きている人が生活できる回遊性を考えてほしい。市当局とか、統治機関とかという所には対処療法に真剣に取り組んでほしい。ヨーカドーがどうこうというのではなく、現状の課題認識の中で政策を考えるべき。これまで、そのためのバックボーンがなかったのでは。

 まちに残る商業者は覚悟を持って残ろうとしている。人口減少や時代認識の中で問題点を捉え、早めの対策というものが必要になるのではないか。

【沼朝2021(令和3)39(火曜日〉)

 

 

 暮らしにくいよ、沼津!仙石規

 数年前から噂されていた沼津駅北の大型商業施設の閉店が現実のものになりました。自分が大学三年生の時に開店した同施設は、地元商店街から大きな反対運動がありましたが、完成後の大賑わいが夢のように思い出されます。帰省するたびに、家族や親類と訪れ、「沼津も変わってゆくのだな」と感じました。

 今回は「商都」沼津の終わりを告げる出来事でしょう。戦後の沼津は、空襲による市街地焼失からの復興を終え、昭和二八年のアーケード街完成、続く上土センター街、仲見世商店街の新装など、破竹の勢いで、県東部の集客に成功しました。

 昭和三二年の西武沼津店開業、その後の富士急名店街、同百貨店開業などは、やはり老舗商店からの反発はありましたが、共存して沼津市中心街への来客を増し、商業都市沼津の黄金期がもたらされたのです。今回閉店する施設も、この四十三年間、市民に愛されてきました。自動車に乗らない家人は、「どうやってこれから沼津で生きていこうか?」と、悲痛な声を上げました。

 二年前に誘致された大手不動産系のシヨッピングモール開店が、沼津中心部の衰退に拍車をかけたようです。

 資本主義化の日本では、商業の栄枯盛衰は仕方がありません。商店街や百貨店が繁栄を極めた春の夜の夢のような過去を懐かしんでも、空しいだけです。交通の変化や人口減少、ネットショッピングの進展などで、地方都市は、みな苦しい状況です。

 しかし、高齢者のことを、もっと考えてもらいたいですよ、沼津市は! SNSのみでの情報発信、スマホ決済優待、スマートシティ?何が何だか分からない市民も多いのではないでしょうか?自分自身も間もなく「高齢者」の仲間入りをしますが、とてもついてゆけません。

 体を動かすことさえも辛い方々が、沼津駅南口地下道を「よっこらしょ一と昇り降りし、激変した寂しい駅周辺を見て、「みんな、なくなっちゃったよ!」と嘆く姿を見るたびに悲しくなります。

 かつて栄えた商店街の老舗店も、この数カ月で急激に店を閉める数が多くなりました。「コロナ禍」の影響もあるでしようが、市政の歪みが市民の暮らしに激変をもたらしているかと感じます。

 沼津に戻って三十二年になりますが、暮らしにくさは日に日に増すぽかりです。

 (医師・郷土史家、市場町)

【沼朝2021(令和3)39(火曜日〉「言いたいほうだい」】

イシバシプラザ8月閉館

 市街地再生へ理念の共有を

 沼津市中心部の商業施設イシバシプラザが8月22日に閉館することが決まった。かつて商都・沼津と呼ばれた街の象徴的な存在としてにぎわった施設がまた一つ消えることになり、市街地のさらなる衰退を懸念する声は多い。一方、近くのJR沼津駅周辺では鉄道高架化事業が動きだすのに伴い、イシバシプラザの跡地利用を含めた今後の再開発に期待が集まる。人口減少社会の進展もにらみながら、街はどう変貌していくのだろうか。

 同施設は1978年、旧石橋製糸の工場跡地に開業。現在の大型ショッピングモールの先駆け的な施設でもあり、中核テナントとして売り場面積の約半分をイトーヨーカドー沼津店が占め、残る半分は衣料品店や飲食店などの専門店が入居した。近隣住民の50代男性会社経営者は「全盛期の80年代には県内外から多くの買い物客が訪れ、『商都の顔』とも言える存在だった。市民としても誇らしかった」と懐かしがる。

 運営会社は閉館について、コロナ禍や商環境の変化、建物の老朽化などを理由に挙げ、総合的に検討し、営業継続は不可能との決定に至った」と説明。イトーヨーカドーの撤退と時期を合わせる形で"店じまい"を決断したという。

 今回の閉館を巡っては、中心市街地のさらなる衰退を懸念する声が聞かれる一方、商工団体などの関係者からは今後の跡地利用に期待する意見も多い。背景にあるのは、JR沼津駅周辺の鉄道高架化に伴う再開発。同駅北口から徒歩5分ほどの場所にあるイシバシプラザの跡地も一体的に再開発を進めることができれば、人口減少社会や少子高齢化に対応して都市機能を市街地に集約するコンパクトシティーの実現に向けた可能性が広がる。

 ただ、再開発を進めていく上で最も重要なのは、どのような街を目指すのかという「理念」だ。官民挙げて青写真を共有できていなければ、かえって乱開発に陥り、統一感を失いかねない。捉えようによっては、沼津市にとって現在は都市再生の好機。この好機を生かすには、行政はもとより、同駅周辺の事業主や商工団体、市民なども交えて街の将来像を丁寧に議論していく必要があるだろう。(東部総局・薮崎拓也)

【静新令和3年3月24日(水)朝刊「湧水」】


 

☆イトーヨーカ堂沼津進出経過(沼津商業界戦後昭和史より)

昭和5011

石橋プラザ反対運動。

「 イシバシプラザ・イトーヨーカドー出店問題

 昭和四八年の石油危機によって低成長期に移行し経営環境が激変したことを背景として全国的に大型店舗の出店には中小商業者による抵抗が強まるようになる。昭和四九年には、百貨店法の適用を受けない量販店の増加により既存百貨店と中小商業者の双方からの批判が高まった結果、百貨店法に代わって「大規模小売店舗法」が施行され、百貨店・量販店の大型店の出店にあたって地域との調整がルール化されることとなった。昭和五三年これが改正強化され、さらに昭和五六年以降は「出店凍結」と厳しい出店規制が行なわれることになる。このような状況の中で、沼津においてこの時期大きな問題となったのがイシバシプラザの建設問題であった。

沼津商工会議所の記録によれば、イシバシプラザ建設の発端は、昭和四八年九月にリコー通り商店街を中心とする駅北地区商店街が周辺地区の自治会長と連名で、石橋株式会社に対して、沼津市高島本町の遊休地(石橋製糸所跡地)に「商業ビル」を建設するように申請したことであった。これを受けて、同年一二月に石橋株式会社は、市の企業等進出対策委員会に申請書を提出し説明を行なった。この時点の構想は、百貨店一店と量販店一店を核店舗とするものであった。翌年一〇月頃まで駅北地区商店街・自治会に対して説明会が行なわれたが、第一次石油危機の影響もあり、一時話は下火となった。

昭和五〇年の夏、百貨店出店を見送り量販店のイトーヨーカ堂を核とするショッピングセンターを建設する計画が持ち上がった。これに対して駅北地区商店街は、早期実現を求める「要請書」を石橋株式会社に提出し活発な推進運動を開始した。これは大規模商業施設が駅南地区に集中したことにより駅北地区と格差が拡大していたことから、この施設の建設による駅北地区への集客効果を期待してのものであった。

しかしながら、石橋製糸所跡地にショッピングタウンを建設することは必ずしも駅北住民の総意ではなく、騒音、排気ガスなどの車公害やビル風などの生活環境破壊を懸念して住民組織による反対運動も一方で起こっている。このような住民による反対のほかに、駅南商店街をはじめ既存の商店街の多くは「沼津市の場合、現状以上の商店は必要ない。これ以上大型店が進出すれば過当競争がいっそう激化正常な商店経営ができなくなり、倒産するものが続出する」との認識から新規の大型店の出店に対して反対する空気が強く、商店街連盟も意見統一に苦慮する状況となり、会長(大橋光雄)辞任騒動にまで発展している。その後、商工会議所は商店街連盟に石橋株式会社とイトーヨーカ堂との話し合いを進めるように指導し、商店街連盟は昭和五一年三月から七月にかけて一〇数回にわたり両社と話し合いを行なった。その結果、十一項目にわたる「申入」がなされ、その大部分について合意を得たことをうけて、同年九月九日第一回の商業活動調整協議会(商調協)が開催されるに至った。ところが、商店街連盟による十一項目を不服とする商業者は、「イトーヨーカ堂進出反対期成同盟」を結成して市外からの進出であるイトーヨーカ堂に的を絞って「進出絶対反対」の決議を行なうなど反対運動を行なった。反対の中核は駅南の仲見世商店街であった。「反対期成同盟」はその後も運動を継続したが、昭和五十二年には「進出絶対反対」から「条件付き反対」に方針を切り替えて開業後の増床反対の運動を展開した。



このような経緯を経て「イシバシプラザ」として開業したのは、昭和五十三年七月十三日であり、駅北商店街の要望書提出から約五年後のことであった。

(沼津市史「現代」)」


イトーヨー力堂進出反対デモ行進

 昭和51914

イトーヨー力堂進出反対デモ行進(事務局.沼津仲見世商店街振興組合)

仲見世青年部が反対。

 「イトーヨーカ堂の進出。

 高島町の石橋製糸沼津工場跡地を利用してコミュニティセンターを持つ大型ショッピングセンターを建設、駅北商店街の核施設にしようとする『石橋プラザ』計画が具体化、同計画が商工会議所商業活動調整協議会(会長・内田善次郎弁護士)にかけられているが、この石橋プラザが実現、核店舗として大手スーパー、イトーヨーカ堂が進出すると、ただでさえ大型店が多く問題化している時、市内商業者の過当競争いがいっそう激化、弱少資本の地元商店は、大資本に対抗することができず淘汰され、やがて市内商業は大資本が独占して、消費者にも悪影響を及すので、その進出を阻止しようとする仲見世商店街青年部のイトーヨーカ堂進出反対総決起準備大会が十四目夜大手町会館で開かれた。

 この大会には、仲見世関係者のほか、趣旨に賛同する市内商店街関係者など約百人が参加、①石橋プラザが建設されると交通障害、排気ガスなどの自動車公害のほか、プラスチック容器などのごみ公害が発生する②核店舗イトーヨーカ堂が年間売り上げ九〇億円を見込んでいるほか、その他のテナント(出店者)が五四億円を見込み、合計一四四億円を目論んでいるが、これは市内全小売商売り上げ高の二〇・六三㌫に当たり、さらに増加三〇㌫に達することも考えられ、地元商店が受ける影響は極めて大きく、倒産に追い込まれるものが続出する。このような大資本の進出を許すことはできない③将来、資本力のある店だけが業界を寡占化、流通を支配し大資本横暴の時代に突入、消費者を裏切ることになる、として今後、全市の商業者、消費者に同調を呼びがけ、反対運動を強化、進出を阻止するとの大会法議を行った。

 また、この大会には内田商調協会長も出席、イトーヨーカ堂進出に反対の意見を述べた。」(『沼津朝日』昭和51917)


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